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異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
異世界転移編
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ブロークンウインドウズ【後編】

「本気で言ってるのかい……という問いかけは無用なようだね」


 視線を患者の男性に戻し、ため息を吐くようにそう言ったブロンズは「それでも一応言っておくけどね」と忠告する。


「外は今大勢の血気盛んなやつらで溢れてる、簡単に出歩ける状況じゃないよ。それだけじゃない、魔術が絡んでいるということは、当然その魔術を発動している魔術師もこの街にいるだろうね。魔術の術中にはまっている人数が人数だから、魔術師はおそらく複数人に魔術をかけられる何かをこの街に仕掛けてこの騒動を引き起こしているはず。となると、仕掛けるだけ仕掛けて本人は別の場所でその様子を見ている可能性も十分に考えられるけど、それでも場合によっちゃその魔術師との戦闘もありうる。魔術を知らないあんたがそんな場面に出くわしたら間違いなく死ぬよ。それでもやるのかい?」


 死というどうしようもなく圧倒的な単語が、幸多に重く突き刺さる。その意味を、幸多は嫌というほど経験し、絶望したことがある。

 魔術師。それが一体どんな相手なのか想像もつかない。自分のやろうとしていることがどこまで無謀なことなのか、検討なんてつくはずがない。


 が、全ての事象がどうであろうと、幸多の意志が揺るぐことはない。


「やります」


 ブロンズの忠告を、幸多は四文字で退けた。するとブロンズはさらに諦めの表情を強め、


「……勇者ってのは、いつの時代も頑固だねえ」


「え?」


「あーなんでもないよ」


 ブロンズはひらひらと手のひらを左右に振り、それから人差し指を幸多に突きつけた。


「それじゃ、もう私はあんたを止めない。今から言うことをしっかり覚えて、気合い入れて行ってきな!」




 ガラタ医院を出て十分。幸多は家の壁面に背中をつけてしゃがみ込み、曲がり角の先の状況を伺っていた。


「なんだよ!」「なによ!」


 幸多の目先には、言い争う男女の姿。二人とも口論にムキになって視野が狭まっている様子を見て、音を立てないように注意を払いながら、幸多は通路を横断して切り抜けた。それからも絶えず周囲に警戒の糸を張り巡らせながら四方八方を隈なく見渡し、同時にこの騒動の原因である『何か』を探す。


 幸多がブロンズから受けた説明は大きく二つ。一つは魔術師が利用しているこの騒動の原因の捜索について。もう一つは、原因を見つけた場合の対処について、である。


 今幸多が行うべきことは、もちろん一つ目の原因の捜索だ。ブロンズはそれについてこう話していた。


『この街に何かを仕掛けていると言ったが、具体的にそれが何で、どのように魔術を発動しているかは分からない。確かなのは、かなりの人数が魔術の術中にはまっている中、こうして私やあんたのように魔術から回避できている人間がいるということ。つまり、魔術にかかっている人間とかかっていない人間の間に決定的な『何か』の差があるということだ。それに注目して探してみると、もしかすると見つけやすいかもしれないねえ』


 つまり要約すると『魔術にかかっている人とかかっていない人の違いを探し出せ』ということだ。だが、それが分かったところで原因そのものの曖昧さは変わらず、候補は膨大に存在していた。


 はあ、はあと次第に幸多の呼吸音が激しくなっていく。普段運動をしない幸多は体力のキャパシティーも限られており、極度の緊張感の中での行動で消耗も普段の倍は早い。このままむやみやたらな捜索を続ければ、原因を見つける前に幸多の体力ゲージが空になることは確実だった。


 幸多は農具などがしまわれている物置小屋を見つけて侵入、身を潜めて思考に専念することにした。魔術についての知識は極めて乏しいが、ゼロというわけではない。つい数時間前に身につけたものがある。


 ーー魔術は『人間の可能性を最大限に引き出す力』。人間の心理と深い繋がりがある。


 ーーそう、だから心理学の理論から検索をかければ、必ずそこに騒動の原因はある。


 ーー地域の人々がイライラして、喧嘩も始めてしまう現象……。


 ーーいや違う、もっと根本から考えなければ。例えば。


 ーー地域の人々が相手を信じなくなり、神経質になってしまう現象……っ!!


