合う部品、使える部品
【前回までの人物】
・ノア・フェルド:工房の営業を試している修理職人。暖房具を調べ、魔石受けの接触不良と、埃による過熱を確かめた。交換部品を探しに行く。
・エダ:暖房具を預けた洗濯屋。修理する場合の費用と日数について、翌日の昼までの返事を待っている。
・テッサ:エダの娘。母と洗濯屋を切り盛りし、布を乾かす仕事を担当している。
外出中の札へ雨粒が当たった。
ノアは札の向きを庇の内へ少し直し、工房の鍵を掛けた。脇に抱えた包みには、洗濯屋の暖房具から外した留め金と魔石受けが入っている。顧客の品だと分かるよう、エダの受付札を結んであった。
預かっている二つの魔石は、工房の別の小箱に収めた。まだ修理を頼むか決めていないからと、エダが続けて預けたものだ。留め金と同じ袋へ放り込めば、買い物の途中で余計な傷をつける。
傘を傾けると、樋の継ぎ目から落ちた水が、足元で跳ねた。
父の葬儀から四日。
見慣れた町を、工房の仕事で歩くのは、それよりずっと久しぶりに感じられた。
*
トルン材具店の戸を押すと、吊った小さな金輪が鳴った。
棚へ染み込んだ木の油と、濡れた外套の匂い。
店の奥では、灰色の髪を短く刈った男が、紙へ釘を数えていた。厚い指で十本ずつ揃え、包みを折ると、客の大工へ押し出す。
「二本、多く入れたぞ。この前、曲がってた分だ」
包みを渡すウーヴェに、大工は肩へ掛けた雨具を引き上げた。
「助かる。今度こそ、乾いたまま持って帰るよ」
やり取りが終わるまで待つと、店主のウーヴェがノアを見た。
子どもの頃、軸の長さだけを測って買いに来た店の人だった。前掛けは新しくなっていたが、片側へ鉛筆を挟む癖は変わらない。
「ノアか。今日は、工房の買い物だな」
「はい。この留め金の代わりを探しています。……使えそうな物が、うちにはなくて」
包みを開いた。
ウーヴェは、金具を先に摘ままなかった。受付札を見て、空いている板を作業台へ敷いた。
「その札なら、こっちへ置け。今、削り屑を払った所だ」
ノアは板の上へ部品を並べた。
寸法図と、刻印を写した紙も広げる。
「古い熱板式です。接触が不安定で、ばねの戻りも悪い。在庫を見たんですが、同じ物がありませんでした」
「下に二つ穴がある型だな」
ウーヴェは魔石受けを裏返した。
「これを直すのも、久しぶりだ」
棚の下から、蓋つきの浅い箱が出てきた。
似た形の留め金が、紙の仕切りに収まっている。ノアが工房で見つけた物と同じ型もあった。
「あ、同じ形が……それ、使えますか」
箱へ身を寄せたノアに、ウーヴェはまだ一本も渡さなかった。
「慌てるな。お前の所のは、どこが駄目だった?」
ノアは厚さと幅、それから刻印の違いを説明した。
店主は最後まで聞き、一本だけを仕切りから出した。
「これは収まる。お前が最後に戻したのと、たぶん同じだ」
金具は、受けの縁へきれいに入った。
穴も重なる。
掌に載せた二つの部品だけを見れば、探し物が終わったようだった。
ウーヴェが、刻印の面を上へ返す。
「だが、これをそのまま売って、直るとは言えん」
ノアは、息を吐いた。
がっかりしたというより、工房で止まった場所が、間違っていなかったことに少し安心した。
「古い方を曲げ直して、当たりを戻すのはどうでしょう」
「考えたんだな。どこを曲げるつもりだったか、図で見せてみろ」
図面へ指を置き、当たりを戻す案を説明する。
ウーヴェは頷いたあと、別の短い板を二枚、棚から持ってきた。
「ほら、今なら、どっちも同じくらい曲がるだろう」
彼は固定具の間へ板を一本ずつ挟んだ。
