第二話 その二
極東ロシアで起こった事件とは
極東ロシアへ向かう機内を、呼吸音すら憚らねばならないほどの静寂が支配している。
巨大な特殊戦用輸送機は、空挺作戦での使用を想定したものであるらしく、飛行の隠密性と機体の安定性を可能な限り両立した設計となっている。乗り心地が良い方であるのかは――僕らには判断がつかない。
飛行機へ乗るのはこれが初めてだった。普段、禁界門――禁書封土の入り口――にある侵索寮の軍営都市から出ない生活が多い僕らにとって、そもそも海外派遣という事態そのものが異例のことであった。
東部第七六九九侵索班――つまり僕ら――は、特命を受けて神州を離れ、今まさに秘密作戦のために極北の地へと赴こうとしている。
そしてその機内には僕らのほかに、もう一人同乗者がいた。
「作戦を説明します」
書陵省本省から来たという官僚の男は、どう見てもこんなところにいるべき人間には見えなかった。皺ひとつない正装に収まった特徴のない顔が、資料片手に端正な発音で作戦計画を読み上げる。
「数時間前、極東ロシアの新兵器実験場から救難信号がありました。実証実験中の新兵器が事故を起こしたということだが、その被害は現在も拡大しています。あなたがたには現地へ入り、事故調査に従事してもらいたい」
官僚の説明が進むたびに、僕らが頁をめくる音が続く。官僚の男は紙面の黒い部分を的確に避けながら、作戦計画の委細を述べていく。配られた資料は、そこら中が黒い塗料で潰されていた。まるでこの国の機密が全て詰まっているとでも言わんばかりの書面は、むしろ白い領域の方が少ないようにさえ思える。
「先に現地入りした観測隊によると、実験場を中心とした半径二〇粁圏内が、『擬似禁土』と呼ばれる異空間へ変貌しています。この異空間内部には公社所在地のヤクーツクが含まれ、避難民が多数取り残されている可能性がある」
「それが俺たちが呼ばれた理由ですか」
五十嵐は苦笑を消して、官僚の男へ問うた。そうです、と答える男は書類を脇に置き、
「あの内部で本格的な活動ができるのは、君たち侵索寮の人間しかいない」
「僕らは、具体的に何をすればいいんです? あの空間内部に大量の一般市民が侵入している状態など、訓練想定のまったく埒外です」
湧き上がってくる種々の疑問を飲み込みつつ、僕は文句にも似た言葉を紡ぐ。
「侵索班は臨機応変さが売りの部隊だと聞いています」
冗談のような台詞を真顔で吐いた男は、窓の外を指した。あれです、とその指が示す先には、あり得ないはずの光景が繰り広げられていた。
黒々とした半球が、大地の上に鎮座している。柔肌の上に落ちた血の一雫のように樹林を飲み込む『それ』は、間違いなく神州の禁書封土同様の姿だった。
「一体、どういう理屈で出来ているんだ……」
柄にもなく動揺した面持ちの六実は、説明を求めるように官僚へ視線を滑らせる。
「擬似禁土については、禁儀総局が全力を挙げて調査中です」
この男は、空間が擬似禁土へと変貌したと言った。大日本帝国は神州のみに存在するはずの禁書封土が、そのようにして増えるということ自体が信じがたいことだったが、そもそも帝国はあの場所で何の実験を行っていたというのだろうか。
「疑似禁土には、書架は存在しているのですか」
「恐らく。観測隊員で結成された決死隊が報告を上げています」
顔を見合わせたそれぞれの脳裏には、あの小さな書架の姿が浮かんでいる。死者の墓標と化した黒い柱たちが、あの空間の中にも林立しているのだ。僕はその想像を振り切るように、窓外を見つめる官僚へ言った。
「それで、その新兵器はどうなったんですか」
「まだ見つかっていません」
「事故の原因だというのなら、既に失われたのではありませんか」
「あなたがたの任務は、避難民の収容ではなく事故調査です」
念を押すように官僚の男は言った。
「〝天号兵器〟 これの確保を最優先に行動していただきたい」
垂直離着陸能力を有する輸送機の巨体が、夕暮れ時の滑走路へ降り立った。周囲を強風で薙ぎながら、煌々とした照明類に灰色の機体表面が照らし上げられる。機内の僕らは、接地の衝撃をほとんど知覚しなかった。伽那久羅に似た人工脚部は、地表に降り立つと同時に衝撃のほぼすべてを吸収することができる。
輸送機の貨物庫から降りた僕らを迎えた青年士官は、強風にも敬礼の姿勢で耐えていた。
「お疲れ様です。緊急派遣軍司令部付中尉の正島です。どうぞこちらへ。司令官の井澤少将がお待ちですので」
