第十四話 正しい言葉が重なるとき
第二章、第十四話です。
何も間違えていないはずの、過去の話です。
夜。
部屋の電気を消して、
ベッドに倒れ込む。
スプリングが、
小さく軋んだ。
「……眠れねぇ」
声に出すと、
余計に静けさが際立つ。
考えないようにしても、
昼間のことが勝手に浮かぶ。
澪の家の前。
外灯に照らされた通路。
鍵が閉まる、短い音。
中には入っていない。
それでも、
境界に立ってしまった感覚だけが、
まだ体に残っていた。
――守る側の顔で踏み込むな。
司の声が、
頭の奥で何度も反芻される。
分かっている。
でも、
分かっているだけで済むなら、
ここまで考えていない。
⸻
記憶が、
少し前へずれていく。
中学の頃。
クラスの中に、
特別目立つわけじゃないけど、
話しかければ普通に返してくるやつがいた。
三浦 直人。
テスト前は一緒に残って勉強したし、
昼休みも、たまに同じ机で飯を食った。
ただ、
放課後の誘いだけは、
ほとんど乗ってこなかった。
「今日、ゲーセン寄らね?」
「ごめん、今日はいい」
「じゃあ明日は?」
「うーん、また今度」
理由は言わない。
嫌そうでもない。
ただ、
静かに断る。
⸻
ある日。
「今度の土曜さ、
みんなで映画行くんだけど」
俺が言うと、
直人は少し考えてから答えた。
「……今回はパスで」
「そっか」
それで終わり。
無理に聞くことでもない。
そう思っていた。
⸻
周りは、
あまり気にしていなかった。
「誘っても来ねーよな」
「まあ、
そういうタイプじゃね?」
笑いながら、
話題は流れる。
でも、
俺だけは少し引っかかっていた。
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放課後。
教室に残っていたのは、
俺と直人だけだった。
「なあ」
声をかけると、
普通に振り返る。
「なに?」
「最近さ」
少し迷ってから、
言った。
「誘っても、
あんま来ないよな」
一瞬だけ、
間が空く。
「……そうだっけ?」
「そうだろ。
ほとんど断ってる」
「別に、
用事があるだけ」
その言い方は、
嘘でも本当でもない感じだった。
⸻
次の日。
昼休み。
「今日も帰り、
寄ってかない?」
「今日はいい」
「じゃあ、
今週どっかで」
「……今はいいかな」
その言葉に、
少しだけ引っかかる。
「なんで?」
聞いた瞬間、
空気が変わった。
「……なんでって」
直人は、
困ったみたいに笑う。
「行きたくない時もあるだろ」
⸻
さらに次の日。
俺は、
言い方を変えたつもりだった。
「無理にとは言わないけどさ」
「……うん」
「一人でいすぎるの、
よくないんじゃね?」
その瞬間、
直人の表情が固まる。
「それ、
拓真が決めること?」
「いや、
そういう意味じゃ……」
「じゃあ、
どういう意味?」
答えが、
出てこなかった。
⸻
それから。
誘っても、
返事は短くなった。
「今回はいい」
「また今度」
「大丈夫」
それ以上、
踏み込めなかった。
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数日後。
担任が、
教室の前で言った。
「三浦は、事情があって転校することになりました」
それ以上の説明は、
なかった。
クラスは、
すぐに別の話題に移る。
俺は、
席に座ったまま、
何も言えなかった。
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ベッドの上で、
目を開ける。
「……結局さ」
声が、
小さく漏れる。
「心配してるつもりで、
余計なこと言っただけだよな」
誘い続けたのも、
正しいと思っていた。
一人でいるのは、
よくないと思っていた。
でも、
それは俺の基準だった。
――触れた側の顔でいろ。
司の言葉が、
静かに重なる。
⸻
澪の家の前で感じた、
あの静けさ。
中には入っていない。
それでも、
一人だと分かってしまった。
あのときと、
同じ位置に立っている。
「……最悪だな」
そう呟いて、
目を閉じる。
⸻
踏み込むと、
失敗するかもしれない。
踏み込まなくても、
後悔は残る。
どちらにしても、
無傷じゃいられない。
それを知ってしまった今、
もう
何もしない、は
選べなかった。
⸻
夜は、
静かに更けていく。
眠れないまま、
俺は天井を見つめていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話で描いたのは、
悪意のない失敗です。
心配すること。
声をかけること。
誘い続けること。
どれも間違いではありません。
ただ、それが相手にとって
重なるときがあります。
正しさは、
ときどき逃げ道を塞ぎます。
それに気づいてしまった人は、
もう同じ距離では立てません。




