8.祠
境内の裏手にある祠まで、覚束ない足取りで探り探り戻った。いつもは暗い夜道でも明るく照らしてくれるのに、今の彼は僕の肩でぐったりとして、ほわりと朧な光を放つのみだ。
細い山道を進む足元から、樹々の狭間から、頭上から、僕を取り囲む暗闇のそこら中から、波のように重なり合い響き合う虫の声が降り注ぐ。
まともに聴いていると方向感覚を狂わされてしまいそうなこの音を、振り払うように頭を振る。
ゆるゆると坂道を下っていると、東の空が白み始めてきた。
徐々に樹々がその輪郭を顕にし、薄靄のかかる神社の赤い屋根が梢の隙間に覗く。濃く緑の香る清涼な空気を胸いっぱいに吸いこみ、僕はほっと安堵の吐息を漏らした。
サラマンダーの住む祠は、祠というよりも小さなひと部屋だけの離れのような建物だ。ガタつく引き戸を開けて中に入ると広い土間があり、その奥にある四畳半程の狭いスペースに囲炉裏が切ってある。
その囲炉裏が彼の寝床だ。白い灰になかば埋まっている炭がスケルトンの赤に変わり、煌々と燃えあがっている。その上では、新鮮な水を汲みたされたばかりの黒い鉄製の釜が、しゅんしゅんと、柔らかな湯気を立ち昇らせている。
千年もの間火を絶やしたことがないといわれ、この火で沸かした白湯を飲めば不老長寿が叶う、と眉唾ものの言い伝えがある。そのご利益にあやかりに時折訪れる参拝者のために、この神社を管理している誰かが、毎朝、夜も明けぬ内にあの長い石段を上り炭をたし、水を汲みたし、周囲の掃除をしてくれているのだ。
僕はいまだに、出会ったことはないけれど――。
彼は、祠に着くなりふらふらと囲炉裏の中に飛んでいき、するりと釜の底に滑りこんだ。シルフは釜の上の方にいるらしい。ふわふわ漂っていた白い湯気が、螺旋を描いて伸び縮みしている。
僕は囲炉裏の傍に腰をおろし、参拝者用に用意してある湯呑に白湯をついだ。ほんわりと手のひらから伝わる熱で心までが温まる。ゆっくりと、口内で噛むようにして飲みくだす。
身体もいい具合に温もってきたので、僕は少し離れてごろりと御座の上に横になり、そのまま寝入ってしまった。
次に目を開けたときには、サラマンダーは囲炉裏の白い灰の中に半身を潜り込ませて鼻歌を歌っていた。
まるでお風呂に浸かっているみたいだ。どうせなら釜の中にでも浸ればいいのに――。
「おい、馬鹿を言うな! 俺が水に入るわけないだろ!」
起きぬけのぼんやりした頭に、彼のキンキン声が突き刺さる。
あれ? 僕は声にだして言ったっけ?
「いつまでも寝ていないで、お前も顔くらい洗ってこい!」
「きみはもう平気なの? あんなにぐったりしていたのに」
そんな僕の声は無視して、彼は灰の中を楽しそうに泳ぎ廻っている。そりゃ、楽しいだろ。つい先日、僕は灰掻きをさせられたばかりだもの。小さな燃え残りの炭も小石も取り除いて、綺麗なサラサラの灰になるまで掃除してあげたんだからね。
「それで昨夜のあれは、結局なんだったの?」
僕は囲炉裏から出てこない彼に業を煮やしながら、さっきの湯呑にもう一杯白湯を汲んだ。
「さっさと俺をイギリスに連れていけ!」
灰を跳ねあげ勢いよく首を突きだした彼が、突然、怒り心頭といった体で大声をあげた。
「あの馬鹿女の開けた穴! こっちからじゃあ、もうあの大穴は塞げない!」
キィー、と彼の悔しげな声がピリピリ空気を震わせる。
「あの女って?」
僕は話にまったくついていけないので、まったりと白湯をすすっていた。
「水の妖精!」
口にするのも腹立たしいとばかりに、火の精霊は吐き捨てるようにその名を告げた。
「あいつが土の精霊と結託して変な穴を開けたばっかりに、時空が捻れてあの滝壺に『道』が繋がっちまっているんだよ!」