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異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
異世界転移編
3/24

目撃証言

 途中休憩を挟みながら歩くこと一時間と少し。幸多は腕時計を所持していないため、スマートフォンで時刻を確認する。スマートフォンの時計は、こちらへ来た時の午後八時から九時へと切り替わっていた。もっとも、太陽はその真逆を貫くかのように天頂を目指して上昇している真っ最中であるが。

 後で大体の時差の予測もしなければと幸多が考えながら上り坂を登り終えると、高台から丘の下りの末端に街のような建物の集合体があるのが見えた。全体で約百ヘクタール以上はあるだろうか。あのねずみの夢の国よりも大きい。


 どうやら実験の効果はあったようだ。自らの第六感に少々興奮しながら歩くスピードを速め、街へと急いだ。




「うわ……」


 たどり着いた街を前に、幸多は思わずそのような声をあげた。

 丘の上からの眺めで大体分かってはいたが、街中に立ち並ぶレンガや木造の家々、また行き交う人間の人種や服装は、どうしようもなく現代日本の街並みとは異なっていた。実際に見たことがないため確証はないが、西欧方面、それも百年単位で遡った時代の頃の風景と言われればしっくりくるような気もした。


 ーータイムスリップ……でもしたのかな、僕は。


 緑のパーカーにジーンズという格好の幸多は、ダボっとしたチュニックにも似た服を着用する周囲の人物から好奇な視線を盛大に浴びながら、大草原に来た当初から考えていた『ありえない予感』がとうとう現実味を帯びてきたことをじわじわと実感し始めていた。


 だが、奥に入っていくとその予感さえも混迷化してくる。

 野外市場と思われる通りではたくさんの野菜やアクセサリーといった小物……と思われる商品が店頭に並べられていた。というのも、例えば野菜であれば形や色そのものはトマトに近いのだが、ウニのように無数の細長い棘が生えていたりと、幸多が今まで生きてきた中で出会ったことがない、そしてこの場に来なければ一生出会うこともなかったであろう造形物の品々で溢れかえっているのだ。


 どうやらこれはタイムスリップ程度の『ありえない予感』では済まされないようだな、と幸多が頭頂部をさすった、その時。ドン、と幸多の腰に何かが激突した。


 背後の衝撃に幸多は押し出されて二、三歩前進。慌てて振り向くと、幸多の胸部分よりも低い身長でショートの黒い髪をした褐色の肌の少女が抱きついていた。

 少女は双眸に涙を浮かべながら、言った。


「助けてッ!」


「!」


 瞬間、ざわめくものが幸多の全身を駆け巡る。

 少女の話した言語は見た目通り日本語ではなかった。が、意味が理解できてしまっていたのだ。

 違和感は、すでに街に入った時点から聞こえてくる会話の数々で感じ取っていた。商品を大声で宣伝する店の主人、酩酊状態で生活の愚痴をこぼす酔っ払い、そして小声で幸多の格好について話す婦人集団など、ありとあらゆる人々の発言の意味が分かってしまっていた。


 鼓膜から脳までの間で自動的に変換されているような理論不明の感覚に、物事を理解していく上で理論というものを重視する幸多としてはいまいち納得しきれずにいたが、少女の表情から滲み出る感情と一寸違わぬ言葉を聞いたことで、噛み合わなかった歯車が自然と合致した。


「こら盗人! そんなところにいやがったか!」


 怒声が聞こえたと同時に少女は幸多から手を離すと、幸多を盾にするようにして身を隠した。

 唐突な展開に幸多は戸惑うばかりだったが、憤怒の表情でこちらに向かってきた二十代後半と思われる男性は待っていてくれなかった。


「おいお前、そいつの保護者か何かか?」


 問いかけに幸多は首を横に振ると、男性は苛立った声で、


「じゃあ早くこっちに引き渡してもらおうか! そいつはうちの商品を盗んだ糞ガキなんだよ!」


 ーー引き渡すもなにも、僕は今突然巻き込まれただけなんだけど……。


 困り果てながら、幸多は後ろにいる少女を覗くと、少女はプルプルと小刻みに震えていた。


「ち、違うもん……わたし、盗みなんてしてないもん」


「嘘つけ! 確かに盗んだのは褐色の肌のガキだった! そんなやつは滅多にいねえ! 自分の肌の色を呪って観念しやがれ!」


 確かに、この街の人間はほとんどが白人種であり、黒人の大人も数名見かけたがその子どもまではまだ確認していなかった。褐色肌となるとさらに珍しいのかもしれない。


「で、でも……本当にやってないもん。わたしじゃないんだもん!」


「まだしらばっくれんのか! これだから他所よそもんの血は!」


「ち、血なんて関係ない!」


「じゃあ早く罪を認めてこっちに来い!」


「だから盗んだのはわたしじゃない!」


「だったら誰がやったんだよ!」


「知らないよそんなの!」


「はあなんだそりゃ? それなら、お前が盗んでないって証拠はどこにあんだよ!」


「昨日は家にずっといたから、おばあちゃんに聞けば分かるよ!」


「そんなもん、家族なんだからグルに決まってんだろ! もっとマシな嘘つきやがれ!」


「そんな……嘘じゃ……」


 言い合いの末に、少女は悲しげにうな垂れた。板挟みにあっているなんの関係もない幸多としてはただただ迷惑な限りだったが、少女の姿を見て一点疑問が浮かび上がる。


「……あ、あの……」


 恐る恐る、慎重を極めて幸多は男性に話しかけた。普段から人に尋ねることに慣れていない幸多なのだから、怒りに震えている異国人と会話をした経験など存在しない。それでもこの場を切り抜けるためと意気込み下手に出ることを意識して声を発していた。


