第十四話:想い出の花――夢――
――この花は……あやめ? 青紫の花弁を遠慮がちに開き、微風に揺られている。
何故あやめを見ているのか、何故こんな所――月明かりの差す雪原――に咲いているのかは気にならなかった。
辺り一面に雪が降り積もっているが、花の周りだけはポッカリと穴が開き、丁寧に手入れがされている。
「――大事にしてるんだね」
最初からそこに居た様に、哀しそうな表情の悠希が優しく花を撫でる。
「羨ましいな」
「羨ましい?」
返事の代わりに笑顔を返す悠希。
「この花はね、コウちゃんの想い出なんだよ」
「花が想い出? どういう意味だ?」
「このままじゃダメ。この子、寂しがってるよ?」
「なあ、悠希。さっきから言ってる意味が分からないぞ? 説明してくれないか?」
その問いに答える事無く、静かにこちらに向かって歩いてくる。
そしてピタリと足を止め、オレの胸の辺りに手を添えた。
「コウちゃんは分かってる筈だよ。ただ、知覚してないだけ」
「……悠希は知ってるのか?」
小さく首を縦に振り、ゆっくりと歩きだす。
「どこに行くんだ?」
「みんなの所」
「じゃあ、オレも――」
悠希に続こうとしたが、根が生えた様に足が動かない。
「みんな――光ちゃんも待ってるよ」
必死に足を動かそうとしている間にも、悠希はどんどん歩を進めていく。
ただ遠ざかっているだけだが、恐いほどの不安と疎外感が全身に広がっていった。
「ま、待ってくれ――」
「っ!」
辺りを見回すと、広々とした寝室が視界に入る。
――夢か……。
枕元に置いてある携帯で時間を確認すると、まだ六時を回っていなかった。
心臓の音と荒くなった自分の呼吸音だけが、鼓膜を刺激している。
……ここはどこだ? 明らかにオレの寝室とは違う、白と水色を基調とした部屋。
映画で見る様なでかい窓、一人で寝るには余りにも大きいベッド。
……ん?
「っ!」
何気なく布団を捲ると、ちょうど腰の辺りで人が寝息を立てていた。
これは……悠希だ! 何で悠希が一緒のベッドで寝てるんだ!?
いや、今は現状からの脱出が最優先だ。起こさないようにそ〜っと――
「ん〜……あ、おはよう、コウちゃん」
「……」
健闘虚しく、寝呆け眼の悠希の笑顔が炸裂する。そして眠そうに欠伸をもらし、目を擦りながら口を開く。
「昨夜は燃えたね〜」
ナニ!? 一体何があったんだ!?
「あ、あの……」
いつのまにか喉がカラカラになっていた。思うように声が出ないが、ここはきちんと確認しなければならない。
「昨夜何したっけ?」
「え? 覚えてないの?」
自分でも分かるほどぎこちなく頷く。すると不思議そうな表情を浮かべ、ん〜と考え込む仕草を見せる。
そして突然ハッと悲愴な表情を造り、目尻に涙を溜めた。
「ひどい! 忘れちゃったの!? 私初めてだったのに!」
「!?」
今なんて? すげー事言ってなかったか?