指で押し、離す。
二本とも、軽い音を立てて戻った。
次に、検査用の小さな熱箱を開けた。実際の暖房具ではなく、材の違いを比べるための道具だった。
「温まるまでに、帳面を探してくる。……お前、その外套のままじゃ、先に冷えちまうぞ。椅子へ掛けとけ」
ノアは外套を脱いだ。
頬の脇を流れた雨が、顎の下で冷たくなる。
目の前の試験が示そうとしていることは、分かる。
けれど、二本の板が、それぞれこの町で何と呼ばれ、どの熱に耐えるのかは知らなかった。
前世の経験から、問いは出せる。
答えまで、記憶の中にあるわけではない。
*
部品帳の紙は、ノアが思っていたより新しかった。
古い物しか売らない店ではない。
新しい型は、町の共同施設にも、街道の宿にも使われている。取扱いの頁には、別の工房の検査印も並んでいた。
その中で、エダの暖房具の部品だけが、細い線で囲われている。
「作る所が変わったんですか」
「この型を作っていた工房は、今は違う受けを使っている。向こうでまとめて直すときは、台座ごと替える」
「台座ごとじゃなく、留め金だけだと、もう手に入りませんか」
「中継の町に、残っているかもしれん。現物の番号を送って、返事を待つことになる」
ウーヴェは、紙の余白へ二つの数字を書いた。
「在庫があれば部品は銅貨六十枚。便と返事次第で、八日から十二日ほど。今ここで、八日で必ず届くとは言えない」
ノアは、エダの干し場を思い浮かべた。
竿と竿の間を空けていた娘のテッサ。
まだ乾かない布を動かせなければ、次の洗い物を同じ場所へ掛けられない。
「今日注文しても、向こうにないかもしれないんですね」
「そういうことだ。客には、八日で届くと受け取らせるなよ。俺も、向こうの箱の中までは見えん」
ノアは手帳へ、在庫確認前、と書き添えた。
八日という数字だけが独り歩きしないように。
熱箱の脇で、小さな砂時計が落ち切った。
ウーヴェは二枚の板を取り出し、固定具へ戻した。
最初と同じ位置まで押して離す。
一本目は戻った。
二本目は、わずかに曲がったままになった。
「熱いと、見分けやすい」
店主は、戻らなかった方に小さく傷をつけた。
良い物の仕切りへ、紛れて戻さないためだった。
ノアは二本を見比べた。
色の差は、ほとんどない。
指先で確かめられる厚さも同じだ。
「……見た目じゃ、分からないですね。熱をかける前なら、僕は同じ物だと思っていました」
「だから、材の名と使う温度を聞く。ついでに、その刻印も見てもらえ」
ウーヴェは受けの金具へ触れず、写した図を指した。
「ここは二本に分かれてるだろう。何を通してる線か、親父さんに教わったか?」
ノアは黙って図を見た。
父の修理帳には、同型の部品を交換する手順があった。
だが、形を変えるとき、どこまで刻印を変えてよいかは、別の知識だった。
「……同じ型を替えるやり方は、教わりました。でも、この線の理由は、まだ」
ノアは図面の端へ置いた指を引いた。ウーヴェは、部品を箱へ戻さずに言った。
「なら、刻印をやる職人に聞こう。金物は俺が探せる。この線を作り直して使えると言うのは、その人の仕事だ」
値踏みされているのではなかった。
誰が引き受け、何を保証するのかを、分けている。
ノアは、図面の材の欄を埋めた。
聞き取った名前を、ウーヴェにも確かめてもらう。
その隣に、刻印は未確認、と書いた。
*
「新品に替えるなら、幾らくらいですか」
尋ねると、ウーヴェは暖房具の並ぶ棚を示した。
値札は、銀貨四枚と銅貨八十枚。
置き方の説明と初回の確認を含む、と小さく書いてある。
