表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
異世界転移編
9/24

囚人のジレンマゲーム【前編】

 バン、と扉が乱暴に開かれ、男性が一人苛立った様子で部屋の中へと入ってきた。

 男性は幸多が今まで見てきた人々の服よりも明らかに高級な品質のものを身にまとい、歳は三十前後。身長は幸多よりも遥かに高い身長を持ち、鍛え抜かれた肉体は一体どこに脂肪が存在するのかと思えるほど洗練されているのが服の上からでも分かった。兵士が鎧の下に着ていた服と柄が同じであるため、着ているものが軍服であることに幸多は気付く。

 男性の背後から慌てて兵士の一人が追いかける。


「隊長、今は勇者様と姫様の懇談中だと言ったじゃないですか」


「うるさい、お前は引っ込んでろ!」


 兵士の必死な制止を振り切り、隊長と呼ばれた男性は幸多のすぐ隣までやってきた。男性は一度幸多を侮蔑の視線で一瞥した後、セラに訴えかける。


「姫様、やはり私は反対です! 姫様はなぜ私どもの存在がありながら、勇者などという訳の分からない者に頼るのですか!」


「……ボルガス、その話はもう終わりました。今は勇者様、いえ、幸多さんとのお話の最中です。下がりなさい」


「……くっ」


 冷徹な表情に一変したセラの前にボルガスは一瞬怯むも、食い下がる。


「しかし、これまで魔術師の魔の手から姫様をお守りしてきた私どもとしては納得できないのです! 何か私どもの働きに不満などでもあるのでしょうか!」


「いいえ、特にそのようなものはありません。日頃の特魔の皆さんの働きにはとても満足していますよ。ただ、今はできる限り力を集める時期なのです。それを理解してください」


「特魔……」


 ブロンズの口からも聞いた単語に幸多が反応すると、セラが説明した。


「魔術師対抗特別部隊。通称特魔と呼ばれる部隊は、魔術師の襲撃にも対応できるように魔術について教育を受けた兵士たちで編成されています。国の全兵士の割合で見ると数は圧倒的に少ないですが、どの兵士も非常に優秀なんですよ。隣にいるボルガスは、その特魔の隊長を務めています」


「へえ。……どうも」


 とりあえず幸多が隣のボルガスに挨拶すると、ボルガスのこめかみにくっきりと太い血管が浮かび上がった。


「どうも、だと。ここにいることが当たり前のような顔をしているが、そもそも貴様は姫様のお声がなければこの城の中に入ることができる身分の人間じゃないんだぞ!」


「ボルガス!」


 幸多を蔑むボルガスに対し、セラは怒りの形相で叱責する。


「幸多さんに無礼を働くことは断じて許しません! それに幸多さんは今日から王宮専属魔術師となり、これからは時に仕事を同じにする仲間です。身分といった考えは捨て去りなさい」


「……お言葉ですが姫様、私はこやつが王宮専属魔術師となることを認めておりませんし、自分の仲間だと認めるつもりもありません」


「ボルガス……」


 はあとため息をつき、セラは額に手をついた。

 幸多自身、ボルガスの言い分は分からなくなかった。今まで必死に主君をお守りしていたところに、ポッと出の若者が突然自分の範囲に飛び込んできて、しかも特別待遇を受けていると思えば誰でも良くは思わない。加えて幸多は魔術を全く使えない。そのこともボルガスは知っていての抵抗だろうと思った。


 ならば、と幸多はボルガスの方を向いて、言い放った。


「分かりました。じゃあ、専属魔術師になるのやめます」


「!」


 流石にこの展開はボルガスも予想していなかったようだ、目を丸めて呆気に取られている。


「こ、幸多さん……冗談ですよね?」


 セラもひどく焦っていた。やっとの事で手中に収めた人材が手元から離れていきそうになっているのだから当たり前だ。


「冗談じゃないですよ、やめます」


 ここで「ただし」と幸多は付け加えて、


「僕がボルガスさんとの勝負に負けたら、ですけどね」


「……勝負?」


 ボルガスはピクリと眉を動かした。


「ええ、勝負です。姫様のそばにいる者として、もちろん力も必要だと思いますが、ここも必要だと思うんですよね」


 言って、幸多は自分の頭を指差す。


「そこで、今から僕が提示するゲームで頭脳と度胸を競いませんか? その勝負に僕が負けたら潔く専属魔術師を諦めようと思います」


 幸多の提案に、ボルガスはふんと鼻を鳴らした。


「この世界に来てからの動向は私も耳にしていたが、どうやら相当己の頭に自信があるようだな。姫様もその部分を買ってお前を推しているようだし、貴様が姫様のそばに必要ないことを示すいい機会だ。そのゲームとやらの内容次第では乗らんこともない」


