覇者
「……はい?」
否定を一旦忘れて思わず幸多は聞き返した。それもそのはず、
「いやだから、俺をお前の護衛にしねえかって」
隻眼の男は繰り返した。
ーー護衛? 自分に? いやいやいや。
「いや、いらないですよ護衛なんて」
幸多はプルプルと必死に左右に顔を振るが、隻眼の男は食い下がる。
「何言ってんだよお前ここの王子なんだろ、王族が護衛を必要としないわけないだろ? それとも、もう護衛の手は足りているってわけか? そんなら俺と使えねー護衛一人とを交代させることをお勧めするぜ。さっき見たろ俺の実力。まあ正直あん時は本気の三割も出してねえがな。なあ、雇ってくんねえかしっかり仕事すっからよ? なあ?」
「いや……そうじゃなくて……」
詰め寄ってくる隻眼の男の圧力に幸多が困り果てていると、
「今のところ、追加の護衛を雇うつもりはありません」
少女の声を聞いた隻眼の男は、セラの方を初めて向いて、
「え……ええええ!」
驚き叫んだ。
「いや、お嬢ちゃんいつからそこにいたんだよ? 全く気が付かなかったぜ」
「ずっとここにいましたよ? あと、私はお嬢ちゃんという名前ではありません」
セラは華麗な仕草でドレスのスカート部分の両端を摘むと、
「サブルダ王国王女、セラ・フォンバステンと申します。ちなみに先ほどから話しかけている相手は私の専属魔術師である和馬幸多です」
なぜか『王宮』ではなく、『私の』と強調してセラは言った。
「……まじでか?」
隻眼の男の確認に、幸多はこくこくと小さく頭を下げて応じる。
「なーんだ、そうだったのかよ! あ、俺はギバルドってんだよろしくな。じゃあ改めて王女様、俺をーー」
「ですから、先ほども申し上げた通り追加の護衛を雇うつもりはありません。兵士の皆さんは優秀な方々ばかりですし、一切不満もありませんので」
ギバルドが言い終える前にピシャッと遮断したセラ。イライラしているのか、珍しく言葉にトゲがあるように幸多は感じた。【視線外しの魔術】を解いて自ら口を出す程である、ギバルドはどうやらセラの逆鱗に触れてしまったらしい。
しかし、ギバルドは引き下がらない。「ふーん」と間延びした音を鼻で奏でると、
「優秀な兵士ねー。でもさっき街のやつらから聞いたぜ、なんでも二週間前にでかい騒動が街で起きたらしいじゃねえか。俺は幾つもの国や街を渡り歩いてきてるし実際にやりあったこともあるから話を聞いた瞬間に分かったぜ、そいつが魔術師の魔術によるものだってな。優秀な兵士様がこの街にはごろごろいるにもかかわらず、まんまと無様に仕掛けられちまったわけだ」
「……あなたねえッ!」
一瞬、セラの口調が初めて聞く怒気のこもったものとなるが、少しの間目を閉じて心を鎮めるとーー自分の腕を幸多の腕へと絡ませた。
「え、セラ!?」
戸惑う幸多には構わず、セラはギバルドに向かって言い放つ。
「確かに襲撃には遭いましたが、その時はこちらの和馬幸多さんが見事に早期に問題を解決してくださいました。私には優秀な兵士たちと優秀な専属魔術師が付いています。ですので、ご心配には全く及びません」
「……へー、そのひょろっちい男がねえ」
ギバルドは、片目の視線を幸多にシフトすると、ガッと少しだけ目力を強めた。そんなギバルドの視線圧だけで幸多は息が詰まりそうになり、様子を見て「ハッ」っと鼻で笑い飛ばす。
「本当か? 今俺がほんのちょびっとガンを飛ばしただけで息できなくなってたぜ? とてもじゃねえが、街を救った勇者様だとは信じられねえなあ」
「あなた、先程から無礼ですよ。私を怒らせにきているだけなら早くお帰りくださいませ」
再三にわたるギバルドの無礼な発言で、セラの声音は恐ろしいほどに低いものとなっていた。セラにとって、自分の身近の人物たちが馬鹿にされている事が何よりも耐えられないことだった。自分は馬鹿にされてもいい、だが他の人々を悪く言うのは許さないという、王女の優しさが溢れ出すギバルドへの憎しみを生んでいた。
これにギバルドも流石にまずかったかと軽く頭を下げた。
「失礼、思ったことはすぐに口に出しちまう性分でな、悪気はないんだ許してくれ」
