空を奏でる
ふと思い付いて、書き始めてみました。
調子が悪い日に限って、会いたい人に会うものだから、どうしようもなく心が満足に満たされない。調子のいい日はむしろいつも会う人、いつも通りの生活ができる。それはそれでいいことなのかもしれないけど、もし調子のいい日に会いたい人に会えたなら、それはどれだけ素晴らしい日になるだろう。
屋上にで流れる雲をみる。雲はいつでも僕を見下ろしている。いや、もしかしたら誰も見下ろしていないのかも知れない。ただ淡々と流れているだけなのかもしれない。雲に、会いたい人が居たとするなら、それに出会う確率はとっても低い。だって、雲は無作為に生まれて、風に乗ることでしか流れることが出来ないのだから。でも、人は違う。風に流されず、自分の行きたいところに向かうことが出来る。
・・・会いたい人のところへ向かうことが出来る。
キュルキュルとタイヤが嘶く。それが耳障りで、動くのをやめた。僕が動かなくたって、僕が消えることはないのだから。
最初見ていた雲がもうどこかへ消えてしまった。今日の流れは速くない。とても長い時間空を見ていたのだろう。屋上の隅では小学生らしき少年がお母さんとあやとりをしている。上手く二人で取り合って形を作る式のもの。少年はとても楽しそうだ。それを見てるだけで僕は関係ないのに嬉しくなってくる。
子供には、心を分け与える不思議な力があると思う。子供が泣けば悲しくなるし、子供が笑えば幸せになる。そうやって大人は心の安息を求めているのかもしれない。子供が居なければ、きっと大人達の心は真っ黒になっていたかもしれない。
屋上の扉が開く音がする。首をそっちに向けると、見慣れた姿。お母さんだ。
お母さんは僕を探していたようで、薄く汗をかいている。二言三言言葉を零してから、僕を病室へ向かわせる。
分かってしまう。僕には子供が持つ力がない。僕が感じた幸せを、お母さんは分かってくれない。ただ、僕を探し、見つけたことだけで精一杯らしい。お母さん、心配しなくていいんだよ。僕はどこにも行かないよ。その気持ちすら、僕を病室に向かわせるお母さんには伝わらない。
あやとりをしていた親子は、少年が触れた毛糸に母親が触れたことで心が通じ合っていたように見えた。あの毛糸が、心を仲介していた。僕はどうだ?僕とお母さんは触れていないけど、車椅子が僕とお母さんを仲介してくれている。なのに僕の心は伝わらない。なんで?
何が違うんだろう。僕が触れているものにお母さんも触れているのに、伝えたいことが伝わらない。心配されたくて屋上に行ったわけじゃなかったのに。
僕はベッドに横たわる。それを確認してからお母さんは病室の掃除を始める。
病室から見える雲は、くすんで見えた。それは窓を隔てているから。いや、それだけじゃない。
いつから僕は、こんな不器用になったのだろう。ずっと前は、皆僕の気持ちを分かってくれたのに。時が経つにつれて段々皆僕のことを理解しなくなった。今となっては、僕のことを理解してくれるのは、ただ一人。
お母さんがやることを終えて、色々なことを話してくれる。でも僕はそんな話を望んでない。わかってくれよ、お母さん。僕には話してほしいこと、話したいことがある。僕は嫌で嫌でたまらなくなって、お母さんが話しているというのに、眠りについてしまった。
起きると、病室には誰も居ない。時間を見ると、結構遅い時間。いつもより長く寝てしまっていた。
今日は調子が良かった。比較的に。
雲を見ると、オレンジ色に着色された雲が、およそ動いていないほどのスピードで進んでいる。太陽に照らされて、寝る前とは違う景色になっている。
僕にはそれが、全く違う存在に見えてしまう。昼間に見る雲は、夕方に見る雲とは違う。雲は雲だけど、存在が違う。それは、意味が違うということ。昼間の雲は、どこかへ向かって夕方の雲は、どこかへ帰っていくようだ。
この病室には音一つない。聞こえるのは外の人工的な音と、廊下で人が喋るかすかな声。この環境は嫌いじゃない。僕と全く関係ないところで僕に聞こえる音は、僕が何をしようと消えることはない。僕は、そんな音が好きだ。
今日は、来ないのかな。つい、ふとあの人のことを考えてしまう。唯一僕を理解してくれる存在。誰も知らないけど、僕のことを全て知ってくれている不思議な存在。
調子が悪い時に限って現れて、僕の隣で音を奏でる。それは音楽とかそういうのじゃなくて、言葉に出来ないようなもの。
人の言葉より気持ちよくて、物の音より心地いい。僕はそれを勝手に、『空の音』と呼んでいる。
名も知らぬその存在は、僕の隣で空を奏でて、どこかへ消える。その次の日は、必ず調子が良くなって、なんでも出来そうな気分になる。
お礼を言いたいのに、言うことができない。だって、調子が悪いと、何も出来ない。何も出来ないのに音だけ聞こえて、気持ちいいけど胸がすかない。どうか、お礼を言わせてほしい。僕のことを理解してくれて、僕のほしいものをくれたあの人に。
時間はただ進み、夜になってしまう。調子が悪いときはすでに寝ているけれど、それ以外の日はまだ起きている。あの人に会えるかもしれないと思って。
いつもあの人が現れる時間、ついにあの人は現れなかった。・・・また、会えなかった。
僕はベッドに顔をうずめる。いつだか聴いた、空の音を頭の中で奏でながら。
「・・・」
「先生・・・」
「命に別状はありません。しかし、非常に生活しにくくなることは確かです」
「じゃあ、もう・・・」
「声が全て失われたわけではありません。日々の調子によって声の出が左右されるのです。本人が治したいという意志を強く持てば更に治療に踏み込めるのですが・・・」
「あの子は、望んでいないんですか・・・?」
「・・・これはなんと申したらよいのか・・・」
「・・・覚悟は出来ています。教えてください」
「・・・ある日、突然声がよく出るようになるんです。その時を狙って声を治さないかと問いかけてみるのですが、息子さんは受け入れません」
「な、何故ですか・・・?」
「どうも、『あの人に会えなくなってしまう』からだそうで・・・何か、心当たりはありませんか?」
書き終えて気付いたこと。
言葉じゃなくてもなにかを伝えようとしてる人に向き直ろう。
ご精読ありがとうございました。