自律訓練法
それは一瞬の出来事、それこそ瞬きのために一度目を伏せたタイミングだった……かもしれないと幸多は覚束ないまま結論付けた。目の前に広がる風景のインパクトに全てを持って行かれ、どのタイミングでこうなったか思考を割く余裕を今持ち合わせていなかった。
頭にあるのはただ一つ。
『はい、間違いなく変わりますです。それについては保証しますですよ』
セラの言葉通り、というか全く意味そのままにーー世界が変わっていた。
先ほどまで図書館の薄暗い地下倉庫だった空間が、一面に大小それぞれの高さの雑草が広がる草原地帯へと。
変わり過ぎるほどに、変わってしまっていた。
「ーーッ!」
常識を外しに外した、鮮烈にも程がある非日常との邂逅に、幸多はその場から一歩後退した。もっとも、普通の人間であれば頭が真っ白になって気が動転し、発狂なんかしていても十分おかしくはない状況であるが、たった一歩の後ずさり程度で済んだのは元から幸多自身が感情表現を得意としていない点、そしてまた、ある過去の出来事が関係している。
ともあれそんな幸多なのだが、動揺していることに変わりはない。今為すべきことについて、思案を巡らせても空転するばかりで中々に放心状態となってしまっていたが、やがて現在の自分の状態を改善させる一つの方法を思い出し、瞳を閉じて草原に寝転んだ。
全身を草の大海に浸した幸多はまず深呼吸をした。吸うことよりもゆっくり吐くことに集中して息の出し入れをすると、優しい土の匂いに満たされ、僅かながら心の容量に空きが生まれた感覚をおぼえた。
そこからは定められた一連の作業に突入。心の中で「気持ちが落ち着いている」と三回意識をしながら唱え、それから『手足が重いイメージ』、『手足が温かいイメージ』、『心臓が静かに打っているイメージ』、『呼吸が楽になっているイメージ』、『お腹が温かいイメージ』、『額が涼しいイメージ』と順番に決められた六段階の想像を行い、最後に再び深呼吸をして終了。
これは、自律訓練法と呼ばれる自己催眠法で、慣れていればある程度のリラックス効果を生むことができ、一定の精神病症状にも効き目がある治療技法である。幸多は全ての行程でスムーズにイメージを膨らませることができるため、たった五分間のこの行為で心の安定をほぼ取り戻していた。
そのまま眠ってしまいそうなくらいにまで体の緊張はほぐれていたが、重くなったまぶたを持ち上げ、起立する。ひとまずは今わかる範囲でも現状を把握するために情報を集めなければならない。
改めて周囲を観察する。見渡す限り、どうやら草原地帯は幾つも小さな丘が連続している丘陵地となっているようで、木々や大きな岩、また人工の建造物などはここからは確認できなかった。はるか遠方には山脈のような影が浮かんでおり、角度をさらに上げて真上を向くと雲一つないスカイブルー。まるで絵本の世界に紛れ込んでしまったのかと錯角してしまうほどに辺りは幻想的な風景だった。
ーーここはどこだ? 日本……であるならこれ以上嬉しいことはないが、まあないだろうな。どこかの外国か……そもそも、今この時というのは果たして現実なのだろうか。
頰でもつねって痛みによって夢か現実か判断したいものだったが、夢の世界でも痛みというものは存在するため意味はない。とりあえず、幸多はこの場が現実であると仮定して行動することを決めた。
次に持ち物だ。両手で触りながら身にまとう衣類に異変があるか確かめたが、特に変わったような点はなかった。ポケットに入れていた財布やスマートフォンも無事であることが分かったが、電波は繋がっておらず通信手段としては使えないことが分かった。さらに何か変わった点はないか探っていると、今までなぜ気付かなかったかというくらい肝心なものがなくなっていることに気付く。
本だ。セラから渡された青色のハードカバーの本。
足元を見渡しても、どこにも落としてはいなかった。最初から、この場所に来てからなかったものとみていいだろう。
あの本は一体何だったのか。読んでいた時の記憶を探ってみても、文体が印象的で、内容自体はまるで酷い濃霧の中にあるかのようにぼんやりとも思い出すことができなかった。渡してきたセラ自身も、何を目的として本を渡したのか。この場所へと連れてきたかったからだとすれば、それは何のためか。
考えても、今ある情報だけではあまりにも不足していた。なにせ魔術という言葉を用いてきた相手だ。きっと予測するだけ無駄な時間を使うだけだろうと、幸多にとっては珍しく早々に思考を放棄した。
この場において集められる情報は全て集めた幸多は、三度周囲を見渡して何か歩き出すための目印はないか探し始めた。先ほど木々などの高さを持つ物体は見えないことは確認していたが、方角も正確に把握できていないのにただ闇雲に歩き出すわけにはいかない。通りすがりの人間の助けを待つにしても、どこか目立つ場所に出なければ。こんな大草原の中でただ突っ立ているだけでは、見つける側も見つけ出すことに一苦労だ。
何か、何かないかと遠方に目を凝らしていると、一部分の草が禿げて土が見えている箇所があることに気がつき、近づいてみる。すると、それは左右に長く続いている、人が草を刈って作り上げた道路であることが分かり、幸多はこれまで二・〇を保ってきた自分の視力に初めて誇りのようなものを感じた。
道を見つけた幸多は、道なりに沿って歩き出した。道なりと言っても二方向あるわけだが、幸多は勘で一方を選択。下手をすれば選んだ方向によっては生死の分かれ目ともなるギャンブルだったが、ほとんど持ち物なしの状態でこの場所まで飛ばされ、水や食料を全く所持していないままにいつやってくるかも分からない通行人を待つことの方がリスキーであった。
道なりに歩いていれば無駄な距離を稼がずとも前に進むことができるし、その過程で果実といった食料や川に突き当たれば飲み水も確保でき、さらに街なんて見つかれば万々歳である。こういったメリットが待つことによるエネルギーの温存よりも魅力的に感じ、なおかつこのような漂流にも似た危機的事態における人間の『第六感』を確認する意味での勘でもあった。
第六感と聞くとスピリチュアルなものを想像し、事実、超心理学と呼ばれる超常現象を扱う心理学の学問対象となっているが、かのフロイトやユングといった心理学における偉人たちも超心理学の研究に着手していたと言われている。実際に第六感について研究された資料をいくつか読んだことがあった幸多は、あろうことか好奇心のままに自分を実験台にして人間の可能性を感じ取ろうとしているのだ。
どのような環境においても和馬幸多はブレない。変人は変人。
心理学という、自らが専攻する学問に対しては、特に。