2話
土曜日の夜。
バイト終わりのカフェの裏口で、二人は自然に並んで歩いていた。
「じゃあ明日、気を付けて。楽しんでいこう」早苗が柔らかく言う。
「おう、早苗もな」悠真は短く返すが、その声には熱がこもっていた。
その一言に、互いの胸の奥で小さな灯がともった。
悠真は帰宅すると、家の庭にライトをつけた。冷たい夜風が頬を撫で、工具箱の金属音が響く。近所迷惑にならないようにエンジンはかけず、チェーンの張りを確かめ、タイヤの空気圧を調整し、オイルの匂いを嗅ぎながら整備に励む。ライトに照らされたバイクの影は、まるで獣のように庭に佇んでいた。彼にとって整備は儀式だった。速度の証を刻むための準備。明日の走りに備え、心臓の鼓動を機械に重ねる。
一方で早苗は台所に立ち、明日の弁当用におにぎりを握っていた。炊きたての米の湯気が頬を温め、塩加減を確かめながら海苔を丁寧に巻く。梅干し、鮭、昆布。走りの途中で食べるための小さな準備だが、彼女にとっては旅の一部だった。未知の土地に辿り着くために、自分の手で支度を整える。おにぎりを並べる手は静かだが、その瞳は遠くの海を見ていた。
翌日、日曜日。
群馬の赤城山。悠真は峠を限界まで攻めていた。エンジン音が山肌に反響し、タイヤがアスファルトを削る。速度は恐怖を超え、ただ「生きている証」として彼を包んでいた。視界は狭まり、心臓の鼓動とエンジンの回転が重なる。カーブを抜けるたびに、命が削られる感覚があった。それでも彼は止まらない。止まれば、自分が消えてしまうから。
その頃、早苗は内房の海岸線を走っていた。潮風が髪を揺らし、寺社の石段を登っては海を眺める。波の音が心を洗い、未知の土地に立つことで自分の輪郭を確かめる。走ることは旅であり、祈りであり、彼女の存在を支えるものだった。海岸線の道は夕暮れに染まり、彼女の瞳はその光を映していた。
二人はそれぞれ無心で走っていた。だが、休憩のとき――。
悠真は峠の駐車場で缶コーヒーを開けながら、ふと早苗の声を思い出した。「楽しんでいこう」という言葉が、速度の余韻に重なった。彼の胸に、初めて走り以外の温もりが宿った。
早苗は海辺のベンチでおにぎりを頬張りながら、悠真の整備に励む姿を思い出した。彼の熱が、潮風の中で静かに蘇った。彼女の胸に、初めて旅以外の灯がともった。
孤独に走り続けてきた二人にとって、休憩時に誰かを思うのは初めての経験だった。はにかむように微笑みながら、それぞれ帰路に臨んだ。
帰り道。
悠真は峠を下りながら、街灯の光に照らされたバイクの影を見た。速度の余韻の中で、早苗の声が響いていた。
早苗は海岸線を離れ、夜の街を走りながら、寺社の静けさに悠真の熱を重ねていた。孤独な走りが、誰かを思う走りへと変わっていた。




