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異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
異世界転移編
4/24

プラシーボ効果

「ここだよ、お兄ちゃん!」


 サーシャに先導されながら歩くこと数分。比較的裏通りと思える通路に、周囲の家よりも少しばかり大きく構えたそれはあった。


 『ガラタ医院』


 音声同様に、日本語とは似ても似つかない文字が看板に羅列しているはずなのに、なぜかしっかり日本語として認知できていた。


 幸多はここまで為すがままについてきてしまっていたが、流れのままに中に入るべきか迷っていた。

 医者といっても、幸多が元いた世界の医者とは全くの別物と思っておいていいだろう。知識や腕に対する不安があるし、何より記憶喪失は嘘、いたって自分は健康なのだ。それなのに「重症だ!」などと言われ注射や手術をされそうになったら……逃れることはできるだろうが、逃亡すればちょっとした騒ぎになる可能性は十分にある。そうすれば折角見つけたこの街を早々に出なければならなくなるであろう。未だ十分な食料を確保してない今、それだけは避けなければいけない。


「あの、サーシャ。やっぱり僕はーー」


「おばあちゃーん、今帰ったよー。あのね、今日は記憶喪失の人に助けてもらってねー、連れてきたのー」


 幸多が話し始めた時には、すでにサーシャは木造の扉を開いて中へと入り、ぺらぺらとしゃべっている真っ最中だった。


 ーーこれだから、子どもは……。


 盗人として引き渡しておけばよかったとも嘆きつつ、諦めて中へと入ることを決めた。




 診療所の中には待合室が置かれていて数名の住民が自分の順番が回ってくるのを待っており、壁には感染症の予防策が書かれた紙が貼られていたりと、思ったよりも元の世界の診療所に近しい作りとなっていた。


 ーー予想していたものよりも随分と先進的だな。元の世界の中世の時代も診療所はこのような感じだったのか……それとも、独自に発展した結果なのか。


「こっちだよ、お兄ちゃん!」


 声の方を向くと、白いカーテンからサーシャが顔だけ出して幸多に居場所を知らせていた。


 誘われるままにカーテンをくぐると、目の前には腕に裂傷を負い、苦悶の表情を浮かべている若い男性と、ガーゼのような柔らかい布で出血を抑えながら傷の状態を診る白髪頭のご老人の姿があった。どうやら診察室のようだ。

 ご老人の方は七十歳は確実に超えているように見受けられ、サーシャの祖母であることを察した。


「やあ、サーシャのお客さんかい。悪いんだけど、今待合室は患者でいっぱいでね。ここに客間なんていうものもないから、サーシャと一緒に端の方で昼休みまで待っていてくれんか?」


 サーシャの祖母は患者の腕から視線を一切離さぬまま幸多に言った。


「ここで一緒に見てよ? おばあちゃんの治療すごいんだよ!」


 部屋の入り口から三歩ほど左に寄ったところで、サーシャは自慢げにそう口にした。


 サーシャの様子を見る限り祖母の腕は結構なものであると思われるが、しかし幸多にとってはそうは言ってもな話である。診療所内は予想よりも先進的であると感じたが、それでも見た所治療器具は木製のものばかり。もちろん機械なんていうものの存在は皆無だ。このような現場で、元の世界の医療技術を目にしている自分が感動するようなものが見られるとは到底思えない。


 サーシャの祖母は幸多が来てからも一分少々傷の具合を見ていたが、「ふんふん」と小さく発すると、


「この程度なら塗り薬だけで大丈夫そうだね。すぐに治るよ」


「え?」


 サーシャの祖母の言葉に、幸多は耳を疑った。

 幸多自身、医療関連の知識は乏しいためなんとも言えない。だが、患者である男性の腕の裂傷は傷口の範囲が広く、とても塗り薬だけでは対処できないように思えてならなかった。


「大丈夫だよお兄ちゃん。本当、あっという間に治るから」


 不安げに見つめる幸多に、サーシャは優しく微笑んで見せた。


「あっという間って、そんな馬鹿なこと」


「それが、治っちゃうんだなー。おばあちゃんの手にかかれば」


 随分とサーシャの口調には余裕が見て取れる。まさか薬に何か秘密があるのかと思い、サーシャの祖母が取り出した塗り薬を注視するも、色や臭いからは特別なものは感じられず、事実塗った後もなかなか出血が止まる気配はなかった。それどころか、患部に大量の薬を塗られたことで傷の痛みが更に増したことを男性の表情から感じ取れた。