「そうか、分かったぞ!」


「何が分かったんだ?」


 背筋にざわりと悪寒が走り振り向くと、いつの間にか閉めていた扉が開かれており、奥で右手に持つ木片を振りかざして立っている男の姿があった。

 まずい。その三文字を脳が察知する前に体が反射的に動き、幸多は男の一撃をギリギリのタイミングでかわした。


「やっぱり避けるんだな。どうせみんな、みんな自分のことしか考えてないんだ!」


 男は幸多が避けたことに酷く苛立ち、頭をかきむしった。


 幸い避けれたはいいものの、依然として事態は最悪。幸多は入り口から遠ざかってしまい、脱出するには男の攻撃をかい潜っていく必要があった。

 せめて少しでも隙は作れないかと、幸多は避けた先に立てかけられていたくわらしき農具を手に持ち、少々重量はあったが力の限り持ち上げて男に向かって振り投げた。するとそれに驚いた男は極端に回避行動をとったことで派手に転び、その結果退路を確保。幸多はとにかく前だけを見て小屋を走り出た。


 しばらくは先ほどの男の追っ手を振り切る為に走り続けていたが、やがて後方に見えないことを確認するとその場にしゃがみ込んだ。正直のところ、幸多は先ほどの(幸多にとっては)戦闘で一杯一杯となっていた。腰は砕けかけ、膝の笑いも止まらない。

 それでもいくらか息の乱れを整えると、幸多は立ち上がり、迷うことなく一歩を踏み出す。


 今、幸多の胸の中にあるのは、騒動を止めて街を救うことではない。確かに最終的にそれを成し遂げることが目的だが、幸多自身が求めているものとは違う。


 幸多が求めているもの。それはーー満たされること、である。


 幸多は元いた世界で毎日のように心理学の参考書や研究資料を読み漁っていた。理由は簡単、心理学に強い興味があったからである。

 しかし、同時に幸多は常に物足りなさを感じていた。心理学の本を読み、知識を蓄えていくことは楽しいはずなのに、どこかでいつも乾きを覚えていた。


 一体それが何なのか。どこかにその心理の正体は書いていないのか様々な本を開いたが、そうした気持ちの意味に気付いていないため調べだすことはできず、乾きは増していく一方であった。


 そんな心理学の本に溺れる日々を繰り返していた日常を抜け出し、たどり着いた新たな世界で、幸多は早々に答えを見つけた。


 ーー実践。


 幸多は身につけた心理学の知識を活用する機会を欲していた。自分の中にある心理学の全てを駆使し、全力でぶつかることが出来る最高の舞台を、心のどこかで待ち望んでいた。それに気が付いたのだ。


 そして、そんな舞台が現在自分の目の前に広がっている。魔術という不思議な力で人間の心理が最大限に表出される世界。これほどまでに幸多が満たされる世界が、果たしてどこにあるのだろうか。これ以上にこの世界へ来た意味が、果たして他にあるのだろうか。


 今幸多は間違いなく生きていた。活き活きと、力強く生を感じていた。

 変人と呼ばれても構わない。自分の中の乾きが潤えば。


 満たされれば、街でも世界でも救う気になれた。


 歩くこと数分。ついに幸多はお目当てのものを発見した。

 幸多の目の前にあるもの、それはーー好き放題に伸びたつる状の植物に全体を覆い尽くされ、窓も割れすっかり荒れ果ててしまっている、見るからに空き家と呼べる古い木造住宅である。


