凄いこと≠かっこいいこと
久しぶりに、旧友と出会った。
そこはおいしいとおすすめされて行った、ラーメン屋。
「おぅ」
「久しぶり、ここでバイト?」
「まぁな」
そう言ってからお冷を置いてくれる。
「学校行ってるのかと思ってた」
「ん・・・その資金調達のバイト中」
「え」
「自分の金で行こうと思ってる」
「・・・へぇ」
あんまり記憶はないけれど、幼い頃は周りの誰よりも努力してきていた彼。
だから、まぁこの話だって彼らしいというか、何というか。
でも。
同時に思うのだ。
学校に行くと、決めた割には自分の力だけで行ったわけではない自分。
それに対しての彼の意思の強さ。
努力の量。
ポンポンとリズムよく進んでも、それに意味はない。
そうじゃなくて、どのくらい自分の意思で、力で進められるか。
自分という駒を、うまく使えるか。
そう言ったことが大事なのではないかと。
「すごいね」
その言葉に一切のとげがなかったとは、思えなかった。
自分では到底できない事だ。
羨ましいという感情ではない、どこまでも広がる自由。
人間は生まれながらにして自由だ、と言っても本当に自由に何でもできる訳じゃない。
勝手に自分で制限を付けてしまうのだ。
だから本当に自由に生きている人は少ない。
羨望、焦燥。
自分もそうありたい、でもできない。
そんな思いがこぼれた。
すると、彼は笑って言った。
「別に大したことじゃないよ。お前の方がすごいじゃん」
ガツンと、頭を殴られたような感覚。
手先に関しては震えてしまう。
そうか、本当にそうか?
学校に現役で入ることが、本当にすごいことか?
入学後、中だるみするような奴が、すごいか?
それとも私の言葉に反応した、嫌味返しか?
ちらりと覗き見た彼の顔。
キラキラした目に、私の困惑顔がはっきりと映っていた。