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1 髪結師、振られる

 私は髪結師だ。

 髪結師という名前だけど髪を結うだけが仕事じゃなく、髪を切ったり、ケアをしたり、その人に似合う髪型を考えたり、髪に関する事なら何でもやる。

 私はこの仕事が好きだし、誇りを持っている。仕事をしていると充実感を得られるから、それ以外の事――例えば恋とか――には全く興味がなかった。

 だけど五日前にとある男性と出会った事で、仕事だけだった私の毎日が少し変化した。


「見つけた。君が僕のつがいなんだね」


 私がレイ・アライドという竜人男性にきらめく瞳でそう言われたのは、五日前の夜会での事。

 彼はお隣の竜の国――バクスワルドの騎士で、その夜会には自分が仕えるバクスワルドの王子のお供で参加していたらしい。


「番って何です?」

「竜人にとっての運命の人のようなものだよ」

「運命の人……」


 美しく笑って言うレイに、私は小さく繰り返した。

 突然の告白には驚いたけれど、金色の髪と瞳を持ち、竜人にしては物腰が柔らかく、まるで物語の中に出てくる王子様のように容姿端麗なレイにアプローチされて、ちょっとポーッとしてしまったのは認める。

 私はもう二十歳になるけれど今まで恋をした事がなかったので、あまりこういう事に免疫がない。

 地方の街で理髪店を営んでいる両親の元で子どもの頃から髪の事を学び、二年前からこの国――ミュランの王女の専属髪結師になったので、恋にかまけている暇はなかったから。

 

「竜人には、全員に必ず番が現れるわけじゃないんだ。むしろほとんどの竜人は、この国の人間たちと同じように普通に恋をし、少しづつ愛を育んでいく。番を得られるのはとても幸運な事なんだよ」


 レイはとても嬉しそうに、喜びを抑えきれないというような表情を浮かべてそう言った。


「……そうなんですか。でもあの、私、あなたの事何も知らないし、それにこの夜会に出ているとはいえ、私は貴族令嬢でも何でもないんです。私はミュランの王女パトリシア様の髪結師で、今日もパトリシア様の髪が途中で乱れたりした時のために待機しているだけで……」


 一応この場の雰囲気に合うようなドレスを着て、毎日お手入れを欠かさない黒い髪を夜会仕様に結っているけれど、王女の髪結師というだけの一般市民だ。


「そんな事気にしないよ。僕はバクスワルドの貴族の出身ではあるけれど、身分の事はどうでもいいんだ」


 レイはすぐさまそう言った後、少し眉を下げてこう続けた。


「でも、そうだね。君は僕の事を知らない。まだちゃんと自己紹介していなかったから。突然変な事を言ってしまってすまない。どうか気味悪がらないでほしい」


 レイは私という番を見つけて興奮している一方、困惑する私の気持ちも大切にしてくれた。だからそれからは一歩引いて、自己紹介から始めてくれたのだ。私にとって馴染みのない『番』という言葉をあまり出さないようにして、紳士的な態度で接してくれた。

 そして夜会から三日後、


「レイさんは、明後日にはバクスワルドに帰られるんですよね?」


 ミュランの城に滞在している間、毎日時間を見つけては私の顔を見に来てくれていたレイに私はそう尋ねた。せっかく知り合えたのにレイが帰ってしまうのは寂しいなと、少し思い始めていたのだ。


「レイで構わないよ。そう、僕はダリオ殿下の護衛でついて来ただけだから、殿下が国に帰られる明後日には僕も一緒に帰る事になる。でも近い内に必ず君に会いに来るよ。それに手紙も送る。そうやってお互いの事を知ってもしも僕の事を好きになってくれたら、いつかバクスワルドに来る事も考えてほしい。何年か先になっても構わないから」


「本当は、明後日帰る時に君の事も連れて帰ってしまいたいんだけど」と、レイは冗談とも本気ともつかぬ口調で続けた。

 今、私は『王女付きの髪結師』というとても光栄な立場にいるし、このままパトリシア様の髪結師をもう少し続けたいとは思う。 

 だけどレイの言うように、いつかバクスワルドに行くのも悪くないかもと思った。竜人の女性たちはどんな髪型をしているのか見てみたいし、バクスワルドで自分の店を開くっていうのも素敵だ。