「あん? 何だよ部外者はすっこんでろ!」


 理不尽に怒鳴られることは幸多も大の苦手であったが、しかしこの時ばかりは安心感を抱いていた。こちらの発言が向こうに通じていたからだ。相手の言葉が分かってもこちらの発言を理解してもらえなければ何もできないため、もしも通じなければどうしたものかと幸多は思っていたが、どうやらその心配はないようだった。


「できたらそうしているんですけどね……。ただ思ったんですけど、一体この子は何を盗んだのでしょうか? 見た所何かを持っているようには見えませんが……」


 先程も少女は両手でがっしりと幸多に抱きついていた通り、物という物を所持していなかった。懐に入る小さなものなら別だが、盗人であれば手に盗んだ品を持っていたり、盗品を入れる袋を下げていてもおかしくはないだろう……あくまで『幸多が元いた世界』の常識が通じればの話であるが。


「あ? そりゃそうだ、そいつがうちの商品を盗んだのは昨日の夕刻だからな」


 ーーよかった、口調から察すると、どうやらいつかの魔術とかいう存在で盗んだものを転移させたりとか、そういった物理法則外の現象はありえないらしい。それにしても……昨日の、それも夕刻か……。


「すいませんが、その昨日の夕刻に起こったという盗みがどういうものだったか、僕に詳しく教えていただけませんでしょうか?」


「はあ? 教えるもなにも、俺が店主をやっている店の店頭に山積みにしていたクロアの実を金も払わずに取って逃げてったってだけの話だ。そんでさっき店の前を歩くそいつを見つけたもんだからここまで追っかけてきたんだよ」


「その、えっと……クロアの実? を持って逃げるこの子をあなたははっきりと見たんですね」


「ああ見たよ。何なら近くにいた別のお客もな」


「肌は褐色だった?」


「そうさ。間違いなくそいつの肌の色だった」


「夕刻なのに同じだったと言い切れるんですか?」


「……あ?」


 意味がわからないという顔の男性に、幸多は確認する。


「夕刻ということは、辺りは夕日の赤色に満ちていたという解釈で間違いはないですね?」


「ああ、当たり前だろ、夕刻ってのはそういうことだ」


「だとすれば、あなたが昨日この子の肌の色を認識できたことに疑問を感じます。もし夕日の赤に辺りが染まっていたのであれば、正確な色の識別は中々に難しくなっていたはずです。少なくとも『間違いない』ときっぱり断言できる状況ではなかったのでは?」


「な……何だよ! 俺が嘘をついてるって言いてえのか!」


 怒りのまま肉迫してくる男性に、幸多は静かに首を横に振っていなした。


「そうは言っていません、実際に目視したことは事実だと思いますが、認識にズレのようなものがあったのではないかと。例えば、白い肌を持った人でも夕日を背にすれば肌が褐色に見えることもあるんじゃないかとね。ちなみに、この子がクロアの実を取ったその瞬間は目撃なされましたか?」


「いや、取った瞬間は見てない……。ただ、近くにいたお客が声を出して知らせてくれてよ、表に出たら褐色の肌の子どもが走って逃げてったからよ」


「ということは、子どもの顔は見ていないんですね?」


「あ、ああ……見て、ない……」


 段々と、男性が自分の目撃情報に自信を無くしてきていることが目に見えて分かった。

 これならば、と幸多は仕掛けることにする。


「今話されていましたが、お客の方が近くにいたようですね。その方も盗んでいった子どもが褐色の肌であったことを言っていましたか?」


「あ、ああ、そうだ。言ってた、言ってたぞ確かに『間違いない』って!」


「それならば、その人が盗人の可能性の方が、この子が盗人である可能性よりも高いと思います」


「なっ!?」


 言い切った幸多の思いもよらぬ発言に、男性は驚愕する。


「一体それはどういうことだ?」


「先程も言ったように、夕刻という色覚にズレが生じる時間帯で『間違いない』と発言する時は、強く思い込んでしまっている場合と、もう一つ、わざとそう断言した場合です」


「わざと?」


「はい。本当はただ白人の子どもが走っていっただけなのに、品を取って行ったという嘘を店主に伝えて注意を反らせ、自分が盗みやすい環境を作った、という推測は容易に浮かびますね」


