第五話 親友という距離
第五話です。
澪の世界に、少しだけ別の視線が入ります。
昼休みの教室は、
朝よりずっと騒がしかった。
机を寄せる音。
笑い声。
購買のパンを開ける音。
澪は、今日もその中心にいた。
ただ一つ違うのは、
彼女の隣に、見慣れない女子が座っていることだった。
「みおー、昨日のやつどうなった?」
少し低めで、はっきりした声。
「えー、別に? 普通だよ」
澪は軽く肩をすくめる。
「“普通”って顔じゃないけど」
「気のせい気のせい」
そう言って、澪は笑った。
その笑顔は、
拓真が見慣れてきた“教室用”のものだった。
(……あ)
なぜか、胸の奥が小さく引っかかる。
⸻
「なあ、あの子誰?」
司が、パンをかじりながら聞いてきた。
「……さあ」
「宮下の親友らしいぞ。
中学から一緒だったって」
その言葉に、
澪の知らない時間が、急に現実味を持った。
(中学からの親友……)
俺の知らない澪を、
当たり前みたいに知ってる存在。
⸻
「拓真ー」
突然、澪がこちらを呼んだ。
「紹介するね。
この子、佐倉。
中学のときからの親友」
佐倉は、俺を一度じっと見てから、
にこっと笑った。
「佐倉結衣。
いつも澪がお世話になってます」
「いや、俺は別に……」
「ほらそういうとこ」
澪が笑う。
「拓真って、
自分が何してるか全然自覚ないんだよ」
「何もしてないだろ」
「してるしてる」
佐倉は、
澪の方をちらっと見る。
「最近さ、
学校どう?」
一見、何気ない一言。
でも、
その言い方は少しだけ慎重だった。
「どうって?」
「元気?」
澪は一瞬だけ間を置いてから、
明るく答えた。
「元気元気。
見ての通りでしょ」
佐倉は、
それ以上追及しなかった。
代わりに、
話題を変える。
「ねえ拓真くん。
澪、家ではちゃんと寝てる?」
その質問に、
俺は言葉に詰まった。
(……家のことは、知らない)
「……さあ。
そこまでは」
「そっか」
佐倉はそれだけ言って、
それ以上は聞かなかった。
でも、その一言で分かった。
この子は――
澪を“心配する側”だ。
⸻
昼休みが終わり、
佐倉は自分のクラスへ戻っていった。
教室が少し静かになる。
「……結衣さ」
澪がぽつりと言う。
「心配性なんだよね」
「心配されてるんだろ」
「まあね」
澪は笑う。
でも、その笑顔は、
さっきより少しだけ薄かった。
「拓真」
「ん?」
「さっきのこと、
あんま気にしないでね」
「何を?」
「結衣、
距離感近いでしょ」
「……そうでもない」
「そういうの、
私が処理するからさ」
処理。
その言葉が、
胸に引っかかった。
(……処理って)
「私はさ」
澪は机に頬杖をつく。
「親友にも、
全部話してるわけじゃないんだよ」
「……そうなんだ」
「うん。
話したら楽になることもあるけど、
重くなることもあるから」
その言葉は、
拓真自身にも向けられている気がした。
(……俺も、まだ“外”か)
そう思った瞬間、
胸が少しだけ苦しくなる。
「だから」
澪は、
少しだけ柔らかい声で言った。
「今くらいの距離、
ちょうどいいんだと思う」
ちょうどいい距離。
それは、
安心できる言葉のはずなのに。
(……でも)
俺は気づいてしまった。
澪の“親友枠”がいることで、
自分の立ち位置がはっきりしてしまった。
俺は、
特別じゃない。
でも――
完全に無関係でもない。
その曖昧さが、
今はいちばん厄介だった。
⸻
放課後、
澪はいつも通り、
クラスの輪の中で笑っていた。
その隣には、
佐倉の姿はもうない。
それでも、
澪の笑顔は少しだけ違って見えた。
(……親友がいても、
埋まらない場所があるんだな)
そう思ってしまった自分に、
少し驚いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第五話では、
澪の「親友」という存在を通して、
拓真の立ち位置がはっきりする瞬間を書きました。
近づいているようで、
まだ内側にはいない。
その曖昧さが、今の二人の距離です。
次話では、
この距離が少しだけ揺れ始めます。




