第十一話 空いた席のまわりで
第二章、第十一話です。
今日は、少しだけ席が足りません。
朝の教室は、
いつも通りの音で満ちていた。
「今日暑くね?」
「それな、もう夏じゃん」
「昨日の宿題やった?」
「無理無理、写させて」
そんな声が重なって、
チャイムが鳴る。
担任が入ってきて、
出席を取り始める。
「……宮下は、今日は欠席だ」
一瞬だけ、
空気が止まる。
「え、珍し」
「体調かな」
小さな声が落ちて、
すぐに別の話に流れていく。
「てか今日小テストあるんだっけ?」
「あるある、終わったわ」
守られている場所は、
欠けても回る。
それを、
教室全体が自然にやってのけていた。
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隣で司が、
斜め前の席を一度だけ見た。
「……今日は来てないんだな」
「……ああ」
それ以上、
言葉はいらなかった。
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一限が終わる。
「次なんだっけ?」
「英語」
「だる」
椅子を引く音と、
ノートを閉じる音。
澪の席だけが、
ずっと動かない。
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二限の途中、
後ろから紙が回ってくる。
「これ誰の?」
「宮下のじゃね?」
「今日いないから、あとで渡そ」
何気ないやり取り。
それが、
逆に胸に残る。
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昼休み。
「購買行く人ー」
「行く行く」
「パン残ってるかな」
笑い声が広がる中で、
澪の席の周りだけ、
少しだけ空いている。
菜々と梨央は、
少し離れた机で弁当を広げていた。
「今日さ、澪来てないよね」
「朝いなかった」
「連絡来た?」
「来てない」
そんな会話が、
小さく交わされる。
俺は、
少しだけ迷ってから声をかけた。
「……宮下、今日休みなんだって?」
「うん」
菜々が短くうなずく。
「体調悪いってだけ」
梨央が言って、
箸を止める。
「大丈夫かな」
「まあ、澪だし」
その「澪だし」が、
軽くて、
でもどこか危うかった。
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「最近さ」
菜々が、
声を落とす。
「ちょっと疲れてない?」
「分かる」
梨央が続ける。
「元気だけど、
なんかずっと全力って感じ」
二人の言葉は、
責めるでもなく、
決めつけるでもなく。
ただ、
事実に近かった。
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「私たちといる時はさ」
菜々が言う。
「ちゃんとしてるよね」
「うん」
梨央がうなずく。
「ちゃんと笑ってる」
その“ちゃんと”が、
やけに揃っていた。
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午後の授業。
「ここテスト出るぞー」
「まじか」
「聞いてない」
笑いが起きる。
それでも、
斜め前の席は空いたままだ。
誰も触れない。
誰も埋めない。
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放課後。
「部活行く?」
「今日はパス」
「帰り寄り道しよ」
いつもの流れ。
俺は教室を出る前に、
もう一度だけ
空いた席を見る。
そこだけ、
一日分の音が抜け落ちていた。
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帰り道、
スマホが震える。
澪からだった。
「今日は休んでる」
短い文。
俺は少し考えてから返す。
「ゆっくり休め」
すぐに既読がつく。
少し間があって、
返事が来た。
「ありがとう」
それだけ。
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弱さに触れるというのは、
特別な言葉を聞くことじゃない。
何気ない会話の中で、
一人分だけ欠けていることに
気づいてしまうことだ。
今日は、
澪はいなかった。
それでも、
クラスは回っていた。
だからこそ、
その空白が
はっきり見えてしまった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話では、
澪がいない一日を描きました。
けれど、クラスは止まりません。
会話は続き、
笑い声もあって、
日常はいつも通りです。
だからこそ、
一つ分の欠けが、
はっきり見えてしまいます。