 そして私の側にはレイがいて――……。


 数日前に出会ったばかりの男性に夢を見て、そんな事を考えていたのは、今思うと馬鹿だった。私は初めての恋の予感に浮かれていたのだ。

 レイの態度が急変したのは、レイが国に帰る当日の事だった。

 見送りのために外に出て彼に駆け寄った私に、レイは困ったようにこう言った。


「僕が今まで言った事は全て忘れてほしい。すまないが、君は僕の番じゃなかったみたいだ」

「え?」


 レイの冷たさすら感じさせる視線に私はたじろいだ。


「番じゃなかったって……?」

「うん。間違えたんだよ」


 誠実な人だと思っていたのに、この時のレイの口調はとても軽薄だった。

 今までの甘い雰囲気は何だったのか。私の事を宝物のように見ていたのは何だったのかと混乱する。


「……そんな事、あるの? 私は竜人じゃないからよく分からないけど、番を間違えるって……」

「だから、すまなかったって言ってるだろう。悪かったよ。でも間違いなのは確かだ。僕は君にもう何の魅力も感じていない。だから君も僕の事は諦めてくれ。さようなら、メイナ」


 ダリオ殿下や仲間の騎士たちと共に馬に乗って帰っていくレイを唖然として見送りながら、私は「は?」と小さく呟いた。


「何それ……。『僕の事は諦めてくれ』って……」


 向こうからアプローチされて、私も相手の事をいいなと思い初めていたところだったから、浮かれていた時に頭から水をかけられたような気持ちだ。

 レイたち竜人一行の後ろ姿は、段々小さくなっていく。けれど私は握った拳をプルプル震わせつつも、どうする事もできずにただその場に突っ立っていた。


 まだ混乱していて上手くものを考えられないが、ふつふつと湧き上がってくる怒りは、レイに対するものより自分に対するものの方が大きい。

 私はぐっと歯を食いしばって思った。


(本当に私って馬鹿。自分はああいう軽薄な男の人には騙されないって思ってたのに、舞い上がっちゃって……)


 自分は慎重な人間だと思っていたのに、そうではなかったようだ。

 

「これは良い経験になったと思うべきかしら。本気で恋をする前でよかったって……」


 暗い顔をして一人でブツブツ呟いていると、バクスワルドのダリオ殿下を見送りに来ていたパトリシア様も、こんな事を呟きながら侍女たちと共にこちらに近づいてきた。


「彼らはドラゴンに姿を変えられると聞くし、ドラゴンになって飛んで帰れば早いのに。ねぇ、そう思わない? メイナ」


 まだ十六歳のパトリシア様は、どこかあどけない可愛らしい表情で私に言う。


「……そうですね」

「ダリオ殿下は今日も私の髪を褒めてくださったわ。とても綺麗に結っているって。メイナのおかげね」

「……それはよかったです」

「専属の髪結師を雇っていると言ったら、驚いておられたわ。確かに王族や貴族でも、髪結師をわざわざ雇う事はしないものね。普通は世話をしてくれる使用人に髪も整えさせるものだから」

「……髪結師という職業は、まだあまり浸透していませんからね。私ももっと……恋なんかしてないで……頑張らないと……」

「あら? どうしたの? メイナったら元気がないみたい」


 パトリシア様はぱちぱちと目を瞬かせた後、ぱんと手を叩いた。


「……あ! 分かったわ! メイナはあの金髪の騎士との別れが辛いのね! 彼に番だと言われてアプローチされていたし、メイナも満更でもなさそうだったものね」

「や、やめてください」


 今となっては浮かれていた自分が恥ずかしい。

 私が先ほどのレイの態度を説明し、どうやら彼の運命の人ではなかったらしいと言うと、パトリシア様は目を丸くして「どういう事?」と困惑していたが、侍女たちはクスクスと笑っていた。

 美形のレイに髪結師なんかが言い寄られているって何気にやっかまれていたから、彼女たちにとってはいい気味なのかも。


 でも笑われても仕方がない。私もこれで懲りた。

 後ろに影を背負い、暗い声で淡々と言う。


「これからは私、仕事に生きます。まだ半人前のくせに恋をしようだなんて駄目だったんです。今日からはまた髪を愛し、髪を慈しみ、髪の事だけを考える日々に戻ります。それが私の幸せなんです、きっと……」

「な、何だか可哀想……。一気にやつれたように見えるけど大丈夫?」


 しょんぼりと肩を落とす私に、パトリシア様は同情を禁じ得ないというように眉を垂らし、さすがの侍女たちも憐れみの目を向けてきた。

 でも髪の事だけ考えて生きるのは、強がりじゃなく私にとっては本当に幸せな事だから。

 あの、本当に……。

 

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