ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック
兵士に先導されて五分少々、幸多は王城に到着した。王城の玄関には、何層にも重なってできたシャンデリアが天井から吊るされ、また気品ある赤のカーペットの両脇で多くのメイドや執事が揃って幸多を出迎えていたりと、外観同様に中身もまさに王族が住むに相応しいものであった。
「姫様がいらっしゃるのはこちらのお部屋です。申し訳ありませんが、入室時は頭を下げたまま中へと入られまして、部屋の中央部分で片膝をついて姫様のお声をお待ちくださいませ。何分、この国における王族との対面の際の儀礼となっておりますので、ご了承ください」
「……はあ」
やがてとある部屋の前に辿り着くと、兵士は幸多の状態を気にすることなく手短かに話して扉に向かい立つ。訳の分からぬまま連れてこられている幸多にとっては一体何のこっちゃという話だが、もう成り行きに任せるしかなかった。
兵士は力強く扉をノックし、
「姫様、和馬幸多様をお連れいたしました!」
「……どうぞ中にお入りください」
兵士に応答した声は扉越しで微かにしか聞こえなかったが、それでも幸多の中の記憶、特に新しい部分で該当した。間違いなく彼女だ。
兵士はゆっくりと両手扉を開き、中へと促す。
「さあ、お入りください」
「……失礼、します」
とりあえず言われた通り幸多は頭を下げながら中へと入り、何歩か進んだところで床に膝をついた。直後、「二人きりにしてください」という声に、幾つかの足音が部屋の外へと向かって行き、扉が閉められた。
「顔をあげてください、勇者様」
勇者。ここへ来る前にブロンズも口にした、RPGの世界では欠かすことの出来ない存在。
今この部屋にいるのは他に幸多のみ。疑いようもなく、勇者と呼ばれたのは幸多だった。
幸多は今まで縛られた状態からいきなり解き放たれたかのように、一気に顔を上げる。目の前には、玉座にちょこんと座る一人の金髪少女。服装はドレス姿に変わっていたが、間違いなく図書館の地下倉庫で出会っていた。
「セラ……」
「おや、私の名前を覚えていてくださいましたか!」
地下倉庫の時とは違い、日本語ではなくこちらの世界の言葉で話すセラ・フォンバステンはキラキラと瞳を輝かせて、幸多が自分の名前を覚えていてくれたことを喜んだ。
その反応に、幸多は、
「そりゃあ、僕を異世界に突然飛ばした人間なんだから、簡単に忘れる訳がない」
「あ……うう、そうですよねえ」
ガタッと玉座の肘掛けに載せていたセラの腕がずれ落ちた。
セラは調子を崩しながらも、釈明する。
「で、ですが、わたしは必ずしも勇者様を無理矢理この世界に引っ張り込んだ訳ではないんですよ? そのことには、もうお気付きでいらっしゃるのではないですか?」
「…………」
幸多は何も返せなかった。ここまでの異世界での生活で、すでに自分が望んでいた部分があることを肌で感じ取っていたからだ。
押し黙る幸多に、セラは「それでも」と、
「私は勇者様をこの世界に呼び寄せた後、暫くの間放置をして本当に呼び寄せるべき人材であったかどうか勝手に審査をしていました。このことにつきましては、こちらに全ての責任があります。お詫び申し上げます」
セラはスッと玉座から立ち上がると、両手を前に重ね深く頭を垂れた。
「え、えあの、ええ?」
セラの行動にどう対応していいか困惑する幸多。突然お姫様に頭を下げられ、その様子が図書館の地下倉庫であった時の感じとは大分異なるため、本当に同一人物なのか自分の中で二人のセラが適合せずエラーを起こしてしまっていた。
幸多が故障しているなど露も思わず、セラは続ける。
「もし、もしこの非礼をお許しいただけるのであれば、これから私の話を聞いていただけますでしょうか? もちろん、そのために金銭が必要とあらば望む額をご用意いたします」
「いや、いい、いらない、です。……僕としても自分の中で整理をつけるために是非とも話を聞きたいと思っている……いますんで」
タメ口と敬語がちぐはぐになっている幸多に、セラは一度微笑んでからドレスのスカート部分を両手で軽くつまみ、品格ある姿で挨拶を始めた。
「改めまして、私はサブルダ王国を治めるフォンバステン家の王女であります、セラ・フォンバステンと申します。どうぞこれからは気軽に『セラ』と、年下と接するように私とお話していただけたら幸いです、勇者様」
