昨日、マリアが死んだ
昨日、マリアが死んだ。
突然のことであった。その一報を受けた私は、あまりの現実感のなさに立ち竦むことしかできなかった。
生前の彼女と親交のあった私は、衣装棚の奥深くに仕舞い込んでいた喪服に身を包んで、葬儀に参列した。しとしとと雨の降る、酷く湿っぽい日のことである。
話を訊けば、マリアの死は家族にとっても唐突な訃報であったらしく、父母の表情には隠し切れない憔悴の色が滲んでいた。葬儀場のあちこちからひそひそと囁く声から、まだ年若かった彼女の急逝を訝しんでいる様子がありありと伝わってきて、私はなんだか気分が悪くなった。
関係者の話によれば、マリアの死因は窒息死だということであった。一人暮らしのアパートの一室で、首を吊っているのを尋ねてきた知人が発見したらしい。
警察はマリアの死を自殺と見ているらしいが、彼女の家族はその可能性を否定している。これには私も同意見であった。そもそも私の知るマリアという女性は、年若く知的で自信に満ち溢れており、自ら死を選ぶような人物ではなかったのである。
マリアにいったい何があったのか。
あるいは、誰かが彼女を自殺に見せかけて殺害したという可能性はないだろうか。発想が飛躍しているかもしれないが、私は半ば真剣にその可能性を吟味した。そして、やはりその可能性は低いという結論に至った。
何故なら、彼女が誰かから恨みを買っているとは、とても考えられないからである。これはある意味おかしな話であろう。人は誰しも、知らず知らずの内に多かれ少なかれ誰かからの恨みを買っているものだ。だが、ことマリアに関していえば、その線は限りなく薄いように思われた。聡明で、気配りもでき、誰にでも分け隔てなく接する彼女を慕うものは多かれど、彼女に対して殺意をも含有した害意を抱く人間というのは全く想像できないのだ。
ふと私は、記憶の中のマリアを想起する。
彼女との出会いは今からもう五年前。高校二年の春先のことであった。
当時の私は、どちらかといえば引っ込み思案で人見知りが激しく、クラスの輪に溶け込んでいくことを苦手とするタイプであったから、休み時間には読書をして暇を紛らわせるのが定番であった。その日も私は、買ったばかりの小説を読み耽っていた。
ところが、その日はいつもと違った。一人黙々と読書をしている私に、近づいてくる者がいたのだ。それこそが、他ならぬマリアであった。彼女は空いていた隣席に腰を下ろし、何を読んでいるの、と尋ねてきた。突然のことに動揺した私は、少し、いやかなり上ずった声で返答してしまい、クラス中から失笑を買ってしまう。
赤面症でもあった私は、もうそれだけのことでパニックになりかけてしまい、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。そしてもう我慢できないと席を立とうとした時、沈黙していたマリアは落ち着いた声音で、その本私も読んだよ、と嬉しそうに言った。
予想外の言葉に目を丸くした私に、彼女は柔らかな微笑を浮かべて本の感想を語った。その感想の中には、まだ読み進めていない部分のことも含まれていたが、この時の私には些細な問題でしかなかった。
私は、ただただ嬉しかったのだ。不愛想で、長所といえば多少勉強ができるくらいの私に話しかけてくれたことが。孤独だった私に救いの手を差し伸べてくれたことが。今思えば、このマリアによる歩み寄りにも何らかの打算的な意図があったのかもしれない。でも、それでも構わなかった。私はマリアに救われたのだ。声をかけてくれるだけ。本の感想を話してくれるだけ。たったそれだけのことでも、私という人間は救済された。マリアは、私の救世主だったのである。
その後、私はマリアと友人になった。そのことがきっかけとなってクラスに馴染むことができ、私の人見知りな性分も徐々に改善されていった。
きっと。
今の私があるのは、マリアのお蔭である。高校卒業後、別々の大学に進学して会う機会は減ったが、それでも定期的に連絡は取り合ったし、休日に一緒に出掛けたこともある。最近、素敵な彼氏ができたと嬉しそうに語っていた。彼女にとっては、すべてが順風満帆だったはずなのだ。
それなのに、何故。
何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故?
拝啓、親愛なるマリア
わたしは、
ただ、あなたの
しあわせをいのりしんじていたのに。
がんばっていればいずれ、
このおもいがつうじると。
ろくでもないこのわたしでもあなたを、
しあわせにできるって。
たいせつな、たいせつなマリア――さよなら。
久々に書かせていただきました。
今回はちょっとした仕掛けがありますので、注意して読んでみると面白いかもしれません。