ノアは、持っていた図面を丸めかけて手を止めた。
留め金の値段だけを比べれば、修理の方が安い。
けれど、部品を探した時間も、刻印を確かめる仕事も、清掃と組み立てのあとの試験もある。
その全部を、父の値札の小さな数字へ押し込めては、また同じことになった。
「新品を選ばれたら、僕の仕事は、調べただけで終わるんですよね」
ノアの声が落ちた。ウーヴェは受付札へ目をやる。
「そのための十枚だろう。調べたことまで、なくなるわけじゃない」
ウーヴェは、ノアが持ってきた受付札をもう一度見た。
「十枚で、ここまで調べたのか」
「最初に、その金額で受けました」
「もう受けた分を増やせとは言わんよ。だが、その受け方で二件、三件と続けられるかは考えろ」
ノアは笑えず、頷いた。
父のあとを継ぐと決める前から、父と同じ癖へ足を入れている。
「……安くしてくれとは、言われてないんです。僕が、安く直して返したくなってました」
「親父さんに、似てる所だな」
ウーヴェはそれ以上笑わず、暖房具の棚を見た。
「エダが知りたいのは、幾らで、いつ使えるかだろう。選ぶ分まで引き受けるな」
机の端に、売り物の角材があった。
ウーヴェは、そこへ三つの小片を並べた。
「取り寄せる。今ある物から作る。買い替える。どれにも、違う金と時間がかかる」
ノアは、三つの欄を手帳へ作った。
その場で修理を成功させる方法は、まだ見つからない。
代わりに、明日、客が選べるようにするための形が出来てきた。
「この材なら、留め金にする幅の物はありますか」
「刻印を入れていない板なら、銅貨十五枚から。切り出す大きさが決まれば、正確に出せる」
「大きさを決めて、工賃も聞いてからにします。まだ、エダさんには頼まれていないので」
「分かった。板は勝手に切らずにおく」
ウーヴェは、現物の受け金具と図面を揃えた。
「朝なら、刻印を見られる職人に会えるよう、声を掛けておく。仕事を頼めるかは、自分で話せ」
「ありがとうございます」
「礼より、明日はその図を忘れるなよ。直したいって顔だけじゃ、向こうも困るからな」
ノアは受付札の結び目を、もう一度確かめた。
店に入るときより、包みの重さがはっきり分かった。
*
帰り道、雨は細くなっていた。
共同井戸の脇で、桶を抱えた二人が順番を待っていた。水くみ具の柄が戻るたび、軸の奥で乾いた音がする。
ノアは足を緩めたが、柄を握りに行くのはやめた。
今の手にある仕事を、まず終えなければならない。
露店で買った小さな焼き芋を、歩きながら半分に割った。
白い湯気が鼻先へ上がる。舌に触れた熱さのあとから、薄い甘さが追いついてきた。
腹に物が入ると、朝から固くしていた肩がようやく動いた。
明日の昼までに、必ず返事をする。
その約束は、もう今日の自分がしたものだった。
工房へ戻り、濡れた靴の泥を落としてから包みを開けた。
留め金と受けを、外した順の札の横へ戻す。魔石の小箱も、受付票と照合した。
客の物が、行き先の分からない在庫にならずに済んだ。
部品の取り寄せは、八日から十二日。
新品は、銀貨四枚と銅貨八十枚。
材から作る場合の値段は、まだ途中だ。
机へ三本の線を引き、分かった数字を書いた。
未確認の欄は空けたままにする。
父の帳簿には、短い言葉で済ませた頁が多かった。
ノア自身も、さっき店主へ図面を見せるとき、言わなくても伝わるだろうと思いかけた。相手が同じ物を見ているとは限らないのに。
暖房具を工房へ持ってきた日のエダは、二度も消えた火の話をした。
それは、ばねの弾力や刻印の経路を尋ねる相談ではない。
明日、まだ湿っている布をどうするか。
