ミスディレクション
翌日午前十一時、王城にて。本日も幸多は出勤しセラのサポートをする。
「幸多さん、王都からの連絡によると、どうやら遠い辺境の地で『空に届く程の高い塔』を建てるそうで、我が国に資金援助の話が来ているそうですが、どう思いますか?」
「……援助しない方がいいと思う、というかそもそも建てない方がいいかも。僕の知っている展開ではその後大変なことが起こるから」
「そう、ですか。でしたらその旨を王都側に伝えてみますね、私の話をどこまで王が聞いてくださるかは分かりませんが」
幸多がそう言うならと、セラは紙にすらすらと文字を綴り、王都宛てに送るよう使用人に手渡した。
幸多のいるリマイア地区は街の中に王城が存在するものの、王都というわけではない。王都にはしっかりと国王が王宮に住んでおり、セラはリマイア地区の全権限を国王から譲り受けているため、この王城に移り住んでいるという話を幸多は出勤初日にセラから聞いていた。もっとも、それだけの理由で一国の姫様が王宮を離れるのかという引っかかりもおぼえていたが。
「さてと」
パンパンとセラは手のひらのごみを払うように音を立てて両手を叩くと、
「今日は午前の仕事が早めに片付きましたので、これから少し城下にお出かけしようと思います」
「あ、じゃあ誰か兵士を呼んでーー」
「いえ、その必要はありません」
仕事場を出ようとした幸多をセラは制止する。
「ちょっとした外出なら警護はいりませんよ」
「え、いやでも一応報告くらいは。城下といっても危ないし、それこそこの間のように魔術師の襲撃があったら……」
「うーん、そうですね……あ、それならば!」
わざとらしく悩み、それからピコンと頭上の電球を光らせたセラは、
「どうしても心配というのであれば、幸多さんだけついてくることを許します」
「……え?」
話の展開に全くついて行けない幸多。今の自分ではセラを敵から守りきれないことは明白だった。
にもかかわらず、セラは強引に話を進める。
「二人であればいいでしょう、幸多さんもまだゆっくりと街を歩いたことはないのでは?」
「いや、まあ……毎日、仕事が休みの日も一日中家にこもって魔術の修行していますし」
「でしたら!」
その返答を待っていたとばかりにセラは幸多の手をとり、
「私がご案内します! 付いてきてください!」
「や、え、セラ! ちょっとあんまり引っ張んないで!」
セラの圧巻の積極プレーにより、二人は城下の街へと繰り出した。
元いた世界では『デート』と言っても過言ではないイベントだが、当然幸多はそのことに気付いていない。
街に出て五分が経過した時、野外市場に二人はたどり着いた。
「さ、まずは市場ですよ! この通りは色々と珍しいものがあって、たまに私自身も知らないものもあるのでとても面白いんですよ!」
「はあ、はあ、はあ……」
セラはドレスを着用しているにもかかわらずそれを感じさせない軽快な走りをここまで見せ、幸多はそれについていくだけで精一杯、この人が本当にお城のお嬢様なのかという微かな疑いさえも生まれていた。
胸を押さえて息を整えながら、幸多は思う。
ーーそれにしても、本当にセラと無断で城を抜け出して大丈夫だったのだろうか。
王城から出て行く過程で兵士や使用人に声をかければいいかと思ったのだが、まず廊下では一人もすれ違うことはなく、門の前にいた兵士にも「外に出てもいいですか?」という質問に対し即答で「どうぞ」と返された。だから正確に言うと無断ではないのだが……何か幸多の胸につっかえるものがあった。
「あ、見てください幸多さんあれ! 可笑しなお面がありますよ!」
幸多とはもはや生まれた星が違うのかと思える(実際生まれた世界は違うのだが)ほどにまだまだ体力バッチリのセラは、お店まで駆けて行ってお面を手にとり顔につけて見せる。
「『うおー!』ですかね? それとも『ひょひょー』ですかね?」
セラが被ったお面は何とも言葉で表現し難いものだったが、あえて言えば般若とひょっとこを足して二分の一に割ったようなものだった。セラはそんな顔面の生き物になりきって鳴き声をあげようとするも、やはり上手く想像しきれていなかった。
