第十八話:もう一つの世界――ウォーターランド――
「ジャジャーン!」
「ぶっ!」
身体に纏っていたタオルを一気に剥ぎ取り、眩い白のビキニを顕にするユイ。その薄布の奥には今やトップモデルの地位まで上り詰めたボディ。そして普通に立っているだけでも目のやりどころに困るのに、何故か女豹の様なポーズをとっている。(人工の)浜辺に座っているオレの前には大迫力のパノラマ。
「どう? コウジ」
「分かった。分かったから」
オレには刺激が強すぎる……。こういう時は難しい漢字を思い浮かべて煩悩をめっきゃく! ――あれ? よく考えたらオレ難しい漢字とか知らないな。さり気なく思った『めっきゃく』という漢字も怪しい。『減却』? 減るっていう字は違うか。
そんな下らない思考を強制的に終了させるユイの接近。気がついたら20cmくらいの位置まで近づいていた。
「分かったって何が〜?」
「ち、近寄るな!」
「ほ〜れ、ほ〜れ」
「くんな! オレは泳いでくる!」
「あ、今かおりん達が――」
「おまたせ〜」
ユイから逃げる様にして方向転換をすると、両手にソフトクリームを持ったカオリンが立っていた。当然水着(ユイとは違った黒のビキニ+パレオ)だ。オレはこっちの方が好みだな……。
「はい、コウジ君。バニラでいい?」
「あ、ああ。ありがとう」
自分でも分かるくらい声が震えていたが、当のカオリンは笑顔でアイスを渡してくれた。相手がユイだったらこうはいかないだろう。
「はい、ユイはチョコね」
「サンキュー、かおりん」
げ、チョコだ。これだけ近いと匂いが……。しかし、オレがチョコ嫌いだという事をユイに悟られてはいけない。理由は言わずもがな。
ここはさり気なく距離を――ん? 何か後頭部に柔らかいものが……。
「なにしてん?」
「なっ!?」
柔らかいものの正体。それは――
「あ〜、コウジったらやらし〜」
「コウジ君……信じてたのに」
「ちっ、違っ」
――ユウの胸だった。ユイやかおりんに比べると、微々たる膨らみだが、二つのそれは例外なく柔らかかった。
……じゃなくて!
「ごっ、ごめん!」
「あ〜あ、今の淫行よ?」
「さようなら、コウジ君。一回くらいは面会に行ってあげるから……」
「ノォー!」
「まあまあ、別に減るもんやないし、ウチは気にしてへんよ? あ、今もとから減る程ないとか思たやろ? 酷いな〜」
「さ〜て、通報通報」
「早く荷物まとめた方がいいよ? 何なら手伝おうか?」
「やめてくれー!」
マイペースにボケるユウ、ドラマに出ていても違和感がないほどの演技をするユイとカオリン、そしてそれに翻弄され続けるオレ。
……情けない。
「はぁ」
本当に疲れる。とりあえず、当のユウは気にしてないみたいだ。もしこれがユイだったら――想像するのも恐ろしい。
色々と心配事はあったが、有名アミューズメントパークのセレブティーパス(全乗り物を並ばずに、優先的に乗れる希少チケット)で遊び放題だと思ったのに、入って一時間もしない内にこの疲労感。先が思いやられる。
「ほ〜んと、コウジはからかいがいがあるわ」
悪戯好きな子供の様な表情でズイッと寄ってくる。すげーチョコ臭い。
「は、はは。オレちょっと」
さり気なく距離を置いたつもりだが、ユイの顔からはオレを不振に思うのが明白に分かる。
「コウジ」
「なっ、なに?」
あ、声裏返った。
「アイス食べる?」
「え!? いや、自分のがあるから」
「そっちはバニラでしょ? 私のはチョコ」
な、何故分かった!? いきなりピンポイントすぎだろ!?
「い、いや、食べ掛けじゃないか」
「いいの、私は気にしない。はい交換」
「あっ」
動揺した一瞬の隙をついて、オレの手にあったソフトクリームを取り上げる。ユイの手にはオレの食べかけのバニラ味が、オレの手にはユイから渡された食べかけのチョコ味が……。
「ん〜、バニラもおいし〜。あれ? どうしたの? そっちのチョコ味も美味しいよ?」
「うぐぐ」
「ん? どしたん?」
「顔色悪いよ?」
やばい。匂いだけで意識が持っていかれそうだ。こうなったら盛大に落とす。牛さん、アイスクリーム屋さん、ごめんなさい!
