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Blood Sisters  作者: ジョウ・アイダ
Chapter Six:Allies of Necessity
33/46

6-2

連れていかれたのは最下層の荷物すらない船底。空気は濁っていて呼吸するだけで肺にカビが生えそうだ。

錆びた鎖が波の揺れで微かに揺れ、金属同士がこすれ合う音が耳の奥を刺した。古い血の臭いが染み付いていて、それが今も湿気を帯びて漂っている。

壁に磔にされたまま、私はゾラを睨んでいた。四肢を締め上げる拘束具が骨に食い込み、血が止まる感覚すらある。

「……とってもお似合いよ」

ゾラはパイプ椅子に深く腰を落とし、頬杖をつきながら笑った。赤い瞳が爛々と光り、指先で机上のスタンガンを弄んでいる。

金属バット、ペンチ、注射器と手書きのハートのラベルの薬瓶。どれも血と焦げ跡がこびりついている。

スタンガンのスイッチを軽く押す。パチン、と火花が弾け、青白い閃光が一瞬だけ部屋を照らす。

その光が、鉄の壁に反射して妖しく光った。

「そうね……あの日の続きを始めましょうか」

ゾラが愉悦に震える声で言う。顎を指先でつまみ、顔を無理やり上げさせる。赤い瞳が至近距離で覗き込み、呼吸が肌にかかるほど近い。

「いい目ね、本当に。……でも、今はダメね」

わざとらしい溜め息を吐き、ゾラは背を向けた。唇の端だけを歪め、ゾラは背を向けた。その髪先が肩をかすめ、裾がざりっと音を立てる。

「まずは聞かせてもらおうかしら。――なんで、あそこにいたの?」

その声は甘いが、刃物のように鋭い。答えれば切り裂かれ、答えなければ抉られる。

だから、黙った。沈黙、今はそのほかにすべきことがない。ゾラの目が細まり、薄く笑う。

「……黙るのね。まあ、いいわ。どうせ後で、喉が潰れるまで叫んでもらうんだから」

再びスタンガンが鳴り、火花が小さな雷鳴のように走った。唐突に、ゾラの声色が変わる。

「そういえば……いないのね、あいつ」

赤い瞳がわずかに見開かれる。

「ほら、あのデカい、牛女。……なんて名前だったかしら」

内臓が冷えるのを感じた。その名を、ゾラが思い出そうとしている。

「……エル…エルヴィラ。そう、エルヴィラよ。仲良しなお姉ちゃんでしょう?」

ゾラの口から、その名前を出して欲しくなかった。胸の奥で何かが軋んだが、顔に出さなかった。

その仕草をゾラは楽しむように笑った。

「ふふ……最高ね、あんた」

目が愉悦に細まり、微細な変化さえ見逃さないように私の目を観察している。ゾラの視線が、心の中まで抉ってくる。

「どうして彼女はいないの? 裏切り?辞めたの? ……まさか死んだなんて言わないでね」

まるで子どもが虫の羽をむしるみたいに無邪気な口ぶりだった。そして唇の端がいやらしく吊り上がる。

「惜しいわねえ、いなくなる前に“試して”おきたかった。あの体つき、声もきっと……蕩けるように甘かったでしょうに」

スタンガンをわざと軽く振りながら、嘲笑う。

喉がかすかに鳴った。怒りで震えた。この女は、エルを汚す言葉を吐きながら、私の反応を楽しんでいる。

それだけで、呼吸するのも苦しいほどの殺意が湧いた。

「……悲しいわね。お姉ちゃんは、あなたを置き去りにして消えたのよ」

ゾラが立ち上がって爪で私の頬をなぞる。冷たく乾いた指先。 赤い瞳が細くなり、ゆっくりと舌で唇を湿らせた。

「でも、ひどい女ね。あなたを守るどころか、見捨てたのよ。きっと。……男でもできたのかしら。あの牛女、尻が軽そうだったもの」

鼻先にざらりとした生ぬるい感触。合成甘味料のガムの匂いが吐き気を誘った。あのときのエルの顔がよぎる。通信越しの、涙を飲み込んだ笑顔。

――違う。あれは、違う。

だが反論しない。それすら、ゾラを喜ばせるだけだから。 この女の“掌”で踊らされてたまるか。

「随分とお利口になったのね、ミア」

ゾラが椅子に腰を下ろし、足を組み替える。教師が生徒に正解を教えるみたいな顔で笑った。

椅子の背もたれに深く体を預け、スタンガンを指先で弄びながら――。

「じゃあ教えてあげる。どうせあなたは死ぬか、私のペットだし。気になるでしょ?私があそこにいた訳をね」

赤い瞳が細まり、唇がいやらしく吊り上がる。