 正直期待外れだったな、と幸多がため息を出しかけた時、サーシャの祖母は患者の男性に言った。


「痛みが増したかい? それはね、薬が効いて傷が塞がり始めた証拠だよ」


「……?」


 一体何を言っているんだと幸多は思ったが、サーシャの祖母は続ける。


「ほーら、出血も止まってきている。見えるだろ、傷口が閉じ始めているよ」


 サーシャの祖母が口にする言葉を幸多は全く理解できなかった。ものによっては止血はすぐにできるかもしれないが、塗り薬程度で傷口が塞がり始める、それも目に見える速度でなんて、そんなことはありえない。

 そのはず、だった。


「……!!」


 先程は耳を疑ったが、今度は目を疑った。なぜか。


 傷口が閉じ始めたのだ。男性の腕の大きな裂傷が、目に見える速度で。


「ね、すごいでしょう!」


 まるで自分が成した功績のように胸を張るサーシャ。それに対し幸多は何も返すことなく、ただ呆然と塞がっていく男性の裂傷を眺めていた。

 一度塞がり始めた裂傷はその後速度を上げて閉じていき、約一分後には男性の腕から完全に消え失せた。


 「ありがとうございました!」と嬉しそうに男性が診察室を出て行った後も、幸多は自分の中で今の出来事が消化しきれないでいた。


 なんだこれは。ありえない。そういった言葉の数々が幸多の頭を埋め尽くす中で、一つの既知がよぎる。


「魔術……」


「おや、その言葉を知っているのかい、あんた」


 ふと呟いた幸多の言葉を聞き、サーシャの祖母はニヤリと口角を上げた。


「こりゃあ、昼休みにあんたと話すのが楽しみだね」




 それからも、サーシャの祖母による神がかった治療は続いた。高熱や骨折など、ありとあらゆる病気や怪我を一見平凡に見える飲み薬や塗り薬を用いて瞬く間に治して見せた。


「よし、これで最後だね。さーさ、休憩休憩」


 午前診療で最後の患者が出て行った後、サーシャの祖母はんーっと喉を鳴らしながら腕を伸ばした。


「いやはや、年々体力が落ちていくね、まったく嫌になっちまうよ。そろそろ医師としても引退の時期かねえ」


「何言ってんのおばあちゃん! 皆おばあちゃんのこと頼りにしてるんだから、まだまだ頑張らないと」


「はいはい、孫に言われちゃ仕方ないね。まーだまだ頑張りますかー」


 そう言って笑い合う二人。仲がよろしくて何よりであるが、完全に蚊帳の外状態である幸多はどうすればいいか分からないでいた。


「おっと、そうだそうだ、今日はお客人がいるんだったね」


 ひとしきり笑い終えた後に、サーシャの祖母はついに幸多の存在を思い出し、歩み寄る。


「やあ、ようこそガラタ医院へ。私はここの医師であるブロンズ・ガラタだよ。よろしく」


「……あ、和馬幸多です。よろしく……お願いします」


 ブロンズから差し出された右手の意味にしばらく気がつかず、慌てて自己紹介をして同じく右手を差し出し、握手を交わした幸多。気を抜いているとやはり人との交流に慣れていないため、こうしてなんとも残念な感じになってしまう。


「おばあちゃん、帰ってきた時も話したけどね、お兄ちゃんは私が商品を盗んだ人だって疑われている時に助けてくれたんだ。それで、その後話してたらね、お兄ちゃんが記憶喪失だって話を聞いて、それでね、おばあちゃんなら治せるんじゃないかと思って連れてきたの」


「ほー、そうかい」


 サーシャから一連の説明を受けたブロンズは、キュッと目を細めて幸多の顔を見つめると、サーシャに向かって、


「サーシャ、二階のソウヤの部屋をすぐに使えるよう軽く掃除をしてきてくれないかい?」


「あ……はーい、分かったー!」


 少しの間の後、祖母の言葉の意味を理解したサーシャは元気いっぱいに診察室を飛び出していった。


「あの、ブロンズさん。今のって……」


 当然幸多もその意味を理解しており、訊ねるとブロンズは不敵な笑みを浮かべた。


「あんたみたいな嘘で素性を隠す人間をこれまで何人も見てきたからね、私も無駄に歳食ってないよ。それより、あんたの顔から疲労の色が見て取れる。サーシャの掃除が終わったら今日一日二階の部屋で休みな。後で昼ご飯も、夜には夕飯も持って行ってあげるから」


「あ、ありがとうございます、助かります、すごく。……でも、こんな素性も分からない僕を家に泊めて、怖くないんですか?」


「まあ、サーシャを助けてくれたことは感謝してるし、悪い奴には見えないからね。もしあんたが何かしでかしても自業自得と思って恨みはしないよ。その代わりぶん殴ってやるけど」


