王城
騒動から四時間後。とある王城の会議室にて、その会議は行われていた。
「どうですか皆さん。やはり彼はやってくださいました、彼がこの街を救ったのです」
「し、しかしですね姫様」
男の功績を興奮気味に主張する高貴な白いドレス姿の皇女に対し、城下の住民が身につける服の生地とは比べ物にならないほど高品質なもので織られた軍服を着用する筋骨隆々の大男が異論を唱える。
「恐れながら、今回の一件につきましては、我々『特魔』が街の住民たちの暴動に精力的に対処した結果でありまして、我が隊の働きが非常に大きな部分を占めていると自負しております」
「そうですね。もちろん、特魔の皆さんの働きにも非常に満足しています。褒美もいくらか用意していますよ」
皇女はにこりと微笑みながら「ですが」と付け加え、
「そのことと彼が成し遂げたことは全くの別問題です。彼は蓄えた知識、また備え持つ勇気を最大限に発揮し、暴動の原因である空き家に仕掛けられた魔術の印を発見、無力化しました。これは揺るがない事実です」
「そ、そうですが……」
軍人はそれでも納得いかないという様子であったが、皇女は会議の参加者全員に向かって発した。
「突然の異世界への転移にも早々に対応し、濡れ衣を着せられた少女を救い、そしてこの街を救った。これ以上何を見て、何を望むというのです。私は改めて確信しました。彼こそこの国に、いやこの世界に必要な人物であり、私は間違っていなかったのだと。もう、文句は言わせませんよ」
そして、声高らかに宣言する。
「私は彼ーー和馬幸多を、本日をもって王宮専属魔術師に任命します」
「…………」
幸多は目覚めてから、目の前に広がる天井がガラタ家のものであることに気が付くまで時間はかからなかった。全身に筋肉疲労の重みを感じ、汗の臭いが鼻孔を突く。右手を持ち上げると、寝る前に拭き取ったはずの木の実の汁はまだ残っていたようで、パリパリに乾燥した青色がこびりついていた。
幸多はやっとの思いで上半身を起こして部屋の窓を開ける。スーッと涼しい風が部屋を駆け抜け、新鮮な空気を浴びた幸多は決意を思い出し、パンパンと二度自分の頬を叩いて気持ちを奮い立たせ、部屋の扉を開いた。
「僕を弟子にしてください……違うな。どうか僕を、あなたの弟子に……」
階段を下りる過程で、ブロンズに頼み込むセリフを整える。まさかこんなことをする日が来ようとはと自分自身でも信じられないが、早朝の出来事で、幸多は自分の心理学の知識が通用することを証明したと同時に、魔術の魅力にすっかり取り憑かれていた。
これからも満たされていくためには、魔術という存在を避けて通ることはできない。果たして異世界からやってきた自分が魔術を使えるようになるのかは不明であるが、もしできるのであれば修得するために『教官』と呼べる人物をどうしても作る必要があり、ブロンズ以外幸多の中でありえなかった。ブロンズの見立ての性格上、一度頼んだだけでは弟子にはしてもらえないのではと思っているが、その時は相手が折れるまで頭を下げ続けるつもりでいた。
「あ、お兄ちゃんおはよー」
一階に下りると、サーシャが元気な様子でこちらへ近づいてきた。何やら医療器具らしきものを多数所持しており、祖母の仕事の手伝い中であることがうかがえた。
「おばあちゃんから聞いたよ、昨日は大活躍だったんだってねー。サーシャも起きてればよかったなー。全然気が付かないでぐっすり寝ちゃったよー」
サーシャは唇を尖らせてひどく残念そうに言ったが、幸多は寝ていてくれて良かったと心底思った。
割れ窓理論を利用した魔術について、幸多はこの世界に来たばかり、またブロンズは毎日ほとんどの時間を診療所で過ごしていたことで空き家の存在を知らなかったために影響を受けなかったが、サーシャの場合は外に出かけることもままあるようなので、もし起きていれば大変なことになっていたかもしれない。もっとも、魔力で最大限に引き出された不安感が睡魔に負けている時点で、受けていた影響はごくわずかであることが予想できるが。
