恐怖の魔術
「ーーっと、これで終わりだ。つけた感じはどうだ?」
「悪くないです。サイズもちょうどいいですし」
バルガスの先導のもと王城に入った幸多は、そのまま兵士の装備品倉庫に通され、城の兵士たちが身につけているのと同じ防具を施された。
幸多はその場で軽くジャンプして鎧をカチャカチャと鳴らしながら、
「見た目以上に軽いですね、これ」
「そりゃ重過ぎて戦えなかったら意味ないからな。それでも我が国の兵士の防具は世界でも一級品だ。これでやつの攻撃が直撃しても部分的な骨折や内臓破裂程度で済む」
「それ、守りきれてないじゃないですか……」
バルガスの言葉がとても冗談とは思えず、全身に悪寒が走る。
「やっぱり強いんですか、ギバルドって人は」
「俺も実際にやつの力を見たわけではないが、『覇者』なんていう称号はそうそう簡単に取れるもんじゃない。世界から力自慢が集まって行われるコロッセオで百連勝を成し遂げたんだ、少なくともお前よりは腕っ節のあるやつら百人を相手にな」
あえて幸多を引き合いに出して強さを語ったバルガスは「だが」と付け加えると、
「そんなことを気にしても、お前がやつとやりあうという運命は変わらん。お前は勝負を受けたんだーー」
そして、幸多をその気にさせた一言を、また言った。
「ーー今度はお前が俺に見せてみろ、本当に自分がふさわしいかどうかを」
ふさわしいというのは、幸多が専属魔術師であることを指している。囚人のジレンマでバルガスは隊長であるにふさわしい行動を示した。今度は幸多が魔術師としてセラのそばに仕えるべき存在であることを示す番であるとバルガスは発し、幸多もそれに乗ったわけである。
否、乗らなければならなかった。これから先の自分を知るためにも。
「まあ、前にバルガスさんの隊長としての適性を確認しちゃっていますしね、僕自身のも確認してもらわなきゃフェアじゃないですから、それなりに頑張りますよ」
飄々と幸多は答えたが、内心は不安で押しつぶされそうになっていた。勝機が全く見えない相手との戦い。そもそも勝負事とは無縁の世界で育った幸多にとってこれほどの絶望感を抱いたことはない。かつてない苦しみだった。
しかし、この場から逃げるという選択肢は幸多の中にない。これから自分がやることは極めて無謀、と同時に、専属魔術師としての真価が問われている気もしていた。専属魔術師の仕事は姫であるセラのサポート。たとえどのような状況でもセラを助けていかなければならない存在。では、セラを助けることができなければどうだ。街の青年に対してすら何も抵抗ができない自分が、果たして専属魔術師を名乗っていいのだろうか。バルガスの一言を聞いて、自分の中にいる『専属魔術師としての自分』が疼いた。
人間は一つの『自分』という中にも様々な人格ーーパーソナリティーを形成していく。そのパーソナリティーの形成要因としては、一つに遺伝的要因、そしてもう一つが環境的要因である。人間は家庭や学校などの環境によって外側から影響を受け、環境に応じたパーソナリティーを形成する。こうした中で幸多にも、異世界という異質的環境下でセラをサポートしていくことで異世界における自分、また専属魔術師としての自分が芽生え始めていた。そんな自分が、今回幸多自身を動かしたのだ。
それに、心の底のどこかで期待する意思もあった。無謀だからこそ、無謀という新しい体験の先にどんな景色が待っているのか、どんな自分がいるのかを心待ちにしている自分がいた。
非日常的世界で暮らしていくうちにとうとう頭がイってしまったかと他人事のように思いながら、幸多は強烈な恐怖心を受け止め、噛みしめる。
「一応、これを腰に差しておけ」
バルガスが突如放り投げてきたものを両手で受け取ると、それは鞘に収まった刃渡二十センチ程のナイフだった。
「俺のナイフだ。こんなもんでやつを倒せるとは到底思えんがな、だからと言って武器を持たずに対するわけにもいかんだろう。下手に長い剣を持ってもお前には扱えんだろうし、せいぜいそれを振って戦え。そうだな、そのナイフでやつのもう片方の目も潰せたら、試合後もお前が所持することを隊長権限で許可してやってもいいぞ?」