大股で司令部施設の方角へ歩き出す正島中尉は、一切僕らの歩幅を考えるつもりもないようで、どんどん突き進んでいく。周囲の騒々しい人垣は、僕らの姿を見るために集まってきた野次馬だろう。
司令部の置かれたヤクーツク空港は、本来の四角い外見を大量の通信設備で威嚇的に飾り付けられており、管制塔には明らかに軍用の電波探信儀が回転している。極東ロシア開発公社麾下の外地軍残存戦力を収容した緊急派遣軍は、同地への展開から数時間で既に活動を開始していた。
「極東ロシア緊急派遣軍司令の、井澤丹治です」
司令部に隣接する司令官執務室で僕らを待っていた初老の将官は、その細腕で敬礼をした。
「書陵省図書総局第三管理局総務部主任の、添原です」
いかめしい役職名を述べた添原は、およそ軍人という人種に対する敬意の欠けた返礼をした。目の色を変えたのは青年士官だけで、井澤少将は特に気にする風もなく僕らに席を勧める。老齢ゆえの寛大さは、この少将も持ち合わせているところであるらしい。
「既に活動が始まってかなりの時間が経ちますが、例の新兵器の所在はつかめておりません」
「現在までに擬似禁土から生還した者は」
先ほどから熱心に話を聞いていた五十嵐は身を乗り出して、少将へ問いを発した。老人はこの新人侵索士に好感を抱いたらしく、「大勢おります。特に危険な場所というわけではないようですが」と微笑みながら答えた。
「伽那久羅がいない、ということでしょうか」
「五十嵐、あまりその名を出すな」
六実に諭された五十嵐は慌てて首をひっこめ、その場に少し気まずい空気が降りてくる。僕はその沈黙を破るようにして湯飲みを置いた。
「擬似禁土内部の映像は」
「機密指定を受けて、この場にはありません」
「どこでなら見れますか」
「機密区画の一番奥です。ここからだと少し遠い」
僕は添原の横顔に目くばせをした。大儀そうにうなずいた書陵官僚は、膝を数度叩いてから立ち上がる。それに続いて僕らも立ち上がり、少将へ感謝の言葉を述べた。井澤少将は「正島に案内させます」と言って近侍していた青年士官を呼びつけ、新たな命令を下す。
「こちらになります。付いてきてください」
再び正島の大股について行かなければならないことに、添原は多少不満げな顔を見せた。だが正島中尉は、先ほどの仕返しだと言わんばかりに歩調を改めようとはしない。空港内に設置されたにわかづくりの機密区画は、厳重な警備の下に管理されている。途中すれ違う軍人たちの好奇の視線をすり抜けながら、僕らは空港の低い天井の廊下を進んでいく。
機密区画というからには、それなりに頑丈な扉があるのだろう、という僕らの想像は裏切られた。ごく普通の会議室の扉にかけられた『機密区画』の文字が、自らの存在を弱々しく主張している。当惑した僕らをよそに、少将から権限を委託された正島中尉が警備機器に認識札をかざしている。
「開きました」
そう言って中尉が金属製の扉を開いた先には、闇が広がっている。照明がすべて落とされた部屋の中では、いくつかの電子機器が光を放っており、その間を誰か人影が動き回っている。
「擬似禁土の映像を見に来たんだが」
添原はおっかなびっくり部屋の中へ入っていくと、不意に現れた女性士官に悲鳴を上げた。うるさいなあ、と耳をふさぐような振りをした技術士官の胸には、大尉を示す徽章が光っている。
「決死隊が撮ってきた映像ね」名乗りもせず暗い部屋の奥へ消えて行った女性士官は、しばらくすると僕らを呼んだ。「何をしてるの、早く」
「暗すぎる」
刺々しくそう言ったのは六実で、奥から聞こえてくる緊張感のない声に不快感を露わにした。添原は自らの威厳が損なわれたと少々ご立腹であるらしく、正島中尉が電気をつける前にずかずかと部屋へ入っていって、床のものにつまづいた。
「ちょっと、明るいのはやめてよ」
「枝村大尉、ご客人には危ないです」
明るくなった部屋を見た私たちは、しばしの間硬直し――機密区画というぼやけた名称の理由を理解した。ここはほとんど電算室だ。床を這いまわる電線は元の白い樹脂をほとんど埋め尽くしていたし、資料を入れておくのが本来の目的であろう棚には電子機器が乱雑に配置されている。
「眩しいのは嫌いなんだけど」
中肉中背の技術士官は、私物化された部屋の主らしくよれよれの軍服に身を包んでいる。札状の機密情報用記憶装置を持ってきたその手は、異様なほど生白い。
「これですよね、あなたがたが探しているのは。合計で三時間分はありますけど」
この作品そういえば女性少ないな、と思って枝村大尉が出てきました
週一ぐらいで更新できたらいいな、と思います




