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3 婚約成立

 朝、パトリシア様の髪を結った後は、私はわりと自由な時間を過ごす事ができる。私の主な出番は朝と夜なので、日中は新しい髪型を考えたり、素敵な髪飾りを探しに行ったり、城にやって来る国内外の貴族たちの髪型を密かに観察したりしながら過ごしている。

 

 今日も自室で新しい髪型のデザイン画を描いていると、使用人が部屋を訪ねて来た。「パトリシア様が呼んでいる」と言うので王女の私室に向かう。

 パトリシア様は仲良しの侍女三人とテーブルを囲んでお茶をしているところだったけれど、雰囲気は楽しげではなかった。

 パトリシア様の表情は暗く、侍女たちがそれを励ましたり慰めたりしている。


「パトリシア様、メイナです。どうされたんですか?」

「メイナ……」


 元気がない様子でパトリシア様は顔を上げてこちらを見た。そしてため息をついてこう言う。


「私、バクスワルドに嫁ぐ事になったわ」

「……ダリオ殿下との結婚が正式に決まったんですね」


 パトリシア様と竜の国バクスワルドの王子との結婚話は公に情報開示されていたわけではないが、少し前から城の中を賑わせていた。

 秘密にしていても話は漏れてしまうものだし、昨日までダリオ殿下がこの国にやって来ていた目的もパトリシア様との結婚の話を進めるためではないかと、使用人たちも噂していたのだ。


 ただの髪結師である私も今まで何もそんな話は聞かされてこなかったが、パトリシア様が嫁ぐ日も近いのではないかという予想はしていた。

 王座を継ぐのは兄王子なので、妹のパトリシア様はバクスワルドとの友好関係を強化するために政略結婚する事になったのだろう。

 

「おめでとうございます、と言っていいのでしょうか? 落ち込んでいらっしゃるようですが……」


 十六歳のパトリシア様と十八歳のダリオ殿下は歳も近いし、政略結婚とはいえおめでたい事だが、本人はやはり愛する人と結婚できない事が辛いのだろうか、と気を遣いつつ言う。

 けれどパトリシア様だって、王女として生まれたからには好きな人と添い遂げられないという事は分かっていたはず。

 パトリシア様は不機嫌に眉根を寄せて言う。


「だって相手は竜人よ? もしかしたら私と結婚した後で番を見つけてしまうかもしれないじゃない」


 私も困ったように眉根を寄せて返した。


「うーん、確かにそうですね。そうなったらどうなるんでしょう?」

「ダリオ殿下はもし自分の番を見つけても、彼女には何の権力も立場も与えないと約束してくださったわ。番が見つかったからと言って私と離婚する事もないって。でもそんなの実際どうなるか分からないじゃない。私の事は放っておいて、密かに番の元に通うようになるかもしれない」

「竜人の番に対する想いは、私たちではよく分かりませんものね」

「それにもちろん異国に嫁ぐのも不安だわ。言葉は同じだけど、バクスワルドは竜人ばかりの国。人間の国とは文化が違うもの」

「そうですよね……」


 私は何とかこの結婚に希望を持たせてあげたいと、明るい声を出して続けた。


「でも、ダリオ殿下は素敵な方でしたよね。明るくて快活で、器の大きそうな方です。それに将来のバクスワルド王妃になれるなんて、庶民にとっては夢のまた夢ですし……あとは、そう! 異国に嫁ぐと言っても一緒について行く者がたくさんいるでしょう? 向こうでも世話をしてくれる馴染みの使用人とか」

「そんなの連れていけないわ」


 パトリシア様は唇を尖らせて即座に言った。


「嫁げば、使用人も護衛もバクスワルドの竜人たちになる。こちらの人間を簡単に向こうの城には入れられない。私は基本的に一人で行くのよ」

「そういうものですか」


 私は小さな声で呟いた。けれどよく考えればそれはそうか。他国から嫁いできた王女が自分の取り巻きをたくさん連れて来るのは、バクスワルドの人たちにとっては歓迎できないだろう。

 私はちらりと侍女たちを見たが、彼女たちはこの国の貴族令嬢なので尚更簡単にバクスワルドには行けない。

 お喋り相手の彼女たちがついて行けたらパトリシア様も少しは楽しく過ごせるだろうけど。


「という事は、パトリシア様の結婚式の時に髪を結うのも私ではないのですね」


 私はそれを残念に思いながらも、バクスワルドに行きたいという強い気持ちはないから、仕方がないとも思った。

 しかしパトリシア様はそこで獲物を狙う猫のように私を見たかと思うと、強い口調でこう言った。


「いいえ、メイナにはついて来てもらうわ。私と一緒にバクスワルドに来て」

「え」


 私は動きを止めて固まる。


「バクスワルド側にもメイナを連れて行く許可は貰ってるわ。髪結師という職業はバクスワルドでも一般的ではないから、使用人や護衛のようにメイナに代わる者がいないらしいの。だからメイナ一人ならと、特別に許してもらえたわ」

「え」

「ついて来てくれるわよね、メイナ」


 パトリシア様とお別れしなければならない悲しさが胸にこみ上げていたところなので、感情がついていかない。

 私がバクスワルドに行く?


 パトリシア様について行くのは構わないし、異国に行くのも構わない。自分が見た事もない文化と出会えるかと思うとわくわくするし、これは私にとってチャンスだとも思う。髪結師として新たな技術や知識を取り入れられるチャンス。

 だから「もちろんです!」と胸を張って答えたい一方、「行きたくない」という気持ちを起こさせる一つの要因もある。

 それはもちろん、昨日私の事を振ったレイ・アライドだ。


「ついて行きたいのは山々なのですが」


 私はおずおずと口を開いた。


「パトリシア様もご存知の通り、私にはあまり再会したくない竜人男性がいまして――」

「知ってるわ! でもそれくらい我慢して! だってメイナが来てくれなかったら私……あっちで一人ぼっちなの!」


 パトリシア様は一瞬声を荒げたかと思うと、今度はさめざめと泣き出す。


「ダリオ殿下の事もまだよく知らないし、周りはみんな竜人ばかりで……誰が味方かも分からない。それでもそこに誰か一人知り合いがいてくれたら、私はいくらか安心できるのよ。それがメイナなら尚更だわ。私はあなたの事を信頼しているもの」

「パトリシア様……」


 私はぎゅっと自分の手を握った。まだ十六歳のパトリシア様がこんなに不安がっているのに、「振られた相手に会いたくない」なんて理由で彼女の頼みを断れるだろうか? いや、断れない。

 心を決めると、私はパトリシア様をまっすぐ見つめて言う。


「分かりました。私もパトリシア様と一緒にバクスワルドに行きます」

「そう言ってくれると思ってたわ!」


 パトリシア様はパッと表情を明るくすると、私の言葉に被せるようにそう言った。

 あれ? さっきまで流れていた涙がもう止まっているような……。


「ありがとう、メイナ!」


 抱きついてきたパトリシア様を受け止めながら、したたかに成長している我が国の王女を頼もしく思うべきか、演技に簡単に騙されてしまった自分の愚かさを呪うべきか、私は悩んだのだった。


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