「私ではなく、幸多さんに謝ってください」
「ん、ああ、そうだな」
ギバルドは幸多に向き直るも……じっと見つめたまま数秒が経過し、
「……だめだ、やっぱ無理だわー」
「なッ!」
やる気が出ないという風にぐだっと上半身をだらけさせた。その態度にセラは怒りで顔を紅潮させ、大噴火。
「何なんですかあなたは!! 今この場面でそのような態度を示してはならないことぐらい三歳の幼児でも理解していることですよ!!」
「だってどうしたって信じらんねえんだもん、しょうがねえだろ? こいつの強さを間近で見て判断できりゃ話は別なんだがな………あ、そうだ」
襲いかかるマグマの火炎流のごとき怒号を気にすることなく、平然とした態度を貫くギバルドの頭上で電球がピカッと光り、提案した。
「なあ……幸多、だっけか? お前、俺と闘技する気はないか?」
「!」
話の流れはなんとか理解できた……が、それでも理性がついていけていなかった。意味は分かるが、意味不明だった。ただただ、幸多は黙って目を丸めていた。
ギバルドは続ける。
「お前の実力を直接この目で見てみてえし、俺は馬鹿だからよ、拳を交えなきゃ何も分かんねえんだ。内容はコロッセオと同じ、剣でも槍でもとにかく何でもいいから相手を戦闘不能にさせれば勝ちだ。もちろん魔術を使ってもいいぜ、実際コロッセオでもいたしな。もしお前がそれなりの力を持っていると判断したら謝ってやる。そんかわりもし負けたら俺と姫様の側近の立ち場を交代するってのはどうだ?」
「無礼者ッ!!!」
セラがキンキンに声を張り上げて絶叫した。
「無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者無礼者ォッ!!!!」
思いのままに連呼した後、はあはあと息を切らしたまま、
「あなたはこの城に、いえこの街に必要ではありません。生まれ育った国に戻って、ご両親に礼儀作法というものを一から教えてもらいなさい!」
セラの心からの拒絶に、ギバルドはぼりぼりとつまらなそうに頬をかいて、
「両親が誰か、生まれ育った国がどこなのかなんてもう昔のこと過ぎて覚えちゃいねーよ。それより、俺はお前に訊いてんだ。やんのかやんねーのか、どっちなんだ?」
「訊くまでもありません! 幸多さん、こんなやつと勝負する必要なんてーー」
「ーーお待ちください、姫様」
ギバルドが幸多に吹っかけてきた勝負をセラが割り入って破棄しようとした時、後方から巨漢軍人がこちらに向かってきた。
セラはギバルドへの感情が収まり切らないのもあり、近づくその相手を三白眼に近い眼差しで見つめた。
「……どういうつもりですか、バルガス?」
「申し訳ありません、盗み聞きするつもりはなかったのです。偶然近くを歩いていたところ聞こえてきたもので」
絶えず步を進ませつつバルガスがそう言って頭を下げると、セラは訊きたいのはそこではないと鼻息を荒げた。
「それは構いません。私が訊いているのは、どのような考えをもって勝負を断ろうとした私の発言を止めたのかということです」
達するところまで達してしまい、もはや誰にも止められなくなった王女の目の前に到着したバルガスは床に膝をついて忠誠心を示しつつ、
「私ごときの身分の者が姫様のお言葉に口を挟むなど、たとえ天地が返ろうとも断じて許されてはならぬ行為。どのような罰でも喜んで受け入れる所存でございますーーしかしながら」
ここでバルガスはセラの顔を覗き込むようにゆっくりと頭を持ち上げてから先を言った。
「それでも、無礼を承知で姫様へ一言申し上げますと、只今姫様は和馬幸多の意志とは無関係に話を進めようとしております故、それはどうかと思った次第でございます」
「! か、勝手に進めてなど! これは幸多さんだって思っているから代わりに私がーー」
