1.出逢い
僕は今、重い脚を引きずるようにして、一段、一段、石段を上っている。
この神社の裏山にある滝壺は自殺の名所として有名だ。黄泉の国への通り道がある、と言われているからだ。鬱蒼とした落葉樹の林に入ると、ひんやりと気温が二、三度下がるような霊気が漂い、時おり、樹々の狭間に白装束の死者が列を作って歩いているのが視えるそうだ。
だから、自殺してもこの世で迷うことなく、ちゃんとあの世へ行くことができる――。
それが人気の秘密なのだそうだ。
僕がこの場所を選んだのは、そんな曰くに惹かれたからではない。たまたまこの近所に移り住んでいたからだ。
受験戦争に破れ希望の大学に入れなかった僕は、もう一年同じ苦闘を繰り返すのが嫌だった。
たった6点足りなかった――。
来年こそは大丈夫。そう言われても、あれだけ頑張って届かなかった同じ道をまた通わなければならないことが堪らなかった。親や先生に大見得を切って志望校をあげ、コロリと落ちた。今さらランクを下げるなんて無様な真似もできない。あと6点だったのだ。彼らに言ったところで解りはしない。この小指の先ほどの距離が、どれほど遠く届かないものなのか……。
大学の合否発表から4ヶ月経っても、僕は浮上できないままだった。無気力に陥り、鬱病を心配した両親の勧めで、母方の祖母の家に行かされた。環境を変え田舎でのんびり気分転換してから、また来年目指して頑張ればいい、とそんな気休めを勧められてのことだ。
だが、気持ちは休まるどころかますます追い詰められている。こんな何もないところで遊んでいる自分が情けない。今年度の受験生、僕のような浪人生、ともに、今この瞬間だって必死に机に向かっているに違いないのに――。
けれど、机に向かうことができないのだ。参考書を開く、そんな些細なことさえできなかった。
僕は心が病気なのだ。このまま何もできないまま朽ちていく、そんな弱い人間なのだ。
そう思うと、自然と足が神社に向いていた。
僕もあそこへ行けばいい、と。
まるで、何かに呼ばれるように――。
石段を上りきり神社の境内に足を踏みいれた。降りそそぐ蝉の声が、一瞬、消えた。
時が止まった。
そしてまた聞こえてきた樹上から畝ねり被さる蝉の声に包まれ立ち尽くす。
神社の境内では、傾いた陽の作りだす和らいだ木漏れ日とぼやけた影が、敷き詰められた玉砂利をくすぐるように揺れている。
さわさわと風が通りぬける。
古ぼけた焦げ茶色の神社が泰然と佇んでいる。その固く閉ざされた板戸の周りにぐるり巡らされた縁の艶のない杉板の継ぎ目に、きらり、と何か光るものがあった。目を凝らし、シャリシャリと玉砂利を踏みしめて近づいて、それに顔をよせた。
トランプが一枚挟まっていた。クラブのエースの札。
ぼんやりと見つめていたトランプがいきなりボッと燃えあがり、かき消えた。
一筋の黒煙がゆらり立ち昇る。
キキキッと金属の擦れ合うような笑い声が耳をつく。
「契約しないか」耳元で何かが囁いた。
「No thank you」咄嗟に答えた僕の眼前を鬼火が踊る。
「じゃ、友達にならないか」
僕は狐に摘まれた思いで空を睨んだ。チラチラと宙を漂う鬼火が何度も視界をよぎる。その中心に何かがいた。
悪魔――、だよな。直ぐに「契約」を持ちだすのは。友達、というのは新しい契約形態だろうか?
忙しなく動きまわる、明るく輝く焔を目で追いかける。
「綺麗だな」
こぼれ落ちた僕の言葉に、それは嬉しそうに跳ねとんだ。赤のような、オレンジのような焔が、縮まったり、伸びあがったり忙しく弾み、飛びまわる。
その焔の真ん中に、赤い羽、赤い身体の小さな何かがいた。
それはどこか、蜥蜴に似ていた。というか、羽があるところを省けば蜥蜴そのものだ。
これが、僕と彼との出逢いのあらましだ。
彼は自分のことを、「火の精霊」と名乗った。