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Blood Sisters  作者: ジョウ・アイダ
Chapter Six:Allies of Necessity
36/46

6-5

金属の床が軋む音だけが、夜の艦内に響いていた。明かりは落とされ、非常灯が冷たい白を通路に落としている。

船体を伝う振動が足の裏にじわりと響き、空母アリオーザは北へ、北へと進んでいた。

部屋の窓の外には、星のない暗い海。波音さえ遮られた艦内は、世界から切り離されたように無機質で冷たい。

私は手すりを握り、視線を落とした。氷の装甲の欠片が、ゆっくりと海へ落ちていく。音はない。ただ白い軌跡が夜に消えるだけだ。

――明日、すべてが終わる。

エルを取り戻す。それだけだ。もしものことは考えない。ずっとそうしてきた。エルと一緒に、失敗も恐れず任務をこなしてきた。

けれど今は違った。

怖い。海の底で、エルがもう“エル”じゃなかったら――赤い怪物に、肉塊に変わっていたら?……それでも、私は引き金を引けるのか?

答えは出ない。窓に息を吐き、曇ったガラスに指先で絵を描いた。

外にはねた長い髪、笑った顔――エル。 そのとき、背後でドアが開く音がした。

「……まだ起きてたのね」

シルヴィアの声だった。

「……眠れない」

視線を海に戻したまま応えた。白波が小窓に打ち付けた。彼女は隣に立ち、同じように海を見る。

しばし沈黙ののち、シルヴィアは柔らかい声で言った。

「ねえ……また昔話、してもいいかしら?」

いつになく優しい声。まるで子供に寝物語をしてやるような調子だ。

「いいけど……なんだか明日死ぬみたいだな」

自分でも苦い声だと思った。

「かもしれないわね」

シルヴィアは淡く笑った。

「だからこそ話しておきたいの。全部ね」

その横顔は澄んだ瞳をしていた。昼間も思ったが、やっぱり母さんに似ている。私は黙ってうなずいた。シルヴィアはその反応を確かめてから、そっと目を細める。

「“あの日”のことよ。グリーンフィールドが崩壊する前の晩──」

声が少し低くなった。

「……レベッカが言っていたの。“もし、あの子たちに何か取り返しのつかない異変が起きたら――互いの血をかけ合わせなさい”って」

「……血を?」

耳に初めて届く言葉。あっけにとられ、思わず顔を向けた。外殻を叩く波の音が、一瞬だけ艦内に響いた。

それが止むのを待っていたかのように、シルヴィアは続けた。

「意味は教えてくれなかった。けど……姉さんの言葉は、決して“無駄に”じゃない。母親として、いや……科学者として――何かを知っていた。あなたたちの体に流れる“強化細胞”の何かをね」

喉が小さく動いた。

「……なんだよ、輸血でもしろって言うのかよ」

声がかすかに震えていた。シルヴィアはゆっくりと首を振った。

「わからない。詳しくは教えてくれなかった。でも……」

彼女の目は、いつになく優しさに満ちていた。

「少なくとも、姉さんは“希望”を託した。願掛けや偶然じゃない。“かけ合わせなさい”には、きっと意味がある」

その横顔に、普段の鉄の女の影はなかった。ただ一人の“家族”としてそこにいた。

拳を握る。それから、ぽつりと問いが口をついた。

「……それって、エルの細胞が強くなるってことか? ウイルスに……勝てるくらい?」

自分でも驚くほど、声が大きかった。狭い部屋の壁に反響し、すぐに静けさが戻る。その中で、ダリアの寝息だけが規則正しく響いていた。

シルヴィアは短く息を吐き、視線を床に落とした。

「希望を持ちすぎないで。……真意は分からないのよ」

彼女の声はいつになく柔らかかったが、それ以上に寂しさを帯びていた。

「ただ……あの人は最後まで、あなたたちを守ろうとしていた。私にはそこまでしか分からないけど」

彼女はポケットから小さな金属製の箱を取り出した。掌に収まるそれを私に手渡すと、中には折りたたみ式の注射器が入っていた。

「なんだよ、これ?」

「……お守りよ。私と姉さん――レベッカからのね。間に合わせで悪いんだけど」

シルヴィアはほんの少しだけ視線を逸らした。照れているのが分かった。そんな顔を見るのは初めてだった。

「神信心が嫌いなシルヴィアが“お守り”なんて言うとはな」

思わず笑いが漏れた。肩の力が、わずかに抜けた気がした。

「……エルが貧血だったら打つよ。ちゃんと、連れ戻してからな」

注射器をポケットに押し込み、ぎゅっと握る。それは自分自身への約束のようでもあった。

「……絶対に」

誓いのように呟いた私を見て、シルヴィアの表情がふと引き締まった。鋼のように冷たい、けれど支えてくれる強さのある表情に。

「“我が一族の血”はそうやって生きてきた。いい女ってのはね、覚悟が血に流れてるの」

軽く笑うシルヴィア。だがその笑みはどこか、遠い昔を見ているようだった。喉の奥が痛くなり、呼吸が少し詰まって吹き出す。

「……それ、母さんが言ってた?」

「今、私が考えたのよ」

シルヴィアはくすっと笑い、目尻にしわを刻んだ。

「くだらねぇ……」

そう言いながらも、視界がにじんでいた。

母の残した言葉、シルヴィアの願い――すべてが胸の奥を締めつける。

明日、地獄に降りる前の夜。残されたものは、言葉と記憶と、わずかな希望だけだった。

「ありがとな、シルヴィア」

「礼はいい。明日、エルを連れて生きて帰ってきなさい。それが答えよ」

その時、部屋の前を誰かが通り過ぎた。夜勤の乗組員か、それともゾラか。

氷山空母アリオーザは音もなく進んでいく。

──北の、あの怪物の海へ。

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