「姫様はいつも私たちにおっしゃってくださっています、『私はいつも申し訳なく思っています。私が一国の王女だということだけであなた達を無理矢理私の護衛として縛ってしまっている。もっと自由に生きていたかっただろうに……本当にごめんなさい』と。ああ、なんとお優しい。王女という高貴な身分でありながら、私どもの人間として自由に生き方を選べる権利を気にしてくださるなんて、だからこそ我々は姫様をこの命に代えてもお守りしたいと心から思っていられるのです」
バルガスはこれでもかと発言に抑揚をつけて自身が抱くものを表現すると、セラは言葉に詰まりながらも、
「……そ、それとこれとは」
「お話が違う、と?」
「…………」
セラは尚も言い返したくてしょうがないという表情だったが、やがてはあと大きなため息をついて、
「はい、分かりました申し訳ありませんでした! 幸多さん、どうなさいますか?」
さっきまでの状態が幻か何かであったかと思えるほどに、親に言いくるめられた子どもへと成り果てたセラがやけくそ気味に言って、幸多に勝負をどうするか回答を委ねた。
「……いや……どうするって、言われても」
ここで突如回ってきた自分のターン。読めない展開の推移に遅れをとっていた幸多だったが、答えは定まりつつあった。
言うまでもなく幸多に格闘技の経験はない。対する相手は拳を握り潰して戦意喪失させるような見るからに戦闘に長けた人間である。実力差はやる以前から分かりきっていた。
「おい、和馬幸多」
と、幸多の中で断る方へと考えが固まった直後、バルガスは幸多のすぐ真横へ歩み寄って、言った。
「ーーーー」
「……やる」
自然と、反射的に幸多は呟いていた。
バルガスから言われたのはたった一言。しかし、その言葉は幸多にとって逃れることができないものだった。専属魔術師となってから蔓延っていた思いが全身を巡り、心境は一変。
スッとギバルドを見据えると、はっきり言い直した。
「やります、勝負を受けます」
「ひゅー! そうこなくっちゃなー!」
幸多の決断にギバルドは両腕を天に伸ばして喜びを露わにし、
「こ、ここここ幸多さん!? 正気ですか!?」
セラは卒倒しそうな勢いで衝撃を受けていた。幸多はそんなセラに平然と頷いて、
「大丈夫。ちゃんと自分が言っている言葉の意味くらい理解してる」
「そ……そうです、か……」
セラは幸多の意志を尊重したものの、立っているのがやっとなくらいにがっくりときていた。
「っしゃー、きたぜきたぜ血がたぎる! おいそこのでかいの! ありがとよ、助かったぜ!」
ギバルドはテンションを跳ね上げて感謝を述べると、対するバルガスは一切目を合わせることなく、
「別に貴様の手助けをしたかったわけじゃない。ただ、俺自身少し興味があるのは事実だ……『覇者』の力がどんなものなのか」
「へえ……あんた、俺のこと知ってるのかい」
ギバルドは、バルガスへ向ける視線を少しだけ警戒の眼差しへと変えた。自分のことを知っていたことと、またバルガス自身の外見から伝わる強さも加味した結果、意識をしておいて損はないと判断したのだ。
「『覇者』?」
異世界に転移して二週間経った今でも聞いたことがなかった言葉だった。幸多が疑問として口にすると、バルガスは説明する。
「ここから南西に約五百キロメートル先にある隣国、バルバッティア王国の王都には『コロッセオ』と呼ばれる闘技場が存在し、そこでは日々様々な国からやってきた格闘家たちが多額の報酬を手にするため戦い合っているという。そのコロッセオでは誰にも負けることなく百連勝を成し遂げたものに『覇者』という称号が与えられることになっているのだが、目の前の男は最後まで一切の傷を負わぬまま『覇者』の称号を手に入れた、コロッセオ史上最強の男と言われている人間だ」
「…………」
この時、幸多は初めて元いた世界に帰りたいと思った。バルガスの話は嘘ではない、ギバルドから溢れ出ている強者のオーラが全てを物語っていた。
明らかに自分とは別格、そして自分の専門分野とはかけ離れた格闘技というジャンルでの争いに幸多の中で後悔の渦が巻き起こる。
しかし、バルガス自身もそれを予期して言っていたようで、幸多に意志変更の余地は与えなかった。
「悪いが、勝負の前に準備の時間を少しもらうぞ。和馬幸多、ついてこい」