「……数年前の話よ。カリムとは一度、うち――イリーナの命で取引してた」

その声は、誇らしさと嫌悪が入り混じっていた。

「当時、アイツらは“細胞”を研究してた。言い換えれば――“最終進化”だとか“感染型進化”……そういう類いね」

胸がぴくりと反応した。 強化細胞はそこに繋がる。ゾラは私の反応を逃さなかった。口角がさらに上がる。

「うちの女王様は興味はないわ、ただの興味本位かもね。どれだけ危険でも価値があると見れば試すタイプなの」

笑みが冷たく歪む。

「でもね、ハズレだったの。使えない、ただの出来損ないの化け物の量産するだけ。変異は暴走、コントロール不能、おまけにうるさい。コスパ最悪で出来最悪ってやつよ」

スタンガンをトントンと肘掛けに当て、肩をすくめる。

「しかも、その代表が、あのきもいカリムとかいう自己陶酔の塊の老いぼれ」

「…カリム」

初めて口を開く。ゾラは目を細め、嘲笑するように言った。

「イカれてるわ。“神の使徒”ですってよ。笑えるでしょ? 」

私が目を見開くと。ゾラの目が光って嬉しそうだった。

「“救済の雨を降らせる”、とか。“新創世記だとか”……本気で言ってたわ」

声に嫌悪すら滲む。

「もうね、金儲けの宗教でも、戦争目的でもない。ただの信仰よ。――本気でイカれてたわ」

表情には嫌悪すら浮かんでいたが、同時に、そのイカれた計画を知っている自分に酔っている気配もあった。

「イリーナは当然、見限った。契約書にも目を通さずに関係を切った」

ゾラが立ち上がり、ゆっくりと私に歩み寄る。

「……けど、私は財団に再接触したの。理由は一つ。奇妙な噂よ」

表情が変わる。私の肩に肘を乗せ、体を前傾させる。ゾラの強めの香水が鼻をつく。

「北の海にある冷戦時代の独裁国家の遺産の旧プラント。……カリムがそれを買い取り、何かを始めたって」

頭に浮かぶのはあの映像。 赤黒い肉塊に包まれた奇妙な建物。

「一週間前に調査を命じられて乗り込んだのよ。ヘリで内部突入したの。大変だったわ、周りでタコみたいな触手が蠢いているからね……でも、中は――本当の地獄だった」

僅かな震えが混じる。

「無人だったのめちゃくちゃデカいのにね。施設に入ると、天井から吊るされた触手、溶け落ちる床。その奥には銃も火炎も効かない――呼吸する肉の壁よ。触れた瞬間、一人取り込まれたの。“生きた壁”ってやつね」

ゾラの声には、かすかな戸惑いがあった。ほんの一瞬、その赤い瞳が過去の恐怖を映した。

だが次の瞬間、また冷たい笑みに戻る。

「それで引き返した。たぶん手に負えなくなって放棄したんでしょうね。それから再調査のため、今度は本部に乗り込んだの。でも、それも空振り」

ゾラは立ち上がり、天井を見上げる。

「で、何も得ずに帰ろうとしたらね――光が漏れてた。夜の帳の中で、あのビルから。……だから覗いた。……そしたら人がいた。シルヴィア、ダリア、そして、あなた。見覚えのある顔ぶれ 」

赤い瞳が私を刺す。

「殺そうかなって思ったわ。でもね、攻撃されてるのを見て変わったの。何か掴んだなって」

ゾラはゆっくりと私に顔を寄せる。口元に薄く笑みをたたえたまま、囁くように言った。

「掴んでなくても手土産にはちょうどいいしね。だから助けたのよ、感謝してほしいくらいだわ。…だから、次の“ご褒美”の準備が整うまでには、せいぜい大人しくしてなさいね」

血が耳の奥で轟いた。怒り。疑念。恐怖。そして、どこかでかすかな希望。

だが顔には出さない。ただ、静かにゾラを睨み返すだけだった。

ゾラの話は止まらなかった。耳の奥に直接触れるような錯覚を呼ぶ。

「……だから、あなた達の“土産”が気になるのよ。カリムのあの部屋で、何を見たのか――ね」

もう答えなかった。いや、答える気力すら残っていなかった。視界の端が揺れ、滴った汗が頬を伝う。

背後の鉄の壁から伝わる冷たさは、骨の髄まで染み込んでいた。

こんなことをしてる場合じゃない……エルは、どこかで――いや、“あの場所”にいる。

あの生きた監獄。蠢く肉の海、意識を飲み込む咆哮の中で、彼女が。

拘束されたこの身をどうにか動かせたなら――。時間は刻一刻と過ぎていく。自分だけが立ち止まり、誰も助けられない。

怒りと焦りと、無力感。

それらが胸の奥で暴れまわる音だけが、脈打つように響いた。私は、何をしてる……? ただ……聞いてるだけ……?