「ああっ! 手がすべっ……」
「もう! さっさと食べなさいよ!」
「っ!?」
まさに落とそうとした瞬間、ユイの張り手が後頭部に入った。
そして口の中にはソフトクリームが……って、この味ってチョ――
「大丈夫?」
「な、なんとか」
本当はあんまり大丈夫じゃない。何年ぶりかのアノ味は、やはり強烈だった。
今も口の中がマヒしてる気がする。
「ほ〜んと、なっさけないなぁ。嫌いなものを口に含んだだけで失神なんて」
「うっさい! あれだけはダメなんだよ」
「ユイ、あんまりイジメちゃダメだよ?」
「私はイジメてるつもりはありませ〜ん」
改めて確信した。ユイはオレの『天敵』だ。そしてこの関係は未来永劫崩れない気がする。
「あっ、優の大学が見えるよ。こんな高い所から見るの初めてかも」
「あ、ほんまや。由貴姉さんおるかな〜? お〜い」
ユウのお馴染みになったボケで和む観覧車中だったが、オレは少し沈んでいた。先ほどの騒動(チョコ味のソフトクリームを食べて失神)で目立ったせいで、ユイがモデルの渡良瀬唯だとバレてしまったらしい。そのためプールからは撤退せざるを得なくなり、人目を避けながらなんとか観覧車に乗っていた。
その点に於いては申し訳ないが、当のユイは、べっつに〜とおどけて許してくれた。いいヤツなんだか悪いヤツなんだか……。
「そんなことより最近忙しそうやな、かおりん」
「まあね〜」
そういえばカオリンも有名人だった。本名は美崎香織で、なんでもナレーションや声優業、時にはステージイベントをこなす売れっ子らしい。
最初に知ってるような気がしたのは、慎が持ってた雑誌に載ってたのと、テレビで聞いた事がある声のせいだった。
「コウジ君って泉稜から来たんだよね?」
「あ、うん」
「それってどっちの方角だっけ?」
「ん〜、よく分からないな。オレ方向音痴だから」
「へ〜。ユウと一緒だね」
「何を言うてんねん。ウチは勘を頼りにして探究心をやな――」
どっちの方角か……。そうだ、今のこの世界はオレがいた世界とは異なる。
住んでいる人、場所、生活等は同じだが、根本的な所が違う。よく分からないけど、隊長の言葉を借りるなら『パラレルワールド』の一部だ。オレがいた世界と同時進行しているもう一つの世界らしい。
だからこの世界にも間違いなく泉稜がある。そしてもう一人オレもいるはず……。この空音って地名も聞いたことがあったかもしれない。
こっちに来ることになった原因である任務は既に済ませてあるから、この世界に用はない。任務終了後、あのHAPPY TALKってカフェに行かなかったら、今頃仮の家で寛いで明日には帰れたのに……。
不幸なことに、オレの一日はまだ終わりそうにない。
「せやろ? コウジ君?」
「え? なにが?」
「聞いてなかったの? コウジのくせに生意気」
「ひどい言い草だな」
なんかオレの世界の慎扱いだ。
「まあまあ。あ、でね、コウジ君。コウジ君もユウみたいに目的地と全く違う場所に行っちゃうことあるよね? って話」
「ああ、あるある。さっきも言ったけどオレ本当に方向音痴なんだ。この前も――」
ん? 急に肩に何かが……。隣はユイだ。何か恐ろしい事が起こるのか?
恐る恐る肩を見ると、そこにはユイの頭があった。顔を覗き込むと目を閉じ、規則正しい小さな呼吸をしていた。
つまり、眠ってるわけか。
「あらら、相当お疲れみたいだね」
「いい役どころやな〜コウジ」
……よくない。起こしたら怒られそうだし、起こさずに運んでも何か言われそうだ。
「どうしよっか?」
「とりあえず下に付くまで様子を見たほうがいいかもね」
さすがカオリン、正論だ。このまま何事もなかった様に目覚めてくれるととても助かる。