「いや、別にいらないですよ……」
バルガスの少々野蛮な発言に幸多はたじろぎながら、ナイフを腰のベルト部分に差し込んだ。貴重な武器だが、幸多はその刃を試合中に光らせるつもりはなかった。それは甘さなのかもしれないが、幸多の中にある本心は。
「魔術師なら……魔術師として自分がふさわしいなら、魔術でーー」
「ーー戦いたい、とあんたなら特に思うだろうねえ」
声に幸多が入り口へ視線を向けると、ブロンズが幸多に呆れた視線を放ちながら立っていた。
「まったく、せっかく昼休みに入って休憩できるかと思ったら、突然兵士のやつに幸多が戦うやら何やらって呼び出されて、こっちにとっちゃいい迷惑だよったく」
腰をポンポンと叩きながら、ブロンズは荒々しく言った。
「……すいません」
「まだ魔術一つ扱えてないってのにそんなことを思うなんてねえ。とんでもない弟子を持っちまったもんだよ私は」
「…………」
師匠の言葉に何も言い返せない幸多。専属魔術師としての自分の価値を見出すためと少し視野が狭まっていたことは事実であり、これから歩みゆくルートは常識的に考えて間違いなく間違った道のりだった。
黙りこくる幸多に、ブロンズははあと盛大にため息をつくと、
「仕方がないね、今から一つ魔術を伝授するよ」
「……え?」
予想外過ぎたその言葉。けれども、それは夢や幻ではなかった。
「もう一度言うよ、今からあんたに魔術を教えるーー【恐怖の魔術】をね」
いかにもな、おどろおどろしいその名称に一瞬幸多の心は踊るも、すぐにブレーキがかかる。
「いや、でもブロンズさん、報告している通り僕はまだ魔術素を集めることができませんが……」
魔術の発動には魔術素を使う必要があり、その魔術素を集めることができなければ魔術を扱うことはできない。これは絶対のルールとしてブロンズから聞かされていたため幸多は日々訓練を重ねているが、未だに集められている感触は得られていない。そのことは毎日報告しており、魔術を扱えないことを分かっているはずであったが。
ブロンズは幸多に接近し、下げていた幸多の右手首を掴んで掌を上に向けた状態で持ち上げると、
「今、試しにこの掌の上に魔術素を集めてみな」
「……あの、聞いてましたか僕の話?」
「あんたにいつもやらせているのは体内に魔術素を集める練習。本当はあらかじめ蓄えていた方がいつでも継続的に魔術が使えるからいいんだけどね、ただ一時的に使うだけなら魔術の種類によっては体内に蓄えなくても掌とかに魔術素を集中させることで発動できるのもある。【恐怖の魔術】もその一つさ」
ブロンズの言葉に、幸多は持ち上げられている掌を見る。話し方としては、どうやら体の一部分に集中させる方が簡単な言い方をしているが、それでも中々成功するイメージが掴めていなかった。
と、ブロンズは幸多の思考を断ち切るようにパンと両手を強く叩く。
「ほら、考えるよりも先に行動だよ、あんたは頭を使い過ぎて損をしていることがたまにある。何も考えず、ただいつも全身で感じている魔術素を手のひらの上で感じ、それを留めるように意識してみな」
「でも、今ペンダント持ってなくて……」
「そんなの無くてもできるよ早くしな!」
「は、はい」
ブロンズに急かされ、とりあえず幸多は掌に意識を集中させる。ペンダントをかけていないため少し心許ない気持ちはあったが、いつもの訓練通りに魔術素の感知に努めた。やがて十秒も経たないうちに掌の上で暖かなエネルギーが漂っているのが感じられ、幸多はそれらを凝縮するようなイメージを膨らませて集めようと試みる。
「……くっ!」
が、どんなに頑張っても魔術素はただ通過していくだけで止まる気配はなかった。いくら願っても、生物ではない、心を持たないものが相手では幸多は無力だった。
やはりだめかと幸多が諦めかけているとーーボワッと突然温かい塊が手のひらの上に生まれた。