「ちょ、ちょっとセラ」
暴走気味のセラに幸多は戸惑いながらも近づく。
「一応国のお姫様なんだから、それなりの行動をとらないとまずいんじゃない?」
市場はお昼時ともあって多くの人々で賑わっていた。こんな中で一国の姫様がヘンテコなお面をつけて鳴き声をあげている姿を見せるなど威厳もへったくれもない。セラのサポーターである幸多は職務としてセラに注意した。
しかし、セラは注意されたことが嬉しいようで、えへーっとだらけた笑いを見せると、
「ご心配してくださりありがとうございます。でもご心配には及びませんーー皆さん、私のこと見えていませんし」
「え?」
幸多は周囲を見渡すと、買い物客たちはこちらに全く視線を向けていなかった。思い返すと、そういえばここまでの道のりでも通り過ぎていく人々は皆会話に集中して快走するこちらには見向きもしていなかったーードレスを着た国の姫様がそこにいるというのに。
「もしかして……【視線外しの魔術】?」
「正解です!」
ピコっと人差し指を突き出してセラは言った。何度も見ている魔術であるが、幸多はつくづく感心する。
「すごいな、僕には見えているのに周りの人たちには見えていないのか」
「【視線外しの魔術】は魔術をかけた対象への視線を逸らす能力ですので、私自身が透明になっているわけではないんです。だから、自分自身を対象にした場合でも、見て欲しい相手にはしっかり見てもらえるように調整することもできるんですよ」
えっへんと胸を張るセラ。ドレス姿の少女が胸を張る様子は何とも滑稽であったが、その姿は幸多以外に見えていないため笑うものは誰もいない。要は手品師が手品のタネを隠すために観客の視線を他のものに向けさせるテクニックである『ミスディレクション』と似たような原理かと幸多は結論付けた。
と、ここで幸多は理解した。
「じゃあ、もしかして城をすんなり抜け出せたのも【視線外しの魔術】を使ったから? いや、まずいでしょそれ?」
「大丈夫ですよ、いつもやってることですから」
全く悪びれないセラ。対する幸多は「いやいや!」と、
「そういう問題じゃないよ。街は危ないんだから」
「大丈夫ですって。さ、どんどん見ていきましょう! まだまだいろんなお店が奥にありますから」
そう言ってセラが振り向きざまに走り出した途端ーードンっとこちらに歩いてきていた十代と思われる青年にぶつかった。
「ふが!」
「セラ」
顔面から男性に突っ込んだセラは不細工な声をあげ、慌てて幸多もセラの元へ駆け寄る。
「大丈夫? すみません、ぶつかってしまって」
幸多はセラに一言かけた後、青年に対しても謝罪した。すると青年は追突箇所である胸の部分を摩りながら、
「ってーな、てめえ!」
憤怒の形相で、幸多へ言った。
「お前どこに目付けて歩いてんだ! ああ!?」
「ええ? いや、僕じゃあ……」
幸多は自分ではないと否定しかけたところで納得する。ぶつかった張本人であるセラは只今【視線外しの魔術】の真っ最中。したがってぶつかってもそのぶつかった対象を見ることはないため、後から駆け寄って謝ってきた幸多が自分にぶつかってきた相手だと誤認したのだ。【視線外しの魔術】による帳尻合わせのようなものかと幸多は思った……が、そんなことを考えている余裕はなかった。
「おいお前、めちゃくちゃいてーよ骨折したわ。治療費出せ」
「え……いやー」
「んだてめえ! 悪いのはてめえだろオラ!」
荒々しい怒声で怒鳴られるも、幸多は青年の胸の部分を見る。セラは駆け出し初めていたとはいえそこまでスピードにのっているわけではなく、向かいから来ていた男もゆっくり歩いてきていたため、どう考えても骨折するような衝突ではなかった。実際、青年は胸から手をどけて幸多を怒鳴ることに集中できている。
「……多分、骨折はしてないかと」
「はあ! 俺が嘘ついてるってんのかオラ!」
しかし幸多が言っても認めない。当然だ、端から『治療費』が目的ではないのだから。