「ええ……まあでも、正直なところ僕としてもその方が話しやすいところはあるから、ありがたい。じゃあ……セラ、一つ聞いてもいいかな?」
「はい、なんなりと!」
セラは満面の笑みを浮かべて首肯した。幸多はお姫様なのにタメ口を使われたいなんて変な性格しているなと思いながら、自分もよいしょと立ち上がり、問う。
「さっきから僕のことを『勇者』って呼ぶけど、一体それはどういうこと?」
「はい、先ほども申し上げました通り、私は、正確に言うと私たちはあなた様を審査していました。その内容は、勇者様がこの国を救う勇者という存在となりえるかについてです」
「……それで、今ここに呼ばれているってことは、僕はその勇者に合格したってことでいいのかな?」
「もちろんです。あなた様は私が選んだ通りの、知恵と勇気を備え持つ、勇者の中の勇者です!」
「あ、はあ、どうも」
照れ臭く後頭部をかきながらも、この時ようやく審査という言葉の意味に気付く。
「ちょっと待って。審査って、こっちに来てからもセラは僕のことずっと見ていたってこと?」
「いえ、この世界からは兵士の皆さんに監視をお願いしていました。あくまで審査ですので、私自身の介入はたとえ見守るだけだとしても極力避けました。ただ、この街へ来てもらわない限りはしっかり審査することができませんので、街へと来るよう魔術で誘導はしましたが」
「誘導って……じゃあ、僕が街へと続く道を選んだのも」
「草原で一本道の二方向のうちこの地区へと繋がる方を選ぶように仕向けたり、また街に訪れた際に王城が見えては少し入り辛くなるだろうと思い、城に【視線外しの魔術】をかけていたのは私です」
ふふふと楽しそうにセラは笑ったが、幸多はがっくり肩を落としていた。第六感の実験が他からの干渉を受けていたためだ。第六感の存在を信じ始めていた自分がすごく恥ずかしくなっていた。
「そう……だったんだ。じゃあ、もしかして昨日の騒ぎも、審査の中での試験? 何とも過激な審査だったけど」
「あ、いえ、それは……」
「……?」
とここで、セラの表情から笑顔が消え失せ、何やら深刻そうなものとなった。
「早朝の一件は、私が起こしたものではありません。実は、このことがあなた様をこの世界へ呼び寄せた理由にも繋がってくるのです。少し長くなるかもしれませんが、いいですか?」
「う、うん」
元から断る気はなかったが、シリアスなムードに一転し断れるわけもなかった。
セラは「ありがとうございます」と言ってすぐ、話し始めた。
「そうですね、まずはこの世界の歴史から話すことにしましょう。今でこそ平和が保たれていますが、つい五十年ほど前までは、この世界で神々による争いが繰り広げられていました」
「!」
元いた世界とは何次元もかけ離れた切り出しに幸多が飲み込めずにいると、セラは苦笑した。
「いきなりこんなこと言われてもついていけないですよね。【受け入れの魔術】を使ってもいいのですが、結局受け入れても理解にまでは繋がらないので意味はないんです。歴史の一片としてそのようなことがあったという程度でいいので、ご理解いただければ」
「うん……努力する」
セラは幸多に小さくお辞儀をして話を続ける。
「そして神々の争いは同種同士のものに留まらず、のちにそれら各々を信仰する人間たちの間にも飛び火していきます。神々の衝突により海や大地が消滅し、世界の終焉が刻々と迫っていく中で、人間同士でも争いを始める。あれ以上の地獄を未だかつて私は知りません」
セラは目を細め、虚空を眺めながら話した。
「しかし、終わり果てたと思われた世界に、救いが訪れました。かつてのこの国の女王が異世界から勇者様を召喚したのです。前の勇者様は様々な魔術を用いて人々の争いを鎮め、また他の魔術師とも結託して神々の戦いをも終結させました。それだけはありません。いかなる理由があっても戦争を始めることを禁止とする、唯一として絶対的な世界法律を打ち立て、五十年経った今でも守られているのです」
「……は?」
異次元の話が一周して少し幼稚なものとなり、思わず幸多はそんな声を出していた。それにセラも頷く。