「よし、じゃあ決まりですね」


「はっ、その余裕もいつまで保っていられるか見ものだな」


「え、えっと……あのー……」


 二人の間で話が進んでいく中、セラはただただ慌てふためいていた。

 そんなセラに、幸多は訊ねる。


「姫様、この世界に裏表でデザインが異なるコインはありますか?」


「は、はい。もちろん硬貨は存在しますが」


「では、硬貨二枚とテーブル、それと僕らが座る椅子をここに用意してもらっていいですか?」


「……はい。今すぐ用意させましょう」


 一体何を始めようとしているのか見当がつかなかったが、セラは部屋の外に待機していた使用人を呼び寄せた。幸多の発言を聞いたバルガスは眉を寄せて、


「一体どんなゲームをする気なんだ。コインと言っていたが、まさか単なる裏表を当てるだけの遊びにもならんものじゃあるまいな?」


「まさか、違いますよ。これからやるのはーー」


 幸多はニッと口角を上げて、そのゲーム名を言った。



「ーー『囚人のジレンマ』です」





 テーブル、椅子、金貨がそれぞれ用意され、バルガスと幸多がテーブルの対面についたところで、幸多は口を開いた。


「今から行うゲームは、いかに刑務所に捕まった囚人たちを逃がすことができるか、というゲームです」


「囚人を、逃がす?」


「はい。囚人たちを逃がすために、私たちはこのサブルダ金貨の裏表で囚人の行動を決めます」


 幸多は手に持つ異世界の金貨を煌かせる。


「金貨で示すため、当然囚人の行動パターンは裏表の二択。まず初代女王様の肖像が描かれた表を『協力』、またコルージャ宮殿が描かれた裏を『裏切り』として私たちは同時に金貨を出し合い、その結果によって自分たちの囚人を逃がせるかどうかが決定、これを一セットとして全五セットの勝負を行い、より囚人を多く逃した方が勝者となります」


「なるほど、互いの金貨の裏表の組み合わせで勝負が決するということか。組み合わせの結果は?」


「それは今から。まず表の『協力』とは相手、つまりバルガスさん側の囚人と協力して脱獄するという意思表示です。これを出した上で相手も『協力』を出せば、協力し合うことでお互いの囚人を一人ずつ逃がすことができます。ただ……」


 幸多は手に持つ金貨を返し、裏をバルガスに見せる。


「裏である『裏切り』はその名の通り、相手の囚人を裏切って自分だけ逃げるという意思表示。自分が『協力』を出した上で、もし相手が『裏切り』を出した場合、自分の囚人を逃がすことはできず、相手の囚人だけ逃げていきます。そしてお互いが『裏切り』同士であった場合は、互いに足を引っ張り合うため、両方とも囚人を逃がすことができません。以上がルールの全てであり、囚人のジレンマというゲームの全容です」


 正確には、囚人を逃がすのではなく囚人の懲役期間を決める駆け引きのことを言うのだが、今回は分かりやすく勝負をするために若干内容を変更した。



 ルールを分かりやすくするとこのような形。


 【セットごとの組み合わせと囚人逃走の関係】


 『協力(表)』×『協力(表)』→互いに一人ずつ囚人を逃がせる。


 『協力(表)』×『裏切り(裏)』→逃がせるのは『裏切り』提示者の囚人のみ。


 『裏切り(裏)』×『裏切り(裏)』→どちらも囚人を逃がせず。


 【勝利条件】全五セットで多くの囚人を逃したもの。



 しかし、実はこのゲームには致命的な欠点が存在する。バルガスもそのことにすぐ気付いた。


「おい待て、今聞いたルールが全てならこのゲームは成立しない。『裏切り』の意思表示をし続ければ、少なくとも負けることは絶対にありえんからだ。貴様、俺を舐めているのか?」


 バルガスの指摘に、幸多はご名答とばかりに指を差した。


「はい、その通りです。『裏切り』さえ出し続けていれば、相手がずっと『裏切り』でも引き分け、運良く『協力』を出してくれれば勝つことができる。負けることはありません。別にバルガスさんを舐めているわけではないですよ、実際にこういうルールなんです。まあそれでもこのままじゃ勝負にならないので、今から『協力』を出しやすくする追加ルールを発表します」


 じゃじゃんと幸多は棒読みで効果音を発し、指を一本立てた。


「まず一つ。一セット目から五セット目までずっと『協力』を出し続けた場合は、結果に関係なく最後一気に五人の囚人を逃がせることにします」


「!」


 ボルガスは喉を鳴らした。一セットにつき逃がせる囚人の人数は一人という基本ルールの中で、五という数字は計り知れないものだった。


 幸多は間を置くことなく、淡々と進めていく。立てた指が二本に増えた。


「そして二つ目。最初から四セットまで『裏切り』を連続で出し続けていたとしても、最後の五セット目で『協力』を出し囚人を逃がすことができれば、一気にプラス十人の囚人を逃がせることにします」


