運動会
リマイア地区近郊の某所。黒いマントで全身を覆った男がランタンを片手に洞窟内で壁面に向かって呟いていた。
「……ああ、問題ない。心配するな、全て計画通りに事は進んでいる」
まるで実際に誰かと会話しているかのように、テンポよく言葉を連ねる。
「そもそも街の騒動を引き起こした目的は特魔の能力を知るためのもの、城内にいる彼女をあの騒動で攫えるなんて思っていなかったさ。もっとも、彼が事態を収束させることは予想外だったが」
男の発言に対する返答は一切聞こえてこないが、にもかかわらず男はどこかから声を聞き取る。
「彼を甘く見ていると痛い目を見るだと? ……そうだな、認めよう。少し見くびっていたのは確かだ……だから」
意地と野望に満ちた瞳で、強く発する。
「だから、次は全力で行く。相手の力量は把握した。もう回りくどいやり方はいらない、力尽くで彼女ーー『勇者の切り札』を奪いに行く」
「グウウウウウウウウウウウウウウウ」
男の意志に呼応するかのように、隣に潜んでいた野獣が喉を鳴らした。地獄の淵まで落ちていくような深い重低音の獣声に、男は狂気なまでに口角を盛大に釣り上げた。
「さあ、時代の扉を開けるとしよう」
「んーっと!」
救護室を出て廊下に一歩踏み出した幸多は、扉の前で大きく伸びをした。
ギバルドとの戦闘から五日後の朝、(そもそも入院する必要はなかったのだが)ようやくセラから退院許可をもらった幸多は、早速普段着に着替えて久々の仕事に復帰しようとしていた。セラの過保護っぷりには困らされたものだが、元々一週間と言われていたところを二日早めてもらえただけで今回は良しとする。これも一重にサーシャのおかげ。サーシャが見舞いで幸多の元を訪れなければ、セラも自分以外の者が幸多の身を案じていることに気付くことはなかったのだから。
「幸多」
名前を呼ばれて振り向くと、一足早く退院していたギバルドが歩み寄ってきていた。どうやら幸多が出てくるのをずっと待っていたようだ。
「おはようギバルド」
「おう、今日からよろしくな!」
「うん、こちらこそ」
ギバルドは幸多の守護者。当然に仕事中は行動を共にする。
出会ってからすぐ、二人は仕事部屋を目指し始めた。入院中に散々語り合っている二人だったが、道中も会話が途切れることはなかった。赤の他人とここまでの関係になることは幸多にとってもちろん初めてであり、心のどこかで違和感のようなものを抱いていたが、全く嫌な感覚ではなかった。
やがて仕事部屋の前までたどり着き、幸多は両手で思い切り扉を引いた。
「おはようござい……ます……」
意気揚々と仕事部屋の扉を開いた幸多だったが、発した声は尻すぼみに小さくなってなくなった。扉の奥で机についていると思っていたセラの姿がそこになかったからだ。外出するのはいつも午後からで、朝はこの部屋から出ることなく書類の確認や整理をしているはずだった。部屋の隅々を見渡すも、王女は不在であった。
「姫様いねーなー、どこにいんだ?」
「いや、僕もさっぱり……」
一体どういうことか、もしかして緊急事態でも発生したのかという予感さえ幸多の脳内に沸き起こったが、丁度二人の近くを通りかかった女性の使用人がセラの居場所を教えてくれた。
「セラ様であれば、会場候補となっている近くの丘へ視察に行っていらっしゃいます」
「会場候補? 何か会でも開くのか?」
ギバルドが問うと、使用人はさらりと言った。
「ーー運動会、です」
「何だこれ……」
使用人に説明された丘へとたどり着き、光景を目にした瞬間、幸多は呟いた。だがそれは見たことがない、何がなんだか訳がわからないという意味ではなかった。むしろ懐かしささえ感じる景色でありーーだからこそ、そのようなものをここで感じることがおかしいのである。
多くの住民たちで溢れる丘では、雑草を刈り取って白線を引くことで簡易的なトラックが作られていたり、綱引き用と思われる太くながい綱が運び込まれていたり、また休憩場所なのか日差しを遮るテントまで箇所によっては張られていたりと、紛れもなく学校で開かれる運動会の準備が行われていた。来る過程で通った市街では通常よりも人通りが少なく、かなりの人数の住民がこの作業についていることが窺えた。
「あ、幸多さーん!」
一体どういうことか。幸多の頭の中がはてなマークぎっしりに詰まったところで、セラが幸多の存在に気が付いてドレス姿にもかかわらずダッシュで向かってきた。後から護衛の役割なのかバルガスと、もう一人城の使用人と同じ服装の男性も追随する。
「おはようございます幸多さん、それとすみません、少しここを確認してから通常業務に入ろうと思っていましたので。私がいなくてビックリさせちゃいましたかね?」
