第四話 帰り道の、その先で
第四話です。
一緒に帰った、その先の話。
一緒に帰る、なんて。
それだけのことなのに、廊下を出た瞬間から胸が落ち着かなかった。
夕方の校舎は、昼間より音が少ない。
部活の声も、もう遠い。
澪は俺の半歩前を歩いていた。
近すぎない距離。
でも、昨日までより確実に近い。
「……ねえ」
校門を出たところで、澪が振り返る。
「今日さ、変じゃなかった?」
「何が」
「私」
少しだけ、笑う。
「昨日ちょっと喋ったからって、
今日も同じ感じで来られると、
正直、きついかなーって思われたかなって」
「……思ってない」
即答だった。
澪は目を瞬かせてから、
「そっか」と小さく言った。
「よかった」
その一言が、妙に軽くて。
でも、その軽さの裏に、
かなり重たい不安が詰まっている気がした。
⸻
信号待ち。
横断歩道の白線の前で、二人並ぶ。
赤。
澪は空を見上げて、
何でもないみたいに言った。
「私さ、
距離近くなったなーって思うと、
次の日、逆に不安になるタイプなんだよね」
「……どういう意味で」
「昨日はよかったけど、
今日はどうなんだろ、みたいな」
信号が青に変わる。
歩き出しながら、
澪は続けた。
「昨日の私、重くなかったかなとか。
あれ、引かれてないかなとか。
考え始めるとさ、
もう全部ダメな気がしてくる」
それは、
明るい声で言う内容じゃなかった。
でも澪は、
いつものテンポを崩さない。
「だからさ」
一瞬、こちらを見る。
「今日はちょっと距離保ってたでしょ」
「……気づいてた」
「そりゃね」
苦笑。
「近づくのは、
勇気いるんだよ。
戻るのは、もっと怖い」
その言葉が、
胸の奥に静かに沈んだ。
⸻
駅前で、人が増えてくる。
ここで別れるのが自然だった。
「じゃ、ここで」
澪が言う。
「ああ」
一瞬、
昨日の続きを言いたくなった。
でも、
何を言えばいいかわからなかった。
「……ありがと」
澪が、少しだけ小さな声で言う。
「今日は、一緒に帰ってくれて」
「別に」
そう返したけど、
それが正解だったかはわからない。
澪は一歩下がって、
手を軽く振った。
「またね」
その笑顔は、
教室で見るものと同じだった。
ちゃんと明るくて、
ちゃんと整っていて。
――ちゃんと、仮面だった。
⸻
帰り道を一人で歩きながら、
俺は考えていた。
(期待してたんだな、俺)
一緒に帰ったら、
何かが変わると思ってた。
でも現実は、
変わった部分と、
変わらなかった部分が、
同時に存在している。
澪は弱さを見せた。
でも、それ以上に、
自分で距離を調整していた。
近づきすぎないように。
壊れないように。
(……賢いよな)
でも、
それは同時に、
孤独なやり方でもあった。
ポケットの中で、
スマホが震えた。
画面には、
澪からのメッセージ。
『今日はありがと。
ちょっと安心した』
短い文。
でも、
送るまでに時間がかかったんだろうなと思えた。
俺はしばらく考えてから、
返信した。
『無理しないでいい。
また話せる時に話そう』
送信。
既読がつくまで、
少しだけ間があった。
それから、
『うん』
それだけ。
(……これでいい)
近づきすぎない。
でも、離れすぎない。
そうやって、
少しずつ距離を測るしかないんだ。
今日の帰り道は、
何かが始まったわけでも、
終わったわけでもない。
ただ、
「戻れない距離」に
確実に一歩進んだだけだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第四話では、
距離が縮んだあとにやってくる不安と、
期待してしまった自分への戸惑いを書きました。
何かが始まったわけではないけれど、
もう戻れなくなった感覚だけが残っています。
次話も、ゆっくり続きます。