次の仕事を受けてよいか。
そのための返事を、求めていた。
ノアは図面の裏へ、依頼主へ渡す説明を書き始めた。
金物の名前は、ひとまず書かない。
いま決めてもらう必要のないことと、明日選んでもらうことを分ける。
書いてみると、専門の言葉を使わない方が、説明の抜けた箇所がよく分かった。
*
夕方、洗濯屋へもう一度寄った。
入口には乾いた布の包みが並んでいた。
奥からテッサが出てくる。栗色の編み髪の先が、前掛けの肩紐に掛かっていた。片手には配達先の札を握っている。
「あ、ノアさん。母なら、奥に――直りました?」
戸口へ出たテッサが、包みのないノアの手元を見た。
「まだです。途中まで分かったことを、先に。明日の昼には、約束どおり返事を持ってきます」
テッサは札を置き、エダを呼んだ。
ノアは、すぐ使える交換部品が材具店では見つからなかったことを先に話した。
エダの顔が曇る前に、取り寄せる場合と、材から作る場合があることを続ける。
「取り寄せる方は、八日から十二日ほどの見込みです。ただ、在庫があるか、まだ返事を取っていません」
「そんなに掛かるのかい」
「材から作れるかは、明日の朝、別の職人に確かめます。出来る場合の工賃と、何日に渡せるかまで聞いてきます」
エダが、テッサを見た。
娘は、乾き待ちの布へ目をやってから口を開いた。
「その八日から十二日って、もう頼んだわけじゃないんですよね?」
テッサが、母より先に訊いた。ノアは手帳を閉じずに頷く。
「はい。在庫の問い合わせも含めて、注文はまだです。エダさんたちに選んでもらってからにします」
テッサの指が、持っていた配達札から離れた。
「それなら、明日まで待ちます。今夜は奥で乾かして、明日の分は、まだ受け取りの日を変えずにおけるから」
待つという返事にも、判断があった。
エダも頷き、暖房具の代わりに今夜使う場所を、娘へ確かめている。
ノアはそこまでの仕事へ、知りもしない案を差し入れなかった。
「金具がないって聞いたときは、もう駄目なのかと思ったよ」
帰り際、エダが入口の布を避けてくれた。ノアは足を止めた。
「……明日になっても、直せるとは言えないかもしれません」
「うん。でも、何を待ってるかは分かった。今夜のことは、うちで考えるさ。明日、頼むよ」
ノアは、そこで初めて少し笑えた。
*
夜、灯りの下へ事業承継の書面を広げた。
担保。設備。引き受ける事業の範囲。
昼間、一つの金具について確かめたことより、ずっと大きな言葉が並んでいる。
同じ形で収まるからといって、同じ働きをするわけではない。
父のいた椅子へ座っただけで、父と同じ条件で仕事を続けられるわけでもなかった。
分からない条項の脇に、問いを書いた紙を置く。
署名は、まだしなかった。
その隣には、明朝の買い物に持っていく図面がある。
材の欄は埋まった。
刻印の欄には、空白が残っている。
ノアは自分の描いた案を、灯りへかざした。
この線を残し、留める場所だけを変えれば、受ける力を戻せないか。
考えは浮かぶ。
だが、線が何をしているかを説明できないうちは、ただの案だった。
「……明日、ちゃんと聞いてこよう。分からないままじゃ、返事なんかできないな」
独り言が、いつもより素直に出た。
工房を継ぐことは、何でも知っている人間のふりをすることではない。
明日は、朝いちばんに材具店へ行く。
戻ったら、客へ返事をする。
ノアは仕事の予定を壁へ貼り、暖房具の横に、空けておいた道具の場所を作った。
そこへ、自分がまだ使ったことのない道具が来るかもしれなかった。