「ーーッ! そんな……ことは……」


 ない、と言えない男性。思い当たる節があるような様子を幸多は読み取った。


「もしかして、昨日は異様に商品の数と売り上げが合わなかったんじゃないですか?」


「……だから、てっきり子どもに盗まれた分かと……」


「小さな子どもが持てる商品の数は限られています、走って逃げられる量ならなおさらです。もし無くなっている金額分の量が明らかに子どもが持てる数を超えた膨大なものならば。そして……頭に血が上りやすい店主を見越し、翌日こうして犯人と思い込んだ子どもを追いかけ店を放ったらかしにすることをも狙っていたとすれば」


「……!」


「一応聞いておきますが、まさか店番を誰にも頼まずにここに来たわけじゃないですよね?」


 幸多がトドメの一撃を告げると、男性は顔を真っ青にして踵を返し、一目散に自分の店へと帰って行った。


「……もう、いいんじゃないかな?」


「あっ!」


 男性が去ってからも暫く少女が幸多の背後で縮こまってじっとしていたため、声をかけると飛び跳ねるように幸多の前に出てきた。


「あの、さっきは突然巻き込んでごめんなさい! ……それから、ありがとうございました!」


「……あ、ああ」


 頭を二回連続で下げた後、ニンマリと可愛らしい笑顔を見せられた幸多は、重度のコミュ症を発揮してそっぽを向きながら応対。


「まあ、早くさっきまでの状況から抜け出したかっただけだし、あの人の目撃証言はどうにも曖昧なものだったからそこを突いただけ。別に君を助けようと思ったわけじゃないよ」


 そして、愛想のない発言。

 これでも、幸多としては全く悪気なくただ事実を述べただけのつもりなのだ。目撃証言というのは時に被害を受けた本人すらも誤った認識をして発言してしまう場合があるとても危ういもので、心理学の分野でも目撃情報の正当性について多くの研究が行われている。

 だが、いくら事実とはいえ、である。こうした言論の数々で、人との繋がりを知らず知らずのうちに断ってしまっている。

 今回も数多あるそのケースの一つ……かと思いきや。


「それでも、わたしが助かったことは変わらないし、お兄ちゃんはわたしの勇者さまだよ」


「!」


 少女は、幸多から一切距離をとることはなく、むしろ更に詰め寄ってきた。

 レアケースも甚だしい初めての出来事に、幸多の心拍数は急激に上昇していった。


 ーーな、なんだこれ!? なんで僕はこんなに動揺してっ! ど、どうすれば、自律訓練法なら治まるだろうか? ……でも。


 でも、と。幸多は自律訓練法を始めようとはしなかった。

 この早まった鼓動を簡単に沈めたくはないと、なぜかそう思ったのだ。


「……どうしたの、お兄ちゃん?」


 俯く幸多の顔を、少女は心配そうに覗き込んだ。


「あ、いや、何でも。大丈夫」


「……そう? じゃあよかった」


 それから仕切り直しとばかりに少女は笑顔を作り、


「まだ名前言ってないよね? わたしはサーシャ・ガラタ。ここから少し歩いたところで診療所を開いているおばあちゃんと二人で暮らしているんだ。お兄ちゃんは?」


「ぼ……僕は、和馬幸多。えっと……日本という国から来ました」


「日本……? 聞いたことない国の名前。そういえばお兄ちゃん変わった格好してるし、サブルダの人ではなさそうだね」


「さ……サブルダ?」


 その名称は存じ上げないと首を傾げて見せると、サーシャは「え?」と驚きの表情。


「サブルダ王国。ここリマイア地区もサブルダの地域の一つだよ。こんなの八歳のわたしでも知っていることなのに、いくら違う国の人とはいえ、まさかお兄ちゃん知らないでここへ来たの?」


 訝しげにこちらを伺うサーシャ。

 知っているわけがない。幸多が元いた世界ではそんな国は存在しないのだから。

 だがしかし、そんなことを言ってしまえば話がややこしくなることは明白だった。なので、


「……実は、僕は部分的に記憶喪失なんだ」


 都合よく記憶喪失にしてこの場を切り抜けることにした。


「え、お兄ちゃん記憶喪失なの?」


「うん。自分が誰でどこで育ったかは覚えているんだけど、ここがどこで、何で僕はここに来たのか何にも覚えていないんだ」


「そ、そうなんだ……大変だね」


「うん、でもーー」


 それでも何とかやっていくよと言って、幸多が別れを告げようとした瞬間。


「じゃあ、うちに来なよ!」


「……え?」


「わたしのおばあちゃんお医者さまだし、もしかしたらお兄ちゃんの記憶も元に戻してくれるかもしれない! うん、行こう行こう!」


 そう言うと、サーシャは幸多の手をとって引っ張るように歩き始めた。


「え……えー!」


「大丈夫大丈夫! おばあちゃんはいい人だから」


 幸多の叫びの真意をサーシャが汲み取れるはずもなく。


 記憶喪失を選択した幸多の第六感は、さらにややこしい事態を呼び込んだ。

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