「はい、勇者様のお気持ちは分かります。『そんな法律を立てれたら苦労しない』ですよね? ですが、実際にこの世界では成り立ってしまうのです。勇者様のいた世界とは違い、この世界では神への信仰、言うなれば宗教が非常に大きな部分を占めています。そこに前の勇者様は目をつけ、神々に対し自分たちを崇め奉る信者たちの教典に戦争禁止の一文を入れさせるよう打診し、神々もそれを受け入れたことで世界法律の実現へと繋がりました」
「…………」
やはり稚拙な内容に幸多は何とも言えなかったが、それが事実であるならば納得するしかなかった。
だが、だとしても疑問が残る。
「その前の勇者が五十年前に世界を平和にしてそれが今もずっと続いているのなら、わざわざ何で今回僕を召喚して、勇者と呼べる人材か審査……して……」
言っている途中で幸多は理解した。なぜ自分がセラによってこの世界に召喚されたのか。
「五十年続いた世界平和が、崩れそうなのか」
その問いに、セラは深刻な面持ちで首肯した。
「勇者様の母国である日本と比べるとまだまだ遠く及びませんが、近年はこちらの世界でも科学技術が発展してきています。そのことで、少しずつではありますが昔よりも宗教の重要性は薄れてきており、魔術師と呼べる存在も年々数が減ってきているのです。これは習得するのが大変難しい魔術よりも簡単に利用でき、尚且つ応用も楽に行うことができる科学の力の方が有用性があると世間の人々が認めた結果の当然の流れなのですが、魔術師の中にはこれをよしと思わない人々も少なくありません」
「まさか、今回の騒動を起こしたのも……」
「ほぼ間違いなく、時代の流れを認めない魔術師の仕業だと思います。そういった魔術師たちがどこまで考えて行動を起こしているのかは分かりませんが、狙いは魔術師の時代の復興です。それを実現するために、魔術師たちは自分たちの価値を再認識させるべく、世界戦争を再び起こそうと行動しており、特に最近その活動が活発になってきています」
神々の戦いよりも、こちらの方がよっぽど現実的に話を聞けていた。
戦争は一般的に多くの悲劇を生むものとして否定されているが、戦争によって潤う人々がいるのも事実だ。それは戦争の勝者だけではない。例えば武器商人は戦争を行っている国やテロリストと何の関係がなくても、武器を売り続けることで懐が潤う。それ以外にも戦争が始まることで楽しい思いをする人々は意外と沢山いる。
魔術師もそのような存在を狙っているのだ。魔術は科学と比べると扱いが難しいものかもしれないが、その威力は相当なもの。戦争という緊迫した状況では一層にその輝きが増し、改めて魔術師の価値を見直す良い機会となる。単純だが、実に合理的な考えだと幸多は思った。
「戦争ができないといっても、それは単に法律や宗教の規律で定められているだけで、宗教の重要性が薄れてきている今では昔ほど拘束性はありません。前の勇者様はすでにおらず、神々も五十年前を反省し、今後一切人間たちの生活には関わらないことを決めているようで五十年間一度も顕現した気配がなく、これも宗教の荒廃が進んでいる理由の一つとなっています。このままでは、いつか本当にまた戦争が起こってしまう。その危機感から、今回【転移の魔術】の効果を持った『魔導の書』により、新たな勇者様を呼び寄せるに至ったわけです」
おとぎ話のような話に自分も関わっていることが、幸多はにわかに信じ難かった。
魔導の書。地下倉庫で読んだ、魔術の力を秘めた本。
魔術とは人間の心理を最大限に引き出す力だ。人間の心理を最大限に引き出せば異世界に飛べるのかと言われたら確率は限りなくゼロに等しいが、全くもってゼロであることも幸多は言えなかった。
要は異世界への行き方を知らないだけなのだ。魔導の書にその行き方が記されてあり、それを忠実に再現するような催眠状態にさせる仕組みを構築出来ているとすれば必ずしも不可能ではない。
人間の意識とは氷山の一角で、その何十、何百倍もの大きさの無意識が水面の下に眠っていると言われている。あくまで人間が異世界に転移できる可能性を天文学的数値の確率と思っているのは意識の部分であり、無意識の部分を引き出すことができれば、確率なんてものはいくらでも上がるのである。
ともあれ、これで幸多が勇者と呼ばれる所以が判明した。
「私は度重なる転移で多くの人々を観察し、幸多さん、あなたがもっとも勇者となりうる素質があると判断し、実際あなたは知恵と勇気でこの街を救いました。あなたこそ現代の新たなる勇者です。どうですか、勇者としてこの国を、世界を救ってみるとかは?」
