2.彼のこと
毎朝、この神社を訪れるのが日課になった。
この神社の裏手、もっと奥まった場所にある祠に彼は棲んでいる。そこでは千年の昔から火が焚かれ続け、決してその火を絶やしてはならないという言い伝えがあるらしい。彼は、「俺がここに棲んでやっているから守りは万全だ」なんて言っているけれど、それじゃあ、きみは幾つなの? と訊いてもキイキィ笑うばかりで年齢は教えてくれない。
鳥居をくぐり、社の前でピィー、と口笛を吹く。
と、耳元を切るような疾風が駆けぬけパタパタと羽音が覆う。肩に留まった彼が僕の髪を引っ張る。
「焦げてしまうよ」
僕は頭を傾げたまま首を振る。耳元が熱い。意地悪な彼が、ふざけて僕の耳に息を吹きかけたんだ。
キキッと甲高い笑い声。
すっと肩が軽くなる。
彼はこんなに小さいのに、不思議なことに結構な重量がある。でも「小さい」と言うとすぐに怒る。短気ですごく怒りっぽい。僕の手のひらに乗るくらいのチビ助のくせに。
彼と出逢ったあの日、僕はなんのためにあそこへ行ったのかもすっかり忘れ、不思議な高揚感を覚えながら祖母の家に戻った。そしてすぐさま、パソコンで「サラマンダー」を検索にかけてみた。
サラマンダー 四大元素を司る精霊(四大精霊)のうち、火を司るもの
両生類のうち、有尾類(有尾目)に属する動物の英名
「ふーん。日本語に訳すときには『山椒魚』……」
パソコンで得た知識を思いだしながら、僕の周りでとんぼ返りを打っている彼を眺めた。
一時たりともじっとしていない。目まぐるしく動きまわるので、動体視力が鍛えられそうだ。黄色くたなびく光の残像の先端にいる彼は、ともかく山椒魚には似ていない。やはり蜥蜴だ。でも、これも口には出さなかった。昨日、無神経に「きみは新種の発光する蜥蜴なの?」と訊いてしまい、前髪を焼かれてしまったのだ。彼は小さい割に、プライドはエベレスト並みに高いみたいなんだ。
だって、彼は新種の蜥蜴――、失礼、火の精霊と言うだけあって、人の言葉を解するインテリだもの。
彼が自分でそう言ったんだ。祖先はイギリスに住んでいて、かの国のケンブリッジ大学セジウィック地球科学博物館に、先祖の化石標本があるのだ、と。アンモナイトの間に眠る偉大な先祖の墓参り? に行くことが、彼の積年の夢なのだそうだ。
「お前も大学へ行くんだろ?」
ある日、彼は僕にそう言った。傷口をえぐるように。僕は大学に行けなかった、って言ったのに――。
「俺をケンブリッジ大学に連れていってくれ」
――日本の大学にさえ落ちた僕が、世界最高峰の大学に入れるはずがないだろ!
そう言いかけて、僕ははたと思い直した。
「うん、いいよ。行くだけなら」
馬鹿か! 彼は僕に入学しろと言っている訳じゃないんだ。
彼は喜んで青白く燃えあがっている。
彼は感情が高ぶると温度変化で色彩が変わる。やはり蜥蜴だ。カメレオン科に違いない。
「お前、初めて逢った時、英語をしゃべってただろ? 俺に英語を教えてくれ。イギリスには俺の親戚がいるはずなんだ」
また肩がずしりと重くなる。断ったりしたら、さっきのように焔を吹きかける気だ。火傷するほどの熱ではないけれど、すごく熱いんだぞ、あれは!
「いいよ、きみにやる気があるのなら」
熱意に負けて、僕はとんでもなく安請け合いをしてしまった。
彼はまた青く輝きながら、辺りを嬉しそうに跳ね飛んでいる。空中に綺麗な螺旋を描く線が浮かぶ。不思議な幾何学模様を描く光の軌跡。
その正確な図形に見とれながら、彼、もしかして文系じゃなくて理系なんじゃないのかな、と僕はぼんやりと考えていた。
羽を広げ空を旋回する炎の精霊サラマンダー。
赤く揺れる鬼火のような彼が、こんな僕に初めてできた友達だ。