あるエルフのある日の出来事 上
三人称視点でお送りします
まだ日が上っていない朝の日差しが指す少し前。
目を冷まし、延びをする一人の女性がいた。
肩に掛かった長い金色の長髪を払ってベッドから降り、寝巻きを引きずりながら立ち上がったら、サラリと脱ぎ去り裸体をさらす。
魔力で水を作り全身をくまなく洗って軽い水浴びを済ませたら、適温度に調節した熱風を全身に吹かせて一気に乾かす。
風に流された水滴が彼女の周りを踊ってわずかな光を反射して輝く中、普段着に着替え机に置いておいたメガネを掛けて外に出る。
まだ少し霧が立ち込める森に、少しづつ日の光が差し込み始め朝の始まりを告げていた。
「すぅーーー……、はぁ。いい朝です。今日も頑張って作りましょう」
胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだら朝食の準備を始める。
土魔法で地面の土を圧縮し即席の鍋を作ったら、水魔法で空気中の霧を集め鍋に入れ、火魔法で沸騰させる。
グツグツと煮立ってきたら特製の調味料を入れ、家の中に保存していた食材を風魔法で運び出し切り合わせて鍋に入れ、また土は圧縮して作ったお玉でかき混ぜる。
コトコトと鳴る音と匂いが周りを漂い、匂いに釣られて起き出した子供達と鼻歌を歌いながら、完成するまで集まった里の皆とちょっとした朝の時間を楽しむ。
そこは森の奥の奥のさらに奥。
霧に覆われ同じような形、並び、気配、の木々の先にあるエルフの里。
外の者達との接触を極力避け続ける人ならざる者達、エルフ。
そう一口に言っても、木から生まれ木に還る者。木の妖精が人の形に進化した『人進種』。森の民。呼び方はいくつもある。
しかし他種族がもっともエルフにたいして抱く印象は、魔法の威力。魔力量と魔力操作にもっとも秀でた種族だということ。
エルフと言えば魔法、と言うほどにエルフは魔法にたけた種族だと認識され、定義されている。
人間はせいぜい一種類の属性を実用化できる程度に成長させるのが限界だが、エルフは自身の想像の望むままに魔法を操ることができ、なおかつ魔法を発現させるに足る魔力容量を持っていた。
他には恐ろしく長寿で長い耳、金色の髪、整った容姿。そして女性しかエルフには性別が存在しない等々。
鍋を作った彼女は、エルフの中でまだ若い年なのだが、魔力を操ることに関しては卓越した技術を持っていた。
いくつもの属性魔法を同時行使することができ、その制度はエルフの上位種である『ハイエルフ』に並ぶほど。
その技術を彼女は『料理』と『狩り』に活用した。
皆の目覚ましと朝食を任されるほど彼女の鍋料理は美味しい。
どうしてこうなったのかと言うと、事の発端はある日彼女が気分転換に外で鍋を作ってみようとした時、その匂に釣られて里全体のエルフ達がまるでゾンビのように集まって来た事から始まった。
そのとき食べさせてあげた料理が集まっていた子供達の胃袋を見事にキャッチしてしまい、それ以来朝に鍋を作ろうものなら中々起きない子供達も匂いに釣られて起き出すようになってしまったのだ。
中々起きない子供に頭を悩ます母親達とっては、まさに嵐の中の光明だったものだから里の皆全員のお願いと言う名の恐喝で食料庫の管理人と朝食担当に任命されてしまった。
まあ、本人も喜んでやっているのでそんなに問題はないのだが。
ちなみに彼女は鍋以外作れない。
料理をしていると自分でも知らない内に鍋になっている。
理由は不明。
だから毎回食事は鍋料理である。
「ちょっと、そっちの方が野菜多くない!?」
「別にいいじゃん! これは私の!」
子供達が皿にいれた具の量に文句を言い始めけんかになってしまった。
エルフは野菜が大好物だ。
当然彼女は止めようとする。
「こらこら、二人と……」
「「邪魔しないで!」」
「っ! あうぅ~……」
しかし、子供達に逆に撃退されてショゲかえってしまった。
彼女は他人に拒絶されることに関してはガラスハートだった。
「あ、あはは……。え~と、ちょっといいかな?」
若干暗い影がたち始め、体育座りでショゲている彼女を周りのエルフ達が慰めている中、後ろから声をかけたのは子供のころ一緒に魔法を練習した同期だった。