 それは全然自業自得として片付けてないのでは……と幸多は思ったが、口には出さないでおいた。

 幸多は好意に甘えることにし、ブロンズに深く頭を下げると、ブロンズは「そんなことより」と、


「私が気になるのは、あんたが魔術を知っていたことだよ。私の治療を見てその言葉を口にするのは最近じゃあんたぐらいさ。言いたくなかったら言わなくてもいいけど、一応聞いてみたくてね」


「えっと……僕も詳しくは知らないんです。ただ、一度魔術を使う人間を見たことがあって」


「ほう、それはどんなやつだったかね?」


「白いワンピース……袖が無くて丈の長い服を身にまとっていました。確かあの時は【視線外しの魔術】とか【受け入れの魔術】なんて言っていましたね。名前は確か……セラ」


「……っ!」


 人物の名を聞いた瞬間、ブロンズの表情に衝撃が走ったように見えた。


「どうかしましたか?」


「……いや、なんでもない。そうかい、そんな魔術を使うやつがいるのかい」


 どうもブロンズの様子はなんでもないようには見えなかったが、相手もこちらの素性を深く掘り下げようとしてこないこともあり、これ以上突っ込むのを止めた。

 それよりも、


「あの……変なこと聞いているのを承知でお訊ねしますが、魔術というのは、この世界でそんなに珍しいものなんですか?」


「ああ、そうだよ。私が若い頃は魔術を使える魔術師もそれなりに数がいたけどね、今じゃ魔術を使えるやつはかなり限られてきていて、魔術という言葉を知っている人間の方が珍しくなってきているね」


「魔術師……ブロンズさんも、その魔術師というやつなんですか?」


「今はあくまで医者のつもりだけど、広義的に見ればそうなのかもね。魔術師と言っても様々あるが、私はこれでも王宮専属魔術師として昔働いていたことがあったんだよ」


 言うと、ブロンズは両腕を天に突き上げて力強いガッツポーズを見せた。

 王宮専属魔術師。まだこの世界についてほとんど把握できていない幸多は『きっと凄いのだろう、王宮だし』という漠然とした感じでしか凄さを認識できていなかったが、とりあえず「おー」と言って空気に合わせた。


「凄いですね。では、そんな魔術師のブロンズさんにお訊ねしますが、魔術とは、一体何なんですか?」


「そうだねえ……一言で表すとすれば『人間の可能性を最大限に引き出す力』かね」


「人間の……可能性……」


 幸多の復唱にブロンズは頷いた。


「例えば、人間には元からある程度自己を治癒する能力が備わっている。これは分かるね」


「はい、分かります」


「よろしい。では、その治癒能力を高めることができることは知っているかね? たとえ効果がない薬を飲んでも、その薬に効果があると信じていれば重い傷や病気も治せるようにね」


「! はい」


 知っていた。それは心理学の専門用語であり、心理学に携わっていなくとも知っている人が多い言葉だった。


 プラシーボ効果。


 「病は気から」とよく言われるが、その通りに気持ちで病気が治ってしまう現象を表した言葉だ。


 幸多が知っていたのが予想外だったのか、ブロンズは目を丸めて感心した。


「よく知っていたね。まあ、人間にはそんな『可能性』が秘められているわけだが、それを引き出すのが魔術というわけだ。魔術師は万物に宿る魔術素マナを用いて人の心に介入し、魔術を発動する」


「ま、マナ……? まあ要するに、さっきまでの治療はプラシーボ効果を利用していたってわけですね?」


「……ん? ぷ、ぷら……なんだって?」


 お互いに専門用語を用いて話すため中々噛み合わない。一先ず幸多が言い換えて会話が再開する。


「あ、えっと、人間の可能性を引き出していたわけですね?」


「あ、ああ、そういうこと。ま、ごく普通の医者から見れば私の治療はインチキと呼べるものだろうね」


 ブロンズはカラカラと笑って説明を締めくくったが、幸多はここでは同調しなかった。確かに元いた世界の治療と比べればとても正当なものとは言えないが、ついさっきまで多くの患者に治療を施していたブロンズの姿は、まごうことなき医師のそれであったからだ。


「と、こんな感じで理解してもらえたかね?」


「はい、所々の言葉で分からないものはありましたが……でも、魔術というものの本質は分かりました。ありがとうございました」


 理解した。


 つまり、この世界の魔術はーー人間の心理と深い繋がりがある、ということだ。

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