「!!」


 先ほどの数の倍にあたる『十』という数字が現れ、さらにバルガスは驚く。

 だが幸多はここですぐさま「ですが」と補足する。


「十人を逃がせるというのは五セット目で囚人を逃がすことに成功したらの話です。もし逃せなかった場合は、十人という特別ボーナスどころか今まで逃してきた囚人も全て再び捕まってしまいますのでご注意ください」


 再び捕まる。つまりそれは、逃した囚人の数がゼロになるということだ。


「……必ずしも最後に『協力』を出せばゲームを制することができるわけではないということか」


「はい、そうです。どうですか、この勝負受けますか?」


「…………」


 ルール説明の初めから見られる幸多の余裕な姿に、バルガスは引っかかっていた。このゲームは幸多の提案であり、まずゲームの戦い方を知り尽くしていると思っていい。そうなると、初見である自分は圧倒的に不利だった。

 それでも、


「いいだろう、受けてやる。この勝負の果てに、いかに自分が身の程を弁えていなかったのか思い知るがいい!」


 負けるはずがない、自分には勝利しかないというずば抜けた自信がバルガスの背中を押した。国で一番の大学を卒業し、国の中でも上位の頭脳を誇っている者としてのプライドがある。どこの馬の骨かも分からん異世界の若造なんざに負けられないという思いでいっぱいとなっていた。


 幸多はバルガスの宣言を聞き、密かにほくそ笑んだ後、


「じゃあ、勝負を始めたいと思いますが……ところで、今の状況はちょっと不公平に思いませんか?」


「? それはどういうことだ?」


「いや、だってそうだと思いません? 僕は専属魔術師という職業を賭けているのに、バルガスさんは何も賭けていませんよね?」


「何が言いたい?」


「だからですねーーお互い自分の立場を賭けてフェアにしませんか、ということです」


 幸多はバルガスの軍服に視線の照準を合わせた。


「それは、俺が負けたら隊長から退けということか」


「いいじゃないですか、私に勝てばそんなことをする必要はないんですから。ただ、バルガスさんも何か賭けたほうが、よりこのゲームを楽しむことができると思いまして」


「貴様……初めからこれが狙いだったな」


「…………」


 問いかけに、幸多は何も言わずただバルガスの顔を見つめていた。

 バルガスは目を閉じ、鼻で一度深呼吸を行った後、


「いいだろう。隊長という立場は簡単に捨てられるものではないが、私はこの国の兵士として、国のためならいつでも死ねる覚悟をもって日々生きている。この程度の重みで怯むことは万に一つありえん!」


 自分が兵士である誇りを胸に幸多の誘いに乗ったが、やはりどこかで自分の勝利が決定付けられているという思いがこの発言へと導いた。


「では、お互いに賭けるものが決まったところで、始めましょうか」


 幸多の合図でバルガスもテーブルに置いていた金貨を手に持ったところで、


「あ、あの! 審判は私が務めさせていただいてもよろしいでしょうか? ルールはしっかり把握いたしましたし、正当な勝負となるよう第三者の監視というのも必要ですよね?」


 ここまで除け者にされていたセラが審判としてのゲームへの参加を求めてきた。幸多はどうするかバルガスに視線を向けると、


「おお、それは光栄の極み! 姫様が見ていてくださると思うとこのバルガス、安心して勝負に集中する事が出来ます!」


「…………」


 セラは幸多を王宮専属魔術師にさせたいと思っているのだから普通ならむしろ幸多に不正を働くことはないか疑うべきなのに、兵士の忠誠心というのは大したものだなと幸多は若干皮肉を交じえて思った。


「では、早速仕切らせていただきます。一セット目。双方は、金貨提示の準備を」


 ついにゲームスタート。バルガスは開始と同時に、テーブルの下で迷わず金貨の裏側を上に向けて『裏切り』の準備をする。

 当たり前だった。いくら『協力』を出しやすい追加ルールがあるとはいえ、それでもまだ『裏切り』が絶対的有利であることに変わりはない。下手に初めから『協力』を突っ込んで『裏切り』をされた場合その後の挽回は中々難しい、なにせ全部で五セットしかないのだから。特に一セット目は様子見という意味でもここは『裏切り』を出すべきだと、それがこのゲームの定石なのだとバルガスは信じて疑わなかった。


 だからーー


「では、双方同時に金貨をテーブルへ!」


 セラの声とともに置かれた幸多の金貨ーー初代女王の肖像が上となったそれを見て、バルガスは一瞬息を詰まらせる。


 幸多の意思表示は、バルガスが導き出した定石を覆す『協力』であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