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異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
隻眼の覇者編
20/24

入院

 翌日の朝。幸多は目覚めると、いつものガラタ医院二階の部屋ではない天井が視界に広がっていた。自分と横になっているベッドを囲む四方のうち一方は壁で、残りの三方は白いカーテンで仕切られており、まるで元いた世界での病室のような風景だった。実際、その通りなわけだが。


 ーー救護室……だったな。


 ギバルドとの戦闘を終えた幸多は、その後ブロンズから応急処置を受けたのち担架に乗せられ、王室にある兵士や使用人といった関係者のための救護室へと運ばれた。そこで医師から治療を受け、ブロンズの魔術による処置もあって体の擦り傷の完治はもちろん、肋骨の骨折も一日でかなり回復していたが、念のため一週間救護室に入院していくことが決定した。

 実を言うと、過度な運動さえ避ければ入院どころか固定具もいらない程に治っているのだが、そうした中で過保護なまでの入院期間となったのは、ベッドの横に置かれた椅子に座りながら眠っている姫様の心配性が関係している。


「んっ……あ、おはようございます幸多さん」


 幸多が見つめていると、気配を察知したのかセラはピクッと一度震えてまぶたを開き、幸多に朝の挨拶をした。


「すみません、早朝に仕事を終えた後様子を見るだけのつもりで来たのですが、いつの間にか眠ってしまっていました」


 あわわーと口元に手を当てながら可愛らしくセラはあくびをした。双眸の下にうっすら隈を作ったセラの顔を見て、幸多は胸を圧迫しないようにゆっくり上半身を起こし、頭を下げて謝罪する。


「ごめんセラ、ギバルドとの勝負を受けて。結果的にセラの仕事の負担を増やしてしまうことになって……その、本当にごめん」


 申し訳なさそうにする幸多に、セラは優しく微笑んで首を振る。


「仕事のことは構いません、元々幸多さんが来るまでは一人でやっていたことですし。ですが、どうかこれからは無駄な争いは避けてください。幸多さんは専属魔術師とはいえ、まだ魔術師としては見習い段階なんですから、命を捨てに行くようなことはやめてくださいね」


「うん……うん」


 幸多が俯きながら二度頷くとーーセラはポンと幸多の頭に手を乗せて、


「でも、よく頑張ったと思います、本当に頑張りました。どうでしたか、戦ってみて?」


「あ……あえっと」


 まさか以前自分のやった行為を返されることになるとは思わず、幸多は頭の上に置かれたセラの手を意識し過ぎてしまい何を言われたか忘れかける。が、何とか思い出しスカッとした面持ちで答えた。


「よかったと思う。上手くは言えないけど、今回の体験は自分の大きな成長に必ず繋がっているって、心からそう思えてる。……あ、だからってもう無茶なことはしないけど」


 急いで幸多が付け加えたものの、セラは「そんなに私って怖いですか?」と少し頬を膨らませ、逆に機嫌を損ねてしまった。

 幸多がどう対応するべきなのか分からずあたふたしていると、セラはクスクスと面白そうに笑った。


「変わりましたね、幸多さん。元の世界の幸多さんを知っているからこそ言えますが、この世界に来てからとても人間らしくなりました」


「そ、そうかな……自分としてはあまり実感はないんだけど」


 いまいちセラの言葉の意味を掴めていない幸多は首を傾げたが、セラは言う。


「私は幸多さんが勉強なさっている心理学というものを理解していませんが、違和感なく変われているということは、幸多さん自身も自分の変化を求めていたところがあったのではないでしょうか」


「自分の変化を、求めていた……」


 言われて、少し納得する。元いた世界では停滞した状況から抜け出したいと思っていたところがあったが、つまりそれはその環境を作り出している自分から抜け出したいという意味だったのかもしれない。異世界への転移も自分を変える一つの機会として無意識に求めていたのであれば、短期間で他人から変わったと言われるほど変われたことも頷ける気がした。

 だとすると、ターニングポイントを作ってくれたセラには感謝しかなかった。


「ありがとう、セラ」


「え、何がです?」


「……ううん、何でもない」


 幸多は理由を言おうかどうしようか迷って言わなかった。こういった理屈で説明できない心情も、変化の表出に他ならない。

 セラが訳が分からず訊ねようとしたところで、ザーッとカーテンが開き、


「姫様、そこにいらっしゃいましたか」


 カーテンの奥から現れたバルガスはホッとした様子で言った。


「姫様のお姿が見当たらないという報告を受けて兵士総出で探しておりました。何も言わず【視線外しの魔術】で部屋を抜け出すのはお止めくださいと何度も言っているではありませんか」