「……え?」
「出来るじゃないか」
一体何が起きているのか幸多には分からなかったが、ブロンズの言葉で自分が成功していることを知った。確かにその温かみは魔術素のそれで、しかしながら通過していくことなく手のひらの上で待機しているようだった。
「でも何で……全然成功した気がしなかったのに」
「凄いじゃないかい。一度魔術素に対する意識を断って、もう一度集めてみな」
ブロンズに言われるがままに、幸多は魔術素への集中を解いて、一度息をついてから再度手のひらに意識を集中させる。すると、今度は先程とは打って変わって面白いくらいに魔術素が集まってくる感覚を得て、可視できないためなんとも言えないが、掌に伝わってくる大きさとしてサッカーボールくらいの球体の塊を作ることに成功したことを感じ取った。
「……凄いねえ、本当に」
幸多の掌に生まれた魔術素の塊にブロンズは手をかざして把握し、呟いた。もっとも、先の『凄い』という言葉が嘘であれば、今のは思わず出た本音である。
実は、一度目の成功は幸多自身が成したものではなく、ブロンズが作り出した魔術素の塊をただ幸多の掌の上に乗せただけだった。そうすることで、魔術素の集合体がどんなものかということを直に感じさせ、イメージをさせやすくしたのだ。
だがそれにしても、とブロンズは顔には出さずに内側で仰天する。いくらイメージをさせやすくしたところで、それは微々たる補助に過ぎず、すぐに集められるようになるものではない。ましてや、直に感じさせた直後に自分で集められるようになるなど通常あり得るはずがなかった。ブロンズ自身そのありえないことを駄目で元々の精神で信じてやってみたわけだが、実際に幸多は成し遂げてしまった。
この成功の要因を、ブロンズは『天才』という言葉でしか説明できなかった。幸多は性格上、原理や過程を理解してから突き進む理論派であるとブロンズは思っていたため、いきなり結論を求めるのではなくじっくり一歩ずつ理論を理解させながら気長に訓練させるつもりでいた。が、今回の出来事で実は幸多が天才的な感覚派であることを知り、成功の感覚をなるべく体感させた方が幸多自身の魔術師としての成長が早くなると、今までの考えから改めさせられた。
「……あれ、別に集中を切らしたわけじゃないのに、塊が消えてなくなった」
幸多の少し慌てた声を聞いてブロンズは解説する。
「言っただろう、一時的だって。集めた魔術素が留まっているのはせいぜい十数秒間だろうね」
本当ならこの調子で体内への魔術素の集め方も教授したいところだが、今はゆっくり修行するような時間ではないことと、また手のひらに感じさせるものとは違い、魔術素を相手の体内に流し込むなんていう技はブロンズ自身も簡単には行えないため、一先ず魔術素を集めることについては区切りを入れ、
「じゃあ、次に【恐怖の魔術】についての説明をするよ。しっかり頭に叩き込んで理解しな」
とうとう、本題である魔術の話に移った。幸多もブロンズの方へと意識を移す。
「【恐怖の魔術】。それはかけた相手に恐怖を与える魔術で、私はよく治療に使う。あるものに対して過敏に恐怖を感じるようになった患者に少しずつかけることで恐怖に慣れさせていくんだ」
幸多は今のブロンズの話をすぐに理解できた。幸多が元いた世界でも暴露療法や系統的脱感作法と呼ばれる恐怖症といった症状に対しての治療法において、クライアントの症状を和らげるために実際に恐怖を感じる物や状況を段階的に体験させ、恐怖を克服させている。ブロンズはそれを【恐怖の魔術】を用いて行っているのだ。
「【恐怖の魔術】を発動するためにやることは一つ、さっきまで留めていた魔術素の集合体を相手にぶつけるだけ。ただ、きちんと魔術を発動させるにはその過程で成立させておかなきゃいけない要件がある。それはーー」
その後ブロンズは【恐怖の魔術】の発動要件を伝え、それを聞いた幸多は何度か練習を行ったのち、再びギバルドが待つ王城の正門前へと向かった。