金の成る木
観葉植物の土でいいのかな。
ホームセンターの棚に陳列された培養土の前で途方に暮れる。盆栽用の土っていうのもあるのか。花、野菜、サボテン、ハーブ、それぞれに適した土があるらしく、しかも花・野菜用だけで何種類も置いてある。バラ専用の土なんていうものまで三種類もあった。肥料はまた別にある模様。
まったく、植物ならこれ、みたいな商品がないものか。本来は地面に勝手に生えているものだろう。
仕方なく通りかかった店員さんに聞いてみることにした。何を育てるのかという難しい質問に、実の成る小鉢盆栽という絶妙な言い回しを発見して己の機転に惚れ惚れする。
園芸好きを絵に描いたような女性店員は詳細な情報を要求したけれど、それ以上の具体的な表現が不可能と見てとると、渋い外装の盆栽用土と固形の薬剤のようなものを奨めてくれた。土の上に置いておくと植物に養分が行き届くものらしい。
あとは、害虫用の薬と、少し大きな鉢と、園芸用の木製台座。世話の焼ける、厄介なものを背負い込んだものだと思う。思いながらも、自然と顔がほころんだ。
ある日、金の成る木が売っていた。梅の季節を迎える頃、ホームセンターの園芸館で、梅や松の盆栽が売られる隅の、見切り品と書かれた棚の中、手の平サイズの小さな姫林檎や柊と並んで、やっぱり手の平サイズの小さな金の成る木が売っていた。九八〇円だった。
確かに幹のある木なんだけれど、葉は厚みがあって何だか多肉植物のよう、そして小さな白い花が可愛らしく咲いていた。金の成る木が欲しいと思っていたから、買ってアパートのベランダで育ててみることにした。
春になると花は散った。見れば見るほど不思議な木だった。綺麗な緑色の葉が丸々と太っていて何とも愛くるしくて、小さいくせに小憎らしく立派な幹をしている。花が散ったからといって面白味がなくなるようなことはなかった。金の成る木だ。大切に育てた。
もっとも、育て方が解らなかったから、午前中、大学に行く前に水をやっただけで、あとは帰ってきてから眺めるだけ。それでも、日々の成長を見守っていることで、大切に育てている実感があった。特別に手をかけたからって、大切に育てたってことじゃない。夏になって、少し大きくなったのは錯覚じゃなかったと思う。
夏の終わり、アルバイトから帰ってくると、五円玉が二枚成っていた。そのときの嬉しかったことと言ったら。金の成る木に金が成った。金の成る木に金の成るまで育てたんだ。成ったばかりの真新しい五円玉と、丸く膨らんだ葉を優しく撫でた。
ところが数日後、水をあげようとしてベランダに出ると、金の成る木に元気がなかった。自然に落ちたらしい二枚の十円玉はひどく錆びついている。葉の色も少しおかしい。どうしたんだろう。落ちた十円玉をベランダの脇へと重ね、両手で少しうつむいた小さな葉を万歳するように軽く持ち上げて元気づけた。がんばれ、金の成る木。
調べてみたところ、コンクリートに直に鉢植えを置くのはよくないらしい。水はけも悪く、夏場は反射熱にやられることがあるという。それに、定期的に土も替えてやる必要があるようだ。養分がなくなるんだとか。病気かもしれないし、鉢も買ったときのままでは小さすぎる気がした。詳しくは解らないけれど、やれることはやろうと思った。
それにしても、今さらながら、盆栽用土は違うんじゃないか。確かに、盆栽の特設売場で売っていたけれども。これって盆栽か。観葉植物のようで、花が咲いていたし、多肉植物っぽくもある。それに盆栽用土よりも花・野菜用土の方が栄養たっぷりって感じがする。偏見かしら。
もう一度買いにいくべきだろうか。一体何を。何用の土なの、これは。金の成る木、お前だよ。もういい、決めた。お前は盆栽だ。これからは盆栽用土で育てる。肥料も買ってきたし、たぶん大丈夫。植物は植物だ。土は土。酸素と窒素ほどは違わないだろう。お前なら大丈夫。お前の生命力を信じるからね、金の成る木。
そんな奮闘から一週間、盆栽用土に間違いはなかった。素晴らしきかな店員さん。新しく五円玉が三枚も実った。これまで以上に注意深く、毎日の成長を見守った。午前中に水をあげ、帰ってきては眺めて楽しんだ。五円玉は十円玉に、やがて五十円玉、百円玉へと順調に成長した。とても愛らしい。いくら見ていても飽きなかった。
秋の中頃、ついに三枚の硬貨は五百円玉に成長した。成長したけれど、三日も経たない内に一枚が落ちた。その日、アルバイトから帰ると、硬貨が二枚になった金の成る木と、薄闇の中で不自然に輝く五百円玉がベランダにあった。
とても悲しい光景だった。重くなって自然に落ちたのか。いや、やっぱり金の成る木が少し弱っているような気がした。土の上に固形状の肥料を置いて、その日は夜遅くまで金の成る木を見ていた。
次の日は大学を休んだ。朝に水をあげて、それからずっと金の成る木を見ていた。心配だった。残り二枚の五百円玉も落ちてしまうような気がして。見守り続けた。コンクリートのベランダに体育座りして、心の中で金の成る木を励まし続けた。
それでも、アルバイトを休むわけにはいかないから、夕方にはアパートの部屋を出た。胸を引き裂かれる思いだった。
急いでアルバイトから帰ると、まずベランダの金の成る木を確認した。二枚の五百円玉は無事だった。心なしか、金の成る木も誇らしげに見える。大丈夫だった。お前は大丈夫だった。信じていいんだよね。お前のことを信じてるからね。
その夜から、金の成る木のことが心配でよく眠れなくなった。夜中に起き出しては、ベランダの金の成る木を確認する。大丈夫なんだ。心配ないんだ。いつ見ても、金の成る木に変化はなかった。丈夫に育った。愛情をかけた分、愛情を返してくれている。
それから数日が経った、ある朝のことだった。水をあげようとベランダに出ると、金の成る木の二枚の五百円玉の様子が少しおかしかった。慌てて近寄って確認してみると、なんとそれは、記念の五千円硬貨だった。
不思議だった。いや、造幣局で発行していない普通硬貨が成るんだから、記念硬貨が成ったって不思議はないんだけど、やっぱり不思議な感じがした。不思議な感じがすることが不思議だった。
そんなことよりも、元が取れちゃったじゃないか。五千円硬貨が二枚。ちょっと使い難いけれど、使えないことはないし、銀行で交換してもらってもいい。すごい。すごいよ、金の成る木。がんばったね。がんばったよ。ちゃんと知っているからね、お前が本当にがんばったこと。
疲れはてたのか、熟しきったのか、目の前で二枚の記念硬貨は音を立てて落ちた。
晩秋になると、金の成る木に小さな蕾ができた。また冬には花を咲かせ、夏の終わりには実を結ぶことだろう。一枚の五百円玉と、二枚の五千円銀貨、それに錆びついた二枚の十円硬貨。それらはちゃんととってある。使う気にはなれなかった。
大学には行かなくなり、アルバイトも辞めた。金の成る木の世話をするのだ。奨学金が入るから、細々と生活すれば、すぐに困るということはない。金の成る木を守るのだ。
隣近所が硬貨の落ちる音を聞いていたかもしれない。誰だって信用できない。金の成る木だ。十万円金貨だって夢じゃないかもしれないんだ。来年の夏が終わる頃には、また五円玉が実る。それは十枚かもしれないし、二十枚かもしれない。