いや、オレは何も――
「きっりゅう殿〜、おっはよ〜!」
突然ドアから飛び出した沙羅が、朝からありえない程の大声とテンションで宙を舞った。
「ごふっ」
容赦ない頭突きが肺に入り、自分の意志とは関係ない息が漏れた。
そして、そのまま小柄な身体からは考えられない力で抱きついてくる。
「さ……沙羅」
「会いたかったでござるよ〜」
「ちょ、ちょっと沙羅ちゃん! 朝の夫婦の営みを邪魔しないでよ!」
「ふぇ? 緋村殿?」
チビッ子二人が至近距離で視線を絡める。どうでもいいから、早く退いてほしい。
こんなところを誰かに見られたら――
「サイテー」
「……」
見られた。それも最も見られてはいけない二人に。軽蔑と怒りに満ちたミサ。
「……」
そして悲しみと不審に満ちた光。二人は仲良く寝室のドアの前に立っていた。
「あの、これは……」
どう説明すればいいんだ? 一晩を共に過ごした悠希と朝から熱烈抱擁の沙羅が、ベッドの中でオレの両サイドを支配している。
――ダメだ。オレが見ても誤解が正解に変わりかねない状況だ。
「あ、ミサちゃんに光ちゃん。おはよう」
「おっはよ〜」
オレの苦悩を他所に朝の挨拶を済ませる二人。どうやらここから退く気はないらしい。
「おはよう。朝からお盛んね」
「や〜ん、恥ずかしいけど嬉し〜い」
「おさかん?」
頬を朱に染め抱きつく悠希と、言葉の意味を理解出来ず小首を傾げる沙羅。その沙羅も悠希の行為に気付くと、負けじと顔をオレの脇腹に埋める。
――ああ、どんどん状況が悪化していく……。
「こんなロ○コン放っておきなさいよ。悠希、お風呂借りるわね」
「どうぞ〜。あ、私達も入ろっか?」
「あ、拙者も桐生殿と入る〜」
「――入るわけないだろ……」
脱力したオレを無視するかの様に光とミサが廊下へと消える。
……終わった。しばらく誰も居なくなった廊下に目をやっていると、今度は慎が鼻歌を交えてやってきた。
「攻司〜、今ミサちゃん達が露天風呂の方に向かってたんだけど、一緒にのぞ――」
「行くわけねーだろ!」
「ちょ、ちょっとした冗談だよ。……ああっ!? その両サイドの女の子達は!?」
その時、オレの中の何かが音をたてて切れた。続いて形容しがたい鈍い音と、慎の断末魔が鼓膜を刺激した。
「はぁ〜、朝からエライ目にあった」
あの後沙羅から聞いた話では、昨日から緋村家に招待されたオレ達は深夜まで宴会(?)をしていたらしい。
そして突然オレが眠気を訴え、悠希に支えられて宴会場を後にしたらしい。
その後は部屋に直行し、何事もなかったと思いたい……。
「エライ目にあったのはボクの方だよ……」
頭を泡だらけにした慎が泣きそうな顔で呟く。
「あはは、ごめんごめん。余りにもタイミングが悪かったからさ」
プールかと思える程でかい湯槽に浸かり、両手両足を伸ばす。
さすがに悠希の家は父親が大富豪だけあって、全ての規模がでかい。
「タイミングだけで人を殺そうとしないでよ」
「ば〜か、オレが本気になったら慎なんか数秒で――」
「コウちゃ〜ん、お背中流しにきたよ〜」
「悠希!?」
「えっ!? 悠希ちゃん?」
胸まで隠したバスタオル一枚のみを身に纏い、ゆっくりと大浴場の――間違いなくオレの元へと歩いてくる。
「ここは男湯だぞ!?」
「ふふふ〜」
……いや、本当は全く問題ない。なぜなら光以外は知らないが、悠希は列記とした『男』だ。
「いらっしゃいませ! 男湯へようこそ!」
どこかで聞いた事があるフレーズで慎が悠希に駆け寄る。
「はうっ! 目にシャンプーが! ――うわ!」
びっくりするくらいコテコテな、『石鹸を踏んで転ぶ』というのを実践してみせる。
普通なら心配する場面だが、まあ慎だし。
――ん? なにか忘れてるような……。
「コウちゃん……」
――これだ。
いつの間にか距離を詰めていた悠希の熱を帯びた瞳が、距離にして二〜三歩程の位置にあった。
「くっ、来るな!」
「だ〜め、私が隅々まで綺麗にしてあげる」
今までの経験上、悠希から逃れる事は不可能。小さい頃からやっている『柔術』によって鍛えられた握力と反射神経。オレも小さい頃は一緒にやっていたが、一度も正式な試合で勝ったことがない。
ここまでか――