「いや、いいんだそれは。ただ、これって……」
「はい、幸多さんに親しみのある運動会そのものです。日本に転移している最中に見かけまして、これはいいと思いそっくりそのまま真似させていただきました」
茶目っ気たっぷりにセラは言った。
幸多自身、その程度のことは大体想像がついた。洋服店のこともあり、きっとこれもセラが日本から持ち込んだものなのだと。だから、問題はそこではなかった。
「うん、それは多分そうだろうなって思ったけど……何で? 申し訳ないけど、こんな街総出で運動会を開く意味が分からない」
「それは特魔の隊長を務めている私が説明しよう」
ここでバルガスが口を開いた。
「お前も知っての通り、我々特魔は魔術師に対抗するべくセラ様が特別に編成なされた部隊だ。今後魔術師の活動がより活発になっていくことを考えるとセラ様のご決断は如何なる否定論の余地なく正当であると私は思っているが、魔術という概念そのものが廃れてきている今、特魔の存在について否定的な考えを持つ市民も少なくなくてな。この事態を改善しようと、セラ様が三年前から日本ではメジャーなイベントとなっているという運動会を企画なされているのだ」
「市民の方々を巻き込んでの運動会を開催すれば、魔術とは関係なくとも特魔の皆さんの実力を披露することができますし、運動する機会を作れば市民の方々の運動能力を底上げすることもできて有事の際もより被害を縮小させることができます。何より運動会は誰もが楽しめるイベントであるということで、このリマイア地区でも開催することにしたんです」
余程自分が色々と考えた末の企画であることを主張したいのか、後半はセラが熱の入った様子で幸多に説明していた。そんなセラの心中を察することに慣れを覚え始めていた幸多はふむふむと頷き、
「なるほど、運動ならストレス緩和や団結力の向上にも繋げることができるし、すごく良い発想だと思う」
正直なところ、苦手分野である運動をメインにしている時点で個人としてあまり賛同できていなかったが、本音を飲み込みつつ建前を話すとセラは満足げな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、やっぱり幸多さんにお褒めいただけると嬉しいです。そこで……できれば幸多さんにも準備でご協力頂きたいと前々から思っていたのですが、よろしいですか?」
「協力? 言っておくけれど、僕は運動全般苦手だから力仕事はもちろんだめだし、知識の方も薄いよ? 運動会なんてろくに参加してこなかったし」
「それでも、本場の運動会を体験したこのがあるのは幸多さんだけですので、オブザーバーのような役割として是非知識をお貸ししてほしいのです。すでに毎年計3回行ってきていますが、競技によっては未だにこれで正しいのか不安な点も見受けられます。復帰早々、大変な仕事だとは思いますが……」
申し訳なさそうに、恐る恐るセラは言った。
幸多は、今からやる自分の仕事がオブザーバーというよりかはプロデューサーに近いことをセラの発言から推測した。苦手分野のものをプロデュースするなんてかなり気が引けたが、既に何回かやってある程度形は出来上がっており、何よりもセラが切望しているため、幸多はしばしの逡巡の後に首を前へ倒した。
「分かった。どのくらい力になれるかは分からないけど、やってみる」
「ありがとうございます!」
「……あーっと……運動会っつうのがまだよく分かんねえけど、とりあえず力仕事なら任せろい!」
ここまで全く話についていけていなかったギバルドも気合い(?)で追いついて協力を表明したところで、集ってから声を発してない人物はあと一人。その一人を、ここでついにセラは紹介した。
「では、運動会の競技内容やスケジュール管理はこちらのシュルバに任せていますので、詳しい話はシュルバからお聞きください。シュルバ、頼みましたよ」
「了解しました、セラ様」
見た目三十歳前後である使用人服の男性ーーシュルバはセラに深く頭を下げた。続いて幸多の方を向いて軽く一礼すると、
「使用人のシュルバと申します、ここまで仕事の関係上幸多様とお話する機会はありませんでしたが、以後お見知りおきくださると幸いです。そうして早速で申し訳ないのですが、今から種目の概要について実際に準備の様子を見ていただきながら説明してもよろしいでしょうか? 三日後の開催日に間に合わせるべく、今日は全ての種目の準備が行われておりますので、指摘するにしても今この時が好都合かと思われます」
「そうですか。では、よろしくお願いします」
こうして幸多とギバルドはセラとバルガスの二人と別れ、シュルバの後をついて各種目の確認へと向かうことになった。