「うふふふふふふふふふ、何でしょう~?」
「…………ン″ン″、『ハイエルフ』様からあなたに指令よ」
「うふふふ……ふ、え? ハイエルフ様が私に、ですか?」
「ええ。『骨森』に侵入した『人間』がいるらしいから、調べてきてほしいんだって」
「人間!?」
「骨森に、人間!? ここからそう遠くないじゃない!」
周りのエルフ達が一気に色めき立つ。
彼女達エルフにとって人間は敵なのだから当然の反応と言える。
「あなた魔力操作はハイエルフ様なみに上手だったから気配を消すのも探知するのもお手のものだったわよね?」
「は、はい。狩りの時、重宝してますけど」
彼女の魔力量は普通のエルフと総量とほぼ同じだが、その魔力操作の技術の関しては、上位種であるハイエルフに並ぶほど卓越した技術を持っていた。
彼女が食料庫を任されているのも、魔力で気配を消した狩りが里の中で最も上手いからだ。
「何で人間が骨森に? それに人間には関わるなって掟も……」
「骨森の奥には願いを叶える精霊がいるって事が人間にばれたらしくてね。人間はそれが目当てなんじゃないかって聞いてるわ」
「骨森もたしか『掟』の区域でしたよね?」
「あそこって入ったらどんな種族でも白骨化して『スケルトン』に生まれ変わっちゃう森だから、私達は入ろうとしないけどさ。ほら、人間って危険ってわかってても入っちゃうバカな所あるじゃん? しかもその精霊、一度願いを叶えたら消えちゃうらしいのよ」
そこまで聞かされれば彼女も理解する。
精霊が消えた場合、その骨森は消滅し、骨森中でのみ活動していたスケルトンが住みかをおわれ、野に放たれる。
そうなれば骨森と呼ばれる白一色の森からさほど離れていない彼女達エルフの森も危険になってしまうだろう。
それは断固回避しなければならない。
「……人間に関わる訳にはいいませんが、私達エルフの森に悪影響が出かねない。だから偵察してきてほしいと」
「そ。骨森に入った人間達に気づかれないように調べ、可能なら撃破してこいって。あと白骨化対策にマント支給だよ。はい、これ」
そう言って幼馴染みは灰色のマントを差し出してきた。
「骨森は入った瞬間に白骨化するんじゃなく、空気中に漂う白い灰のようなものが触れた箇所を白骨化させるらしいの。このマントは絶えず風をまとってくれるから、これで灰を散らせるわ」
「ありがとう、ございます」
エルフはハイエルフの命令には基本的に従う。そもそも拒否権はない。
ハイエルフの命令はエルフには神の命令に等しく、拒もうものなら村から追い出される。
彼女一人が選ばれた理由は他にもあるのだが。
「ムチャはしないようにね?」
「……はい」
いつの間にか他のエルフ達はその場を離れ、そこには二人のエルフしかいなくなっていた。
マントを羽織り弓を背負い、少しの哀愁を漂わせた彼女は骨森へ向かっていった。
森の奥に進んでいると、突然地面の土に骨が混ざりだし、しだいに周りは全て骨だらけの空間に行き着く。
空は灰色の雲が塞ぎ、どんなモンスターの骨かと聞きたくなるような大きい背骨や肋骨がむき出しになった真っ白な場所、骨森。
空中を漂う白い灰のような雪のようなものが、突然バチッと音を立てて消滅した。
バチバチと音を立て、周りに漂う『灰骨』を消滅させながら骨森を進む五人の集団。
骨森に入り込んだ人間達だ。
それを魔法で気配を消したエルフの彼女が骨森の巨大な骨の影から観察する。
大きな魔力をまとった人間達だったお陰で見つけることは容易かった。
しかし、五人の内ガタイがもっとも大きい人間から、まるで魔力のジャミングのような魔力が放出されていて感知魔法がかき乱され、個人の実力がわかりにくくなっていた。
すでに骨森の最深部近くまで人間達は入り込んでいる。
今からエルフの皆に伝えに戻ったのでは遅い。
それに、ハイエルフから指名で命令されたのだ。
(期待に答えねば……)
そう判断した彼女は即刻、背中に背負った弓を取りだし矢をつがえる。
恐らく雷魔法を全身に帯電させて灰骨を防いでいるのだろうとあたりをつけ、雷魔法に抵抗が強い風魔法で矢を覆い、さらに空気抵抗を抑え、放つ。
人間達の内、最後尾の一人の頭に直撃するその数瞬前、前から三番目を歩いていた人間の体がブレた。
