8話
退院した悠真は、冬の冷たい空気の中で、久しぶりにバイクの前に立っていた。
まだ足には痛みが残り、走り出すことはできない。だが、その痛みは「立ち止まる勇気」を思い出させるものだった。
夏に消えた早苗は、病室で一度だけ姿を見せた後、再び留学先へ戻ってしまった。もう会うことはできない。残されたのは、彼女の言葉だけだった。
「人も季節も、人生の景色も巡り巡るもの。立ち止まる勇気も大事だよ」
その言葉を、悠真は何度も繰り返し胸の中で響かせた。
走り続けることだけが生きる証だと思っていた自分。止まれば消えると信じていた自分。だが、早苗の言葉はその信念を揺さぶり、別の可能性を示していた。
立ち止まることは敗北ではない。むしろ、次の景色を迎えるための準備なのかもしれない。
街は年末の喧騒に包まれていた。イルミネーションが瞬き、買い物袋を抱えた人々の笑い声が響く。だが悠真は、その喧騒の中で静かに歩いていた。バイクに跨ることなく、地に足を付けて。
「いつかまた、早苗に会う時まで……俺は懸命に生きる」
その決意は、速度の熱ではなく、静かな炎として胸に宿った。
病室で泣き崩れた自分を思い出す。あの時、早苗の言葉に救われた。
「再会した時には、思いを伝えよう」
それは悠真にとって、新しい走りの目標だった。速度ではなく、人生そのものを走り抜くための目標。
退院後の日々は、以前のような疾走ではなく、地に足を付けた生活だった。
朝の光に目を覚まし、ゆっくりと歩いて大学へ向かう。講義室でノートを取り、図書館で本を開く。かつては走りの合間にしか存在しなかった日常が、今は確かな重みを持っていた。
「立ち止まることも、走ることなんだ」
悠真はそう思うようになった。
一方、遠い留学先の街で早苗は、窓辺に置いた写真立てを見つめていた。そこには、かつて笑顔で走る悠真の姿が映っている。
「人生は時と共に巡るもの。悠真の人生は悠真が決める。私も私の道を歩く。別々でも、しっかりと生きていくことが大事なんだよ」
彼女は写真に語りかけ、静かに微笑んだ。
留学先の街は冬の光に包まれていた。石畳の道を歩く人々の足音、広場に響く鐘の音。早苗はその景色をスマホに収めながら、悠真のことを思った。
「いつか、また会える。その時まで、私は私の景色を生きる」
窓の外には新しい季節の光が広がっていた。
巡り巡る人生の中で、二人はそれぞれの道を歩んでいる。
今は別々でも、いつか再び巡り合う日を信じて。




