表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弱さに触れるたび、僕らは沈む  作者: ネギもやし
第二章 触れてしまった距離
17/26

第十六話 戻る場所の温度

教室のドアを開けた瞬間、音が一気に流れ込んできた。椅子を引く音、ページをめくる音、誰かの笑い声。昨日までと同じ朝のはずなのに、少しだけ距離がある。


それが、今はありがたかった。


特別に扱われたくない。

心配されすぎたくもない。

だから澪は、なるべくいつも通りの声を作る。


「おはよ」


近くの席の子が軽く手を上げる。それだけで胸の奥が少し緩んだ。


席に向かう途中、奈々が真っ先に気づいた。


「澪じゃん」


声のトーンがいつもと同じで、少し笑いそうになる。


「久しぶり。元気?」


「まあね」


「その“まあね”、ほんと澪」


隣で梨央が小さく笑う。梨央は奈々より少し静かで、でも人の様子を見るのがうまい。


「とりあえず、生きててよかった」


「言い方ひどくない?」


「褒めてる」


「褒め方が雑」


三人で笑う。

ちゃんと笑えている自分に、少しだけ安心する。


鞄を足元に置いて席に座る。机の感触も、椅子の高さも変わらない。変わっていないはずなのに、体だけが少し遅れている感じがした。


「そういえばさ」


梨央が言う。


「連絡物、前に届けてもらってたよね?」


「うん。大体は」


「ならよかった。今日の分だけ気をつければいいね」


「助かる」


奈々が頷く。


「今日はリハビリみたいなもんでしょ。無理しない」


「してないし」


「してる」


二人同時に言われて、澪は吹き出した。


そのまま朝のホームルームが始まる。担任が淡々と話し、出欠を取る。


返事はちゃんと出た。

それだけで、少し肩の力が抜ける。


ホームルームが終わる頃、学級委員長の高坂葵が澪の席に来た。手には数枚のプリント。


「宮下さん、体調は大丈夫でしたか?」


「……高坂さん、うん、大丈夫だよ、ありがとう!」


「今日配った分だけ、念のため共有しておくね」


必要な分だけを差し出してくる。無駄がない。


「無理はしないで。何かあったら言って」


声は事務的なのに、言葉はちゃんと人を向いていた。高坂はそれ以上踏み込まず、自分の席へ戻っていく。


授業が始まる。

ノートを取り、先生の声を聞く。周りと同じことをするだけで、教室の音が少しずつ自分のものに戻っていく。


休み時間。


「澪、昼どうする?」


奈々が聞く。


「一緒に食べる」


即答すると、梨央が小さく頷いた。


「よかった。今日はそれでいい」


「なにその判断」


「経験則」


三人で笑う。


そのとき、視界の端で拓真と目が合った。

すぐに逸らす。


拓真は、何も聞いてこない。

昨日も、今日も。


心配していないわけじゃないのは分かる。でも、距離を詰めてこない。それが少し不思議で、少しだけ楽だった。


昼休み。

澪は奈々と梨央と弁当を食べる。アニメの話、クラスの小ネタ、どうでもいい話題。ちゃんと笑って、ちゃんと食べる。


少し離れたところで、司が拓真に絡んでいる。


「お前、今日静かじゃね?」


「お前がうるさいからな」


「ひど」


「いつも通りだろ」


「それがひどいって話」


司が笑って、拓真の肩を軽く叩く。拓真は嫌そうにしながら、結局笑ってしまう。


ああ、学校だ。

澪はそう思った。


午後の授業が終わる頃には、体の遅れが少しだけ縮まっていた。完全じゃないけど、歩ける。


放課後。


廊下に出ると、向こうから手を振る人影があった。


「澪!」


佐倉結衣だった。別クラスの制服で、テンポは相変わらず速い。


「来れたんだ」


「うん。今日から」


「よかった。普通に心配してた」


言い方は軽いけど、視線はちゃんと合っている。


「連絡物は、もう受け取ってるって聞いたよ」


「うん。前にね」


「そっか。じゃあ今日は顔出しだけだ」


「それが一番ありがたい」


結衣は少し声を落とす。


「無理すんなよ。戻ったばっかなんだから」


「……うん」


それ以上は言わない。その距離感が、ありがたかった。


結衣と別れて教室に戻ると、拓真と司が廊下に出てくるところだった。


「お、宮下」


司が口角を上げる。


「完全復活?」


「完全体ではない」


「じゃあ七割でいこ」


「司の七割、信用できない」


澪が言うと、司は楽しそうに笑う。


「分かる。拓真もそう思うだろ?」


急に振られて、拓真が少し困った顔をする。


「……お前、雑だな」


「優しさは雑なくらいがちょうどいいんだよ」


「それ、ただの言い訳だろ」


司はそれ以上突っ込まず、空気を切り替えた。


三人で並んで歩く。

澪は少しだけ遅れて聞いている。笑うタイミングも一拍遅れる。でも、それでもいいと思えた。


校舎の出口で、拓真がほんの少し歩幅を落とす。


目が合う。


「……おかえり」


声は小さくて、無理に明るくもなくて、何かを求めるでもなかった。


澪は一度息を吐いてから、答える。


「ただいま」


それだけで、胸の奥があたたかくなる。


言葉が少なくても、距離はちゃんとある。

踏み込まれなかったことが、今日は救いだった。


澪はそう思いながら、廊下を歩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