「いいから早く金出せや! シバかれてえか!」
片手で幸多の胸ぐらを掴み、一層に睨みをきかせる。
「……え?」
圧倒的なまでの理不尽を前に、幸多は訳が分からずエラーを起こしていた。どうすればこの困難を回避できるかと考えるが、初めてのことで上手く頭がついてこない。青年がどういう理屈でなぜここまで憤慨しているのか、理解しようにも幸多の中にある数多の研究資料たちの中に答えを知るものはなかった。
「こ、ここここ幸多さん!」
鼻の部分を抑えながらセラが叫ぶも、唐突に訪れた出来事に対応できずおろおろとしていた。
「見ているだけでムカついてくんなこいつ。一発入れとくか」
幸多が何もしてないのに勝手に怒りが頂点へと達した青年は、空いていたもう一方の手に拳を作り、振り被る。
「おっらあ!」
「ーーッ!」
向かってくる拳を目の前に、幸多は歯を食いしばって必死に目を瞑り、殴られる準備をした。バルガスとのゲームの際は相手が殴ってこないことが予想できていたため静観を保っていられたが、殴られることが確実である今は話が別。迫り来る拳に、幸多はただ無力なまでに恐怖していた。
バチンと、辺りに拳が叩きつけられた音が響き渡る。
離れて様子を見守る大勢の市場の客たちの前で、青年の拳は幸多の顔面ーーではなく、第三者の男の手のひらに包まれていた。
「!」
幸多自身もう無理だと思っていたところへの救済に、拳を止めた第三者の男を見る。幸多や青年よりも一回り近く年上に見える白い麻服一枚を身にまとった男は、いかつい顔立ちで無精髭を生やしており、長い赤髪もボサボサで野性味溢れる雰囲気を醸していた。その姿を『不衛生』ではなく『野性味溢れる』という感想が先に幸多の中に挙がったのは、男の右目が刃物のようなもので傷つけられて閉じており、片目のみで若者を凝視しているためである。
「おいおい兄ちゃん、言いがかりは良くねえよ。あんた骨折してないんだろ? それなのに暴力ふるって金を奪おうなんて、あんたのお袋さんも悲しむぜ?」
「なんだお前? 関係ねえやつが口出しすんじゃねえよ、早くその手をどけ……なに……!」
青年が振り払おうと腕に力を入れるも隻眼の男の手は離れることはなく、どころか拳は一切の自由を失っており、もがいているにもかかわらず拳だけは空中に静止しているようにその場にとどまっていた。次第に青年の顔に焦燥の色が浮かびあがっていき、幸多から手も離して全身で逃れようとしたが、無駄だった。
「お、お前……」
「ん、何だこれで終わりか? この程度の力しかねえやつがカツアゲしてんじゃねえ、よ!」
「ーーっああああああ!」
隻眼の男はつまらなそうに呟くと拳を掴む手に力を入れ、青年は男の握力による痛みで腹の底から喘ぎ苦しんだ。
「あああああああッ! 分かった、分かったからもう離せ……離してください!」
「はいよ」
男がぱっと手を離すと、青年は急に支えを失ったことでその場に一度転倒したが、早くこの場から離れたいと四つん這いになりながら逃げて行った。
「大丈夫か、兄ちゃん?」
青年から手を離された瞬間にその場に崩れ落ちていた幸多を、隻眼の男は軽々と持ち上げて立たせた。幸多を持ち上げた男の腕は筋肉で太くがっしりとしており、バルガスの筋肉が『洗練されている』と表現するならば、男の腕は『荒くれている』と表現できるほど、まるで人を殴るためだけに鍛えたものであるかように見えた。
「な……なんとか。ありがとうございます」
相手の風貌に気圧されながらも幸多がお辞儀すると、男はニッと口角を上げた。
「いいってことよ。それより隣にいた女の子は大丈夫……あれ?」
隻眼の男は一瞬きょとんとした表情になったかと思うと、きょろきょろと辺りを見回して、
「おかしいな、あんたの隣から女の子の匂いがするから連れがいるんだと思ったが……すまん、気のせいだったようだ。ま、次は気をつけろよ」
首を傾げながら自分の最初の認識とのズレを疑問に感じている様子であったが、記憶違いとして片付け、その場を離れていった。