「どうと言われても……はっきり言うと勇者なんて言われても困る、そんなのになるつもりはさらさらないよ。僕は魔術に興味があるだけで、世界を救うことに興味はないから」
「……世界戦争が始まったら、魔術を研究する暇も無くなってしまうと思いますが、それでも?」
「そんなこと言われても、興味がないものはしょうがないよ」
「そ……そうですか」
セラは和馬幸多という人物をわざわざ日本に転移して調べていただけあり、性格は熟知しているつもりであったが、まさか世界を救うことに興味がないと言われて断られてしまうとは予想だにしていなかった。
しかし、セラもこの後が無策であるほど馬鹿ではない。ふうと大きく息を吐いて仕切り直し、
「それならば仕方ありませんね。では、話を変えましてーー幸多さん、王宮専属魔術師に興味はありませんか?」
「……え?」
明らかに食いついた様子の幸多を見てにやけてしまいそうな気持ちを、セラは無理矢理押し殺す。
「今は勇者様としてのあなたではなく、和馬幸多という一人の人間に交渉を持ちかけています。王宮専属と言ってもうちの家系は私以外は滅多に魔術師を必要としませんから、正確にはほぼ私専属の魔術師ですが。もしなっていただければ、この王城に眠っている魔術に関する本を好きなだけ読めますし、他にも魔術の研究で必要なものがあれば何でも揃えて見せましょう。専属魔術師が育ってくれれば、それだけ私も助かりますしね」
「……でも、僕は魔術を使えない」
「だからこそ、ブロンズ・ガラタの弟子になったのではないですか?」
「!」
驚く幸多に、今度はセラも笑いを堪えることができず、ふふっと吹き出した。
「知ってますよ、たとえここに来る寸前の出来事だとしてもしっかり調べ済みです。まあそれはいいとして、彼女の弟子になれたのであればそれだけで合格と言っていいと私は思っています。彼女ほど優秀な魔術師はそうそういませんから、その技術を受け継ぐ人材をこちらとしても逃したくありません」
「その口ぶり、ブロンズさんを知ってるの?」
「ええ知っていますとも、なにせ彼女も昔は王宮専属魔術師でしたし、この王城で自身の魔術の技術を磨いているのを私も見ていました」
「…………」
幸多は顎に手を添えて考え始め、それにセラは心の中でガッツポーズ。
元々は異世界で平和に暮らしていた人間が、突然勇者となって世界を救ってくれと言われても簡単には承諾できないことは予測済みであった。そこで、セラはそれよりもハードルの低い王宮専属魔術師という選択肢をあらかじめ用意していたのだ。一度こちらが提示した案を譲歩すれば、相手も譲歩せざるおえない気分になる。ちなみにこのやり方を幸多が元いた世界では『ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック』と言うのだが、そんな名称があることまではセラは知らない。
特に幸多は強烈なまでに魔術に対し興味を持っている。そんな彼にこのような美味しすぎる話を提供すれば、乗らない理由などどこにもなかった。
「……専属魔術師の仕事内容は?」
「基本的に私の仕事を魔術によってサポートすることですね。ブロンズはよく仕事が多忙を極めて疲労を抱えた私を治療して体調管理に気を配ってくれていました。そういった仕事です」
セラ自身嘘はついていない。実際仕事内容はそういうことだ。
仕事のサポート、つまりそれは戦争を未然に防ぐというセラの仕事の補助。専属魔術師となった幸多は、知らず知らずのうちに勇者としての仕事も行うことになるのだ。
もちろん幸多は馬鹿ではない、近いうちに気付かれてしまうだろう。それでも、専属魔術師であることの旨みを一度知ってしまえば簡単に抜け出すことはできまい、というところまで考えた上でのセラの巧妙な策略であった。
「現在我が国の専属魔術師は一人もいないため、先輩魔術師による縛りなどもなく、比較的自由に作業に打ち込める環境であると思いますよ。どうしますか、幸多さん?」
ーーやれええええええええ! やると言ええええええええ!
心の声が聞こえてきそうなほど威圧的に訊ねるセラに対し、幸多の決断は。
「それじゃあ、やります」
ーーよっしゃああああああああああああああ!
という、喜びの心の声もつかの間。
「ーー失礼いたします、姫様」