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異世界で使える心理学  作者: 板戸翔
異世界転移編
1/24

大学図書館の地下倉庫から

 ばたん、と。

 大学図書館の地下倉庫、地上の喧騒から完全に隔離されたその場所にて、厚みのある書物を閉じる音が響いた。

 和馬幸多かずまこうたは不健康にか細い両腕で千ページにも及ぶ研究資料集を懸命に持ち上げ、やっとの思いで棚の上段に戻すと、息をついて間もなく隣の資料を手に取り、踏み台を椅子代わりにまたその世界にふけり始める。


 今年で十九歳となる幸多は、日本でも有数の名門大学である私立上緒じょうちょ大学に現役入学した一年生。それも全新入生の中から一握り、どころか一つまみすらもない人数だけが選ばれる特待生の一人である。


 名門大学の特待生。当然にして保有する知能は常人の上をいくが、そのことによって幸多は未だ入学時から一人も友人と呼べる友人ができていない。

 いや、これは彼の知能自体のせいではなかった。実際、凄まじいIQの数値を叩き出していても人付き合いが上手い人間は世の中に沢山いる。問題は知能ではなく、性格。

 もしくは才能と言っていいかもしれない。和馬幸多という人間は、致命的に人付き合いが下手くそなのだ。


 明らかに短所である点を才能と言っていいのかどうかは定かでないが、生まれ持った天性のものであるのは確かだ。幼い頃から勉強を初めとし、基本的に一人で何でもこなせてしまえるが故に、幸多は来年で成人だというのに、人に教わるという行為の必要性を見出していない。『人に訊く』ということがなければ、人との繋がりも中々生まれてこない。

 

 だが、それだけの理由で人付き合いが下手くそというのはいかがなものかと。『基本的に』こなせるのだから、中には出来ないこともあるのだろう、そこから繋がりは生まれないのか、という疑問を持った人もいるかもしれないが、結論から言うとそれはありえない。


 なぜなら、幸多にとって出来ないものとは、興味のないことだからである。


 例えば、運動は全般的に幸多にとって出来ないことに入るが、自分の中で運動というものを『必要なし』と仕分けてしまっているため、出来るようになりたいとは思わない。興味のないことを人に訊くはずもなく、訊きたくもないから人を避ける。こんなことを続けていれば相手からしても誰がこんな人間に教えるかとなるのは必然だった。ちなみに、こんな人間である幸多が『人との繋がり』に興味を持っていないことは言うまでもない。


 変人。


 小中高といつの時代も陰で囁かれる幸多のあだ名はこれだった。なんのひねりもないこの二文字。大学の教室内に至っては変人という言葉の強みも増していた。「何でよりにもよってこの学部にいるのか」と。

 幸多自身も自分が他とは違う、それも悪い方向にねじれてしまっていることは分かっている。それでも人との繋がりにどうしても価値を見出せず、大学生となっても幸多は独りとなる選択肢を選び取り、今日も今日とて大学内にいながら講義には出席せず図書館の地下倉庫で読書三昧というわけだ。


 ここは静かで居心地がいい。

 幸多は素直に地下倉庫という場所を気に入っていた。特に今いる地下三階は滅多に人が寄り付かない。なんでも、よく幽霊が出没するという噂があるとかないとか。


 しかし、幸多にとってそんなことはどうでもいい、興味のないことだった。丁度専攻している分野の資料も豊富にこの階に眠っていることもあるため、恐怖というよりも快楽を得られる、むしろ天国のような場所であると感じていた。だからこそいわゆる天使のような霊体が現れてもおかしくはないか、などと彼独特のジョークも上機嫌に抱きつつ、ページをめくる。


 時を忘れ、薄暗い地下倉庫の照明下で黙々と読み漁っていた幸多だったが、ポケットに入れたスマートフォンの振動が午後七時半を伝え、読み途中であった資料を閉じた。


 幸多は現在一人暮らし。当然に夕飯やその他諸々の家事を自分一人で行う必要があるため、早く帰宅して済ませなければ就寝時間が遅くなってしまう。次の日早く起きなければならない用事も講義という存在を除いてしまえば特に何もないのだが、生産性のない無意味な夜更かしをひどく嫌っている。


 どうせここに来る人間はほとんど自分だけだし、借りられて読めなくなる心配はない。また明日読もうと棚にしまい入れた、その時だった。


「帰ってしまわれるのですか?」


 ビクッと全身に震えが走り、幸多は反射的に警戒の眼差しを声の方へと向ける。外で声をかけられるなんて、道端でおばあさんに道を尋ねられた数ヶ月前以来のことだった。


「あ、あわわ……驚かせてしまいまい申し訳ございません、ですう」


 すると、幸多の様子を見て慌てて白い肌のスレンダーな少女は謝罪し、長い金髪を煌めかせながら頭を下げた。それを見て落ち着きを取り戻した幸多は、ここで初めて相手が自国の人間でないことを認識した。


 謝罪の言葉を聞いても、どうやら声をかけてきたのは目の前の存在で間違いないようだ。

 しかし、幸多はなおも懐疑的姿勢は貫いていた。地下三階のフロアは息遣いなど幸多から発せられるもの以外は無音状態。完璧に限りなく近い静寂の世界だった。他の人物が訪れればたちまち足音がその環境をぶち壊し、いくら読書に夢中になっている幸多でも接近者にすぐ気がついただろう。