「すみません、幸多さんの様子が気になってしまって」


 セラがえへへといたずらっ子のような笑みを浮かべると、バルガスは嘆息し、


「とにかく、昨晩は遅くまでお仕事なされていたとのこと、一度ご自身のお部屋に戻りお休みください。和馬幸多も姫様がずっとここにいてはゆっくり寝ていられませんよ」


「そ、そうですよね、ごめんなさい幸多さん。では、私はこれで」


 そう言ってからもセラは中々椅子から離れられなかったが、バルガスの咳払いに観念してとぼとぼと重い足取りで部屋を出て行った。


「さてと、私も仕事に戻るとしよう。邪魔をしたな」


 セラが退室する姿を見送った後、バルガスも救護室から立ち去ろうとしたところで、幸多は「あっそうだ」と、


「バルガスさん、これありがとうございました。おかげで助かりました」


 ベッドの下に置いていたナイフを取り出し、バルガスへ渡そうと腕を伸ばした。

 ナイフーーギバルドとの戦闘のためにバルガスから借りていたナイフである。


 だが、バルガスはそれを受け取ろうとせずに、


「お前に授ける」


「ええ!?」


 幸多は強く声に出して驚いた。対して、バルガスは当たり前のように言う。


「言っただろう、やつのもう片方の目も潰せたら所持を許すと」


「いやだって……潰せてないですけど」


「最後、お前はナイフを取り出してやつの目に刃先を当てた。刺すのではなく当てるというのは中々に難しい技だ。意識してできたわけではないだろうが、あれは目を潰すことと同等以上の価値があると私は判断した。だから、お前に授ける。ちなみにこれはある有名な刀鍛冶師が作った代物でな、そこらのものとは格が違う。大切に扱え」


「……ありがとうございます」


 そんな凄いものなら余計に受け取れない、自分が持つなんて宝の持ち腐れだと幸多は引き続き返還を申し出ようとも思ったが、咄嗟の判断で受け取ることにした。

 もしかすると、このバルガスの行為は一種の仲間としての認定の意味ーー囚人のジレンマで言う『協力』の意思表示であるのではないかと感じたからである。


 幸多がナイフを持ったまま腕を下ろすと、バルガスはじゃあなとだけ言ってそそくさと部屋を後にした。

 では、自分は入院患者としてもう少し眠ろうかとナイフを再びベッドの下へ入れ直し、バルガスが開いたまま行ったカーテンを閉めようと一度ベッドから立ち上がったところで隣のベッドに横になっていた隻眼の男が見え、


「よっ!」


 幸多の姿を確認したギバルドははつらつとした声で言った。


「えっと……どうも」


「どうもって何だか他人行儀だなあ、これから一緒にやってくんだからよ。……つっても、拳向けられた相手にいきなり仲良くは無理だよな、ははは」


 ギバルドはあくまで明るく努めていたが、苦笑いはどこか辛そうにも見えた。

 それを受けて、幸多はふるふる首を振って否定する。


「そんなことはないです。ただ、あまり人と接することに慣れてないだけで……あの、少し話しませんか?」


 幸多の突然の提案に一瞬ギバルドの反応が遅れた。


「……お、おう。俺は構わねえが、そっちは寝てなくて大丈夫なのか?」


「はい、元々入院する必要のない程度の負傷ですし、丁度暇に感じていたところですので」


 眠ろうと思っていたことは伏せ、幸多は言った。ギバルドはそう言ってもらえたことに嬉しそうに笑うと、


「じゃあ、親睦も兼ねて色々語り合うか。今からそっち行くわ」


 言ってベッドから降りて幸多のところへ。幸多がベッドに寝て、ギバルドが横の椅子に座るという構図が出来上がる。

 元気そうに立ち上がってやってきたギバルドを見て、幸多は訊く。


「ギバルドさんはもう大丈夫なんですか? 僕、【恐怖の魔術】を力加減考えずにやっちゃったんで……あと右目にもナイフが……」


 気まずそうに幸多が言うと、ギバルドはバンと自分の胸を叩いて、


「この通り、俺の体は丈夫だからな。全く問題ねえ」


「いや、あの魔術は体が強いとか関係ないんですけど……」


「んな細けえことは気にすんな。とにかく平気だ、あのばーちゃんも上手く治療してくれたみてーだしな。流石に右目自体の復活は時間が経過し過ぎているのもあって無理だったらしいが、それでも名医であることに変わりはねえ。いい師匠を持ったな」