 割れ窓理論。


 アメリカのサンフランシスコはかつて無秩序状態となって犯罪が多発し、街が崩壊寸前まで追い込まれたことがあるという。

 出来事の起因は、ヒッピーが数件の空き家に住みつき始め、それを周囲の人間が黙認したこと。たったそれだけのことだが、それだけのことで街の治安は悪化した。


 原理としては、ヒッピーや落書き、そして窓の割れた空き家といった『小さな乱れ』を住民たちが見て見ぬ振りをし続けることによって、一人一人が「他の人たちはこの乱れを直そうとしない。これじゃきっと、何か事件が起こっても誰も助けてくれない。自分で自分の身を守るしかないんだ」という不安感を抱き始め、そのストレスが積もり積もってだんだんと神経質になって暴力的となり、治安が悪化していくという具合である。


 こうした小さな犯罪や秩序の乱れも放っておくと大きな事件に繋がる現象を、アメリカのケリング博士がブロークンウインドウズーー割れ窓理論と名付けた。


 物置小屋で遭遇した男も、幸多が自分のことしか考えていない点に対し過敏に反応していた。この割れ窓理論に気付いた幸多は、割れ窓理論を引き起こしそうなものに捜索対象を絞って探した結果、この古い空き家が目に止まった。術中にはまっているのは皆、空き家の存在を黙認し、無意識ながらも不安感を抱いていた人々だったのではないかと。魔術師は何かを仕掛けたわけではなく、元々この街ににあるものを利用して魔術を発動しているのではないか、と。


 慎重に中を確認した後、幸多は中へと入った。室内は木製のテーブルや棚が朽ち果てていて見るも無残な状況。人影はなく、どうやら魔術師と対決という絶対的バットエンドの展開は避けられたようだった。

 幸多は注意深く見回るも、特に魔術に関連していそうなものは見つからない。家の中にいるというのに幸多自身にも特に変化は見られず、まさか見当外れかと思いながらも、試しに棚をゆっくりと動かしてみると……それはあった。


 棚が置かれていた部分の床にーー六芒星を基調とした魔法陣のような小さいマークが、油絵の具のような素材で描かれていたのだ。


 明らかに異質。これが騒動の原因と確信した幸多は、ブロンズから言われた通りに行動を起こす。

 ブロンズに言われた二つ目、原因を見つけた場合の対処は、とても簡単だった。


『物なら壊せ。文字や陣なら、これを使って消せ』


 幸多はポケットから、ブロンズから渡された手のひらサイズの青色の木の実を取り出し、床の魔法陣の上で握り潰した。潰された木の実からは次々とドロドロとした濃厚な青い汁が溢れ出し、魔法陣を覆っていく。


 木の実の汁は、魔法陣を完全に隠したところで丁度溢れきった。そのことに一定の達成感を覚え、幸多が壁にもたれかかった途端、ギイと音を立てて扉が開きーー物置小屋で出会った男が入ってきた。巻いた後も幸多をずっと探し、追いかけてきていたのだ。

 反射的に幸多は応戦するべく身構える。物置小屋と違い武器になりそうなものはないが、それでも何としても退路を確保しなければ。どうにか逃げる術はないかと考えていると、男はぽかんとした表情で言った。


「こんなボロ家で何やってんだ。早く家帰らないとお母さん心配してんぞきっと」


 先程とは打って変わって親切心に満ち溢れた男は、言うだけ言うと眠そうに目を擦りながらすぐに出て行った。まるで本来の自分に戻ったかのように、その姿は自然体であった。


 ーーこれは……終わったっていう解釈で、いいんだよな?


「……はは」


 騒動の終焉にホッと胸をなで下ろすと、幸多は自然と笑い始めていた。


「はは、はははは、ははははははは!」


 一度笑い始めると止まらなかった。笑いを止めようとも、思わなかった。


 やがて数分後、やっと幸多が笑い終えると、空き家のバリバリに割れた窓から一筋の光が差した。どうやら、この街は只今をもって朝を迎えたらしい。


 日光が幸多の顔に直撃し、遮る過程で自分の真っ青に染まった手を見つめ、しっかりと感じた。


 自分が今最高に満たされ、最高にこの世界を生きていることを。

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