 にもかかわらず、幸多の耳はたった今声をかけられるまで、足音を初めとした生体の存在を感じ取ることはなかった。何一つ、聞こえなかった。


「……君、誰?」


 声を出したのは果たしていつぶりだったか、多少掠れていたがなんとか相手には伝わったようだ。


「あ、すみません申し遅れました、です。私はセラ・フォンバステンと申し上げまする……!」


 一度姿勢を戻したと思うと、セラは再び深く深く腰を低くしてお辞儀した。


 ーーセラ……留学生、なのかな。日本語も発音自体は滑らかだけど敬語の使い方おかしいし。だけど……。


「えっと……学年と、学科は?」


 この幸多の二つ目の問いは、それは目の前のセラという少女があまりにも幼く見えたためだ。

 と言っても、身長が百七十センチの幸多から五センチほど低い程度のため、小学生まではいかない。けれどもあか抜けていない容貌や、白を基調とし要所でフリフリのデザインが施されているワンピースを身にまとう姿は、どう考えても大学生には無理があった。いっても高校生、中学生であれば十分納得といった感じだ。


「あ……あの……学、年? 学、科? ですか?」


 意味が分からないと首を傾げてみせるセラ。この言動だけで幸多はセラが大学の生徒でないことを悟った。


 では、なぜ大学生でない人物がこの図書館の地下倉庫にいるのか。図書館自体は学生でなくとも手続きを済ませれば入れなくもないが、それでも地下倉庫には入れないという注意書きが入り口に大きく貼ってある。地下倉庫前にはカウンターがあって職員が常時立っており、盗み見て侵入したという線は中々考えづらい。


 セラという未知の生物級に謎の存在を前にして、幸多はあの噂を思い出した。

 無論、それは地下三階に出没するという幽霊の話だ。


 詳しい内容までは知らないため一体噂の幽霊がどういったものなのかは分からないが、意識してみるとセラは(日本人ではないということも関係しているのかもしれないが)どこか浮世離れした存在感で、それこそ天使と言われても飲み込んでしまいそうな異質な雰囲気を醸し出していた。


「……君はいつもここにいるの?」


 馬鹿げていると思いつつも、僅かに抱いた可能性を精査するために問いかけると、


「はい、いつも私はここであなたが本を読んでいるのを見ていましたよ、です」


 セラは無垢な笑顔を見せながら答えた。

 いつも見ていた、と言われた割には不思議と恐怖心は湧かなかった。なぜか、理由は分からない。


「いつも?」


「はい、いつも、です。私はあなたの隣にいましたですよ?」


「それは、気づかなかった」


「当然です。今までは【視線外しの魔術】を使っていましたですから」


「魔術……」


 セラのふざけているように聞こえる言葉に、あろうことか納得してしまっている自分がいた。そんな自分自身に違和感はあるものの、疑問にまでは至らなかった。


「じゃあ……何で今はその魔術を使っていないの? 認識できているということは、魔術を使っていないということ、なんでしょ?」


「それは、あなたにこれを読んでもらいたかったからです」


 言うと、セラはいつの間にか二、三百ページ程の厚さのある青いハードカバーの本を両手に持ってこちらに差し出していた。

 本当に訳がわからない。セラが話す一つ一つの事柄も、まるで空気を見つめているような、透明なのに不透明と言うべきセラ本体も、そしてそれらを受け入れて先へと進めている自分自身も。


「すみません、です。途中から【受け入れの魔術】を使っているため、私の発言に対し疑念を抱くことなくただ受け入れている状態で非常に気持ち悪く感じていると思いますですが、でもあなたと話すにはこれしか方法がなくて……どうしても、これを読んで欲しくて……受け取っていただけません、ですか?」


 受け入れ……そうか、これも魔術の力なのか。幸多は容易にセラの言葉を受け入れ、その上で思考していた。


 セラの聞き方は『命令』ではなく『お願い』。話を進めやすくするために発言自体には仕込まれているが、あえて魔術の力で無理矢理本を受け取らせることを避け、選択の余地を残している。つまり、ここから先は幸多自身で決めることができる。

 本を読むか、読まないか。たったそれだけのことだが、それだけのことで今後の運命そのものが決まってしまう気がした。そう感じてしまう何かが確実にこの場にあった。

 罠ではないかという疑心もある。が、幸多は一つの思いを口にした。


「ねえ、その本を読んだら、僕の世界は変わるの?」


 どこか退屈で、停滞している今の生活から抜け出せたら。ほんの少しでも今とは違う世界を見たい。

 そうした気持ちで幸多はいつも本を読んでいることもあり、セラの言葉にも、まず第一にそんなことを思ってしまっていた。

 その質問に対し、セラは。


「はい、間違いなく変わりますです。それについては保証しますですよ」


 はっきりと、言い切った。


「じゃあ、読む」


 その言葉が、幸多の口から即答というレベルの早さで飛び出していた。これも魔術の力で言わされたのか、それは全く不明だが、幸多にはどうでもよくなっていた。


「ありがとうございます……です……」


 本を受け取ると、セラは今にも泣き出しそうな様子で振り絞るようにして声を発した。

 なぜだろうと、セラに対しそんなことを思った気もしたが、実は幸多はこの辺りから意識がぼんやりとし始めていて、記憶も曖昧なものとなる。


 とりあえず、本を開いた、そして読んだ、それは確かだ。本は、とても綺麗な文体だった。

 


 節々における単語の選択や文の構成がなんとも絶妙で、これ以上のものはどんな有名作家でも書けないのではないかと思わされるほどに魅力的で。




 幸多は取り憑かれたようにすっかり文章に夢中となり。












 気がつくと、幸多は異世界にいた。

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