 「会ったら俺からも話すが、感謝してたこと言っておいてくれ」とギバルドは幸多に伝言を頼んだ後、「あーそれと」と、


「俺に敬語は必要ねーぞ? むしろ主従関係で言ったら俺の方が下なんだからよ。ま、俺は今更幸多に敬語を使うつもりはねえけどな」


「いいよ別に。まあ、ギバルドがそれでいいならそうする」


 敬語からタメ口への切り替えはセラの時にすでに経験していたことであったため、幸多はすんなりとタメ口に変えることができ、ギバルドはにひっと笑った。


「よーし、んじゃあ何を話すよ? 俺のことを訊きたかったら何でも聞いてくれ。まー昔のこと訊かれても暗い思い出ばかりで、そいつらを面白い話にできる自信はねえけどな」


「そうだなあ……じゃあ」


 五秒の間逡巡した結果、幸多は自分自身を指差して、


「僕の話をするよ」


「幸多のか?」


「うん、昨日はギバルドの話を聞いたから、今度は僕。今後付き合っていくためにも、そこはフェアにしておきたいし」


 『フェア』という堅苦しい言葉にギバルドは思わず苦笑したが、頷いて促した。幸多はそれを確認し、ゆっくりと話し始める。


「実は、ギバルドと同じように、僕も家族を全員亡くしているんだ」


「…………」


 あまりにも予想外の切り出しであったものの、ギバルドは黙って続きを待つことにした。幸多はギバルドの意思を汲み取り、続ける。


「僕が十歳の頃の話。十歳のある日ある時まで、僕の家族ーー父親、母親、そして妹は全員生きていた。だけど、それを境に全員死んでしまった。くる……馬車に乗っていたんだけど、それが事故に遭って。僕は外に投げ出されて何とか命は助かったんだけど、他の家族は皆潰れた車内の中で……」


 目を伏せて、幸多は『あの時』の映像を思い出す。九年経った今も鮮明にまぶたの裏に焼き付いてた。セラから様々な誤解や問題を防ぐために極力異世界から来たことを隠すよう言われていることから部分的に嘘をついて話さなければならないことが心苦しかったが、それでもギバルドの話を聞いた時にかつてない同族心に駆られ、このことについて話してみたいと思った。


「……そうか」


 ギバルドは幸多の話を静かに飲み込み、少しの沈黙を経てから言った。


「強いんだな、お前は」


「え?」


 きょとんとする幸多に、ギバルドは言う。


「俺さ、昨日幼い頃の記憶を思い出してから、頭の中でそん時のことを振り返る度に震えが止まんなくなるんだ。こんなおっさんになっても未だに怖いもんは怖いんだな、情けねえが認めるしかねえ。だが、幸多は違うように見える。しっかりと受け入れて、前に進んでるように感じる。だから、お前は強い」


 昨日の自分の敗北が必然の結果であったことを改めて理解し、ギバルドは幸多の強さを讃えた。まさかそのような反応が返ってくるとは思っていなかった幸多は動揺しながら否定する。


「そ、そんな……僕はそんなんじゃないよ。僕だって事故直後は現実と向き合うのが辛くて、というかこんなに一瞬で何もかもなくなってしまう現実と向き合う必要あるのかと思って世界を無気力に見つめていたんだ。それを変えたのは僕の命を助けてくれた担当医の人。その人が『活きて生きる』ことを教えてくれたんだ。あの人がいなきゃ、僕は今も現実を生きていなかった」


 立ち直ったのは自分の力じゃないと釈明するも、返ってきたギバルドの言葉は、


「それでも、幸多が強いことに変わりはねえよ。自覚ねえかもしれねえが、人の言葉を、教えを受け入れるってのは結構な勇気や根気がいるもんなんだぜ? ある意味では今の自分を否定することにも繋がるからな。たとえ一人だけの力じゃなくても真っ直ぐ向き合って乗り越えたことが、幸多が強い何よりの証なんだ」


「…………」


 決して褒めてもらいたくて言っていたわけではないのに、ギバルドに褒めちぎられる展開になり、幸多が恥ずかしさからむずむずと掛け布団の下の体を擦ると、ギバルドはにひっと上下の歯茎が見えるくらいに豪快に口角を引き上げた。


「ま、お互い家族を亡くしたもん同士、色々と苦労話を語り合おうじゃねえか。生き方は違えが、分かりあえる部分は多いはずだ。よおし、今日は寝かさねえぞ!」


「寝かさないって、今朝なのに、一体何時まで話すつもり?」


 ギバルドの提言に呆れながらも、幸多は不思議といつまでも話せてしまう予感がした。

 そしてその予感通り、幸多とギバルドはそれから絶えず会話し続け、ギバルドに退院許可が下りたのにもかかわらず帰ろうとせず、結局夜中の三時に城の使用人に怒られるまで二人は語らい続けたのだった。

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