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ボクのコールマン『優しい毒とメインキー ~家族という名の光の中で、リーバイスのポケットに隠し持った最後の叛逆~』  作者: yoshi-0213-1023-1106-0326


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第4話 秘密

スベア大炎上事件の後、健太は動揺が冷めやらぬまま、あの失敗の具現化である真鍮の塊を、どう処分するか考えあぐねていた。


そうして彼は、炎上し煤けたスベア123Rの写真をフリマアプリの出品画面にアップロードした。


炎上の際に熱を持ったまま水を浴びせたせいで、風防はわずかに歪み、真鍮の表面には煤が張り付き、酸化による黒ずみが痛々しい。

その歪みが、あの日の暴れる炎と焦燥の悪夢を鮮明に呼び起こす。


「炎上の悪夢と完全に決別したい」


本来、まだ一度しか使っていないので、美品の中古ならもっと高値で取引されるストーブだ。

しかし美品ではない。

あのような状態では買い手が付くか分からない。


健太は、自分の「特別なプライド」を少しでも早く手放すため、ジャンク品として5,000円という破格の値付けをした。


これは、自らの失敗を安値で清算する、贖罪の儀式のようにも感じられた。


「どうせ売れないだろう」という予想に反し、わずか2時間後に通知が届く。


「購入されました」


—あっけないほど迅速な決着だった。

健太は安堵しつつも、自分の「特別」の象徴がこんなにもあっさり手放されてしまったことに、また一つ虚しさを覚えた。


すぐに梱包し、発送。数日後、送料と手数料を引かれた3,750円の売上金がアプリに入金された。


健太は、その残高を呆然と見つめた。

そして、何か呪われたものに導かれるように、アプリ内のガソリンストーブのカテゴリをタップした。


そこで目に飛び込んできたのは、見覚えのある緑色のタンクを持つ、コールマンのシングルストーブだった。


スポーツスター2。それは、まさにコールマンの代名詞であり、the安定のストーブ。


その時、画面上に表示されていたのは、4,000円という驚きの価格だ。


「は?安すぎだろ…」


彼は、一瞬、自分の「普通を忌み嫌う心」が警鐘を鳴らすのを聞いた。


だが、その警鐘をかき消すように、健太は自分に言い聞かせた。


「これは、安さが『特別』なんだ。ただ、『値段』が特別に激安なだけだ」


そして、誰かに買われてしまう前にという、スベアを売った時と同じ焦燥感に突き動かされ、ほぼ無意識のまま、購入ボタンをタップした。


スポーツスター2の購入から二日後。


健太は、職場の昼休憩中、スマホの宅配アプリを開いた。すぐに通知のポップアップが表示される。


「宅配ボックスにお届け済み」


「お!届いたか!」


反射的に喜びが込み上げた直後、健太の背筋に冷たい水が走った。


(いま届いてるってことは、先に帰宅する真衣に、見られる...!)