「いやいや、そんな大したことでもないよ。それより、ブロンズさんは?」
「おばあちゃんなら今午前診療の真っ最中だよ。一緒に行く?」
「や、えっと、一人で行かせて」
「え? うん、分かった」
不思議そうに首を傾げるサーシャに構わず背を向け、幸多は診察室を目指す。普通なら昼休みまで待つべきであろうが、幸多はこのような行為に慣れていないため、迷わず進むことを選択した。
「おはようございます、ブロンズさん」
診察室に入ると、当然のことながらブロンズが患者の治療を行っており、まずは挨拶。
そして早速本題へ。
「それで、あの、僕を弟子にーー」
「今日からあんたに魔術を教えるよ」
「ーーしてく…………」
展開についていけなかった幸多はフリーズを起こし、それはブロンズが治療を終えて患者が診察室を出て行くまで続いた。
「え……えっと……今、なんて?」
「だから、今日からあんたに魔術を教えるって言ったんだよ。何度も言わせないでおくれ」
ブロンズの言葉があまりにさらりとし過ぎているため、やはりここでも理解するまでに時間を要したが、流石に二度目であるため言っている意味を把握した。
「な、な、なんでそんなことを思ったんですか?」
「え? 別に嫌なら無理にとは言わないけど。むしろその方がありがたいんだがねえ」
「お願いしますぜひ教えてください」
ザ・即答であった。今後一生、幸多はこんな速度で人に教えを請うことはないだろう。
ブロンズはそれを聞いて面倒そうにため息を吐いた。
「まあ、昔も今も、私は人に何かを教えるようなガラじゃあないんだけどね。ただ、どうせ姫様はまた私を勇者担当にするだろうし、遅かれ早かれの話だからね。先に私から言っておいたんだよ」
「姫様……勇者……?」
「ま、すぐに説明があるさ。もう時期迎えが来るよ」
迎えとは何かを聞こうとした時、ドンドンドンと強くこの家の扉が外から叩かれる音が響き、
「和馬幸多様はいらっしゃいますか? 姫様の命の下、お迎えに参りました!」
ーーえ、僕の名前を知ってる……迎え?
「さて、言ってるそばからどうやら来たようだね」
よっこらしょとブロンズは椅子から立ち上がると、幸多をポンと軽く叩き、
「ほら、行くよ。あんたの客なんだから」
「いや、そんなことを言われても……ブロンズさんは相手が誰か分かるんですか」
「分かるとも。兵士だよ」
「兵士? 何で兵士が僕なんかに」
「言ってただろ、迎えだってーーセラ様からの」
「!」
セラ。ブロンズは確かにその名前を口にした。別人かもしれないが、幸多の中で胸騒ぎが止まらなかった。
「おお、いらっしゃいましたか。反応がないものでどこかへ出かけられてしまっているかと思いましたよ」
すると、診察室のカーテンを潜って一人の若い男性が入ってきた。全身とまではいかないが、体の要所の部分を鎧で覆っており、それはいかにも『兵士』という出立ちをしていた。
兵士は一度勝手に入ってきたことを謝罪してから、すぐに本題へと戻した。
「さあ、行きましょう。姫様がお待ちです」
「あのー……行くって、どこへ?」
「無論、姫様がいらっしゃるこの街の王城です」
戸惑う幸多に兵士は当たり前のように告げたが、そのことで更に幸多は混乱した。
「いや、この街の王城って、ここに来た時にはそんなものどこにもーー」
「【視線外しの魔術】」
幸多の発言に、ブロンズが謎を紐解くキーワードを被せ気味に伝えた。
「…………っ!!」
少しの間の後、解き明かした幸多は一目散に入り口へ。扉を開けて外に飛び出すと、距離にして二、三百メートル程先、今までは見向きもしないほど特に目につくものがなかったそこに、まさしく一目でお城と分かる巨大で豪奢な建築物が存在していた。
目につくものがなかったのではない、目につけさせていなかったのだーー【視線外しの魔術】で。
遅れてやってきた兵士は、呆然と立ち尽くす幸多に優しく微笑みかけながら言った。
「姫様のいる所までご案内いたします。そこで存分に姫様へお聞き下さいませ」