パキン、と乾いた音と共に矢が打ち落とされていた。
「……へ?」
思わずほうける。
なぜ数人でなく彼女一人が派遣されたのか、それは彼女の気配遮断の魔法がハイエルフなみに上手く、さらに弓の腕も目の届く範囲ならほぼ必中するほどであり、その腕は皆が認めていたからだった。彼女自身も全くと言っていいほど今の一撃が失敗するなんて考えてもいなかった。
それゆえに、的確に矢を打ち落とし、気づいた時には後ろにいたこのトカゲのような顔の人間に驚愕して、しばしフリーズしてしまう。
人間がで三日月の形にさけた口の笑顔で話しかけてきた。
「ケヒャヒャ、中々の気配遮断だったけど、うちの副団長には通用しなかったんだよねぇ」
耳障りな声で話しかけてくる人間に危機感を感じ、風魔法を使いながらバックステップの要領で後ろに飛び出す。
しかし次の瞬間、耳をつんざく音と共に背中に焼けるようなシビレが走った。
力が抜けて地面に落下する。
「あぎ、がぁ!?」
「ウッヒョー、上物じゃなねえかー!」
「団長、コイツ連れて帰っていいっすか!? 絶対高く売れるっすよ!」
「……」
「エルフか」
近づいて来た人間達が口々に話す。
大剣を担いだ人間と矢をつがえた人間。その二人の後ろからバチバチと電撃が走っている大型ナイフを持ったツノの生えている見たこと無い種族と、褐色の肌に長い耳を持ったダークエルフが彼女を見下ろしていた。
(初めて見た……)
ドワーフと呼ばれる土の種族と木の種族であるエルフが子をなしたとき、生まれる種族がダークエルフだと言われている。
そしてダークエルフは大抵ドワーフもエルフもしのぐ何らかの能力を持っていて、意思が固く好戦的。
エルフ全体の共通認識は、ダークエルフには近づくべからずだ。
エルフの彼女もその認識だったが、ダークエルフの目を見た瞬間、認識が濁って体温が溶け消えたような錯覚がした。
サッと血の気が引き、それと対になるように本能が警報を痛いくらいに鳴り響かせる。
「~~~ッ、んあぁ!」
精一杯の魔力を絞りだし、風魔法で仰向けだった自分の体を引っ張って戦線離脱し立ち上がる。
矢をつがえ風魔法をまとわせて放つが、
「……『ウォール』」
杖を取り出したダークエルフの紫色の魔法で簡単に溶かされた。
「ありゃりゃりゃ~? エルフの魔法ってこんなに小っさかったっけ~?」
「ッ!」
そう、そしてこれが一人で派遣されたもう一つの理由。
彼女自身の魔力量はけして少なくない。むしろ量だけなら他のエルフよりも多い。
だが、いかんせん一度に使える魔法の規模、大きさを一定以上に大きくできいない。
具体的には火の玉などの魔法を大玉にする事ができない。
そして魔法は規模の大きさが一つのアドバンテージになる。
作るにしろ、戦闘にしろ、魔法の大きさは何事においても出てくる。
特に優れた知性も、優れた筋力も、能力も、体躯も無い。優れた美貌も人間に狙われる理由になりむしろデメリットであるエルフにとって、唯一の強みである魔法は、全てだった。
そんな魔法以外に何もないエルフにとって、魔法が上手く使えないと言うことは致命的だ。
ゆえに魔法が上手く使えないことはエルフにとって恥であり、無能者のレッテルを否応なく貼られてしまう。
エルフは家族を大切にするし仲間を見捨てるようなことを嫌う温厚なところがあるが、それと同じくらい魔法に対しても誇りを持っていた。
それゆえに、彼女は幼少時代つま弾きにされることが多く、種族の恥として扱われたこともあった。
そのお陰で家族とも今は疎遠になっている。
だから彼女は幼少期から一人で魔力操作の訓練を毎日毎日昼夜問わず続けてきた。
お陰で、今や朝食担当と、多少の信頼を置かれる立場を手に入れるにまで至った。
しかしそれでも、一度戦闘になっただけで彼女の矢はダークエルフの魔法に簡単に防がれてしまう。
そして彼女の最大の攻撃は、今しがた射ち放った矢程度が限界だった。
規模の違いで簡単に戦況が悪くなり、簡単に彼女はピンチに追いやられる。
つまり、彼女の役割は、確認偵察程度しか期待できないのだ。
規模の違いで戦況はどうしようもないほどに開いてしまう。
その現実に彼女が折れそうになった時、彼女の頭の中に声が響いた。
『起きてください。お願いがあります』