長男の理愛夢がまだ4歳で保育園に通っているため、真衣は時短勤務で、健太より一足先に帰宅する。


鈴木家は戸建てであり、玄関ドア前にある宅配ボックスは、真衣が毎日必ず目にする場所だ。


健太の予想は的中した。


その日の夕方。


先に帰宅した真衣は、ポストを開けたとき、宅配ボックスに荷物があることを示すお届け完了の伝票を見つけた。


真衣は伝票を持って玄関ドア前の宅配ボックスに向かい、淡々と操作して扉を開ける。


中に入っていたのは、夫・健太宛ての茶色い段ボール箱だ。


箱を持ち上げた真衣の視界に、小さな運送会社のラベルが飛び込んできた。


品名:コールマン ストーブ


真衣は、その「コールマン」という文字を見て、一瞬だけ目を細めた。


彼女の顔に浮かんだのは、特別な驚きではない、「ああ、納得」という、どこか静かな理解の表情だった。


彼女は箱を抱えて玄関に入り、リビングのテーブルの上にそっと置いた。


午後7時を過ぎて帰宅した健太は、リビングに入り、テーブル上の箱を見て動揺した。


「おかえり。宅配、届いてたよ。テーブルに置いた」


真衣は夕食の準備をしながら、背中でそう言った。


健太は平静を装い、努めて穏やかな声で返した。

「ああ、ありがとう…」


真衣は手を止め、振り向いて言った。その声は優しく、だが、健太のプライドを無意識に踏みにじる響きがあった。


「ピカピカのやつやめて、コールマン買ったんだ? いいんじゃない?」


彼女は責めていない。ただ、健太が「特別」という名の危うさから、「普通」の道を選び直したことを、心から是認しただけなのだ。


その「いいんじゃない?」という言葉こそ、健太の心に突き刺さる、一番痛い「優しい毒」だった。


このストーブは、誰にも知られてはいけない。これは、あのスベア炎上の過去を清算する、俺の「秘密の懺悔」のための特訓なのだと。


その日以来、健太は夜な夜な庭にスポーツスター2を持ち出し、燃料のホワイトガソリンを注ぎ、ポンピングを繰り返す。


スベアのあの炎とは違い、スポーツスター2は、アルコールプレヒートも要らず、誰でも容易く、確実な手応えと共に始動した。


それは、ロマンを捨てて「安定の道具」を選んだ健太に、裏切ることなく安定した力強い青い炎を灯した。


点火出来てしまえば、もう後は簡単だ。コールマンのその安定したその炎が健太の荒れた心を静かに鎮めていった。


この炎だけが、ロマンを失い、真衣の「優しい毒」に苛まれる彼の心を静かに温めていた。


彼は、心の中で二つの秘密を抱えることになった。


一つは、財布の奥に隠したワルキューレのメインキー。


「セルフ義賊」として、自らの特別な過去を守るための、最初の秘密だ。


そしてもう一つが、このスポーツスター2を使った、誰にも知られてはいけない「秘密の懺悔」の特訓だった。


そうした秘密を抱えながらも、健太の普通の日常は続いていく。


健太の勤務先は郡山貿易株式会社。


名前に「貿易」を冠してはいるが、営業課係長である彼は、国内事業部の営業で、海外との華やかな取引とは無縁の「普通」の営業マンだった。


スベア炎上事件が起こった5月のゴールデンウィークの直後。


約一ヶ月半の新人研修を終えた新人たちが、いよいよ配属部署にやってくる。朝から部署内は、ざわついていた。


「おい、知ってるか?あの新人…マジらしいぞ」


「え、何が?」


「由緒正しい、五摂家の一番上の…近衛家らしい」


「まじかよ…」


「なんでウチに?」


「なんでもウチと近衛家が取引があるとか」


社内は噂で持ちきりだった。


健太は耳を疑った。


そんな漫画みたいな話があるのか。


しかし、ざわつきはすぐに確信に変わった。


「近衛貞時です!」


扉を開けて入ってきたのは、キラキラと輝くような、爽やかな笑顔の青年だった。


その声は、春の陽だまりのように温かく、部署の空気を一瞬で変えてしまうほどだった。


「友だちからはコノちゃんって呼ばれてます!みなさんも良かったら、コノちゃんって気軽に呼んでください!」


彼は朗らかに笑い、続けた。


「趣味はキャンプです!父の影響でずっとコールマンが好きで、最近ソロキャンプデビューしました!それでついに自分だけのガソリンストーブを買いました!父はコールマンの502がカタログモデルだった頃、アルペンで手に入れて以来、ずっと大切にしているんです。キャンプ場のどこかで、見かけたら声かけてくださいね!」


屈託のない笑顔で自己紹介を締めくくった近衛貞時。


彼の周りだけ、どこか別世界のように輝いて見えた。健太は、その光景をただ呆然と見つめることしかできなかった。





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