唇を噛む。血の味がした。視界が、わずかに赤く滲む。

その様を、ゾラは心底楽しげに眺めていた。口元に手を添え、ひくひくと肩を震わせながら笑い声を押し殺す。

「……それよ。その顔を見たかったの」

その一言で、思考が凍る。

「誇り高くて、強がって、痛みに耐えて……でも、心の奥じゃ、自分を責めて、崩れかけてる。そのギリギリの顔――それが一番、美しいの」

ゾラの声は甘ったるい。くすぶる感情に油を注ぎ、ねじれた欲望で私の魂を舐め回す。

……くたばれ

吐き捨てたい衝動。だが声が出ない。舌が喉の奥で張り付いて、ただ荒い呼吸だけが響いた。ゾラの笑みがさらに深くなる。

「黙るの? それもまたいいわ。あなたの価値は今、最高に高いの」

その瞬間――。無機質な音を立てて、船室の扉が開いた。

「ボスが呼んでる。女も連れて来いとのことだ」

無機質な声。ゾラは一瞬きょとんとし、それから唇を弧に歪ませた。

「……ふふ、ついに来たかしら。お迎えよ」

顎を指先で持ち上げられる。赤い瞳が、まるで品定めする目をしていた。

「最期の舞台、しっかり歩きなさい。お別れの挨拶よ」

鎖に繋がれて部屋を出る。そして、氷の女帝のもとへ引き立てられた。

寒気が支配する部屋。一歩足を踏み入れた瞬間、吐息が白くなった。 真紅の絨毯の中央、重苦しい軍服に身を包み白金の髪をたなびかせた女が座していた。髪は冷たく輝き、軍服に包まれた背筋は一分の隙もなく伸びている。

ゾラに支えられたまま、イリーナの前に突き出された。四肢は重く、痛覚すらとうにない。

「……その女の錠を解け」

「は?」

ゾラが素っ頓狂な声を上げた。私も反射的に聞き返したくなった。

「ねぇイリーナ、それって――」

「命令だ。二度は言わん」

視線が向けられた瞬間、空気が裂けた。息が詰まり、首筋の産毛が総立ちになる。

ゾラは泥水でも飲むように顔を歪め、渋々鍵を取り出して錠を外す。 解放された手首にじんと痛みが走る。

だがそれ以上に――イリーナの赤い瞳が焼き付いて離れなかった。

「武器も返せ」

女帝は続けて言ってゾラを睨んだ。

「……正気じゃないわよ……」

ゾラの反抗、だがすぐに折られる。

「私が正気でなければ、貴様は今ここにいない」

ゾラは舌打ちを飲み込み、背後の兵に合図する。差し出されたホルスターが手に収まったとき、革の感触と金属の重みがようやく現実を取り戻させた。

「……何のつもりだ」

言葉を吐き出すように訊いた。イリーナは無言でグラスを持ち上げ、琥珀色の液体を一口。

「命令だ、付いて来い。貴様には選択肢はない」

氷のような沈黙が落ちる。 そのとき、扉が再び開いた。シルヴィアとダリアだ。けれど、その表情は硬く、決意に縛られていた。

「……何が、どうなっているんだ」

二人に駆け寄る。二人の空気は重く、私に一瞥もしなかった。

「お友達になったのよ。イリーナと」

シルヴィアは信じられないことを口にした。以前の戦闘がフラッシュバックして真っ白になる。

「……は?」

「私達もNOVAも、全部まとめて“ヴォルフ・ブラトフ”と友好を結ぶことにしたの。もちろん、プレゼントもしたの」

空気が一気に変わった。心拍が跳ねる。

「……おい、それって――」

聞く前にシルヴィアは重苦しい顔で私の肩を掴んで説明した。

「代わりにカリムへの襲撃に協力するって条件をつけたわ。奴らも正面から殴り込む。ただし、奪った兵器やウイルスはあっちの所有になるけどね」

あの怪物があの女のものになる。

「……あんなものをあいつらが――」

メモリーの写真が頭を巡る。私たちが怪物になる写真。

「大丈夫よ、イリーナもその程度の理性はあるわ」

その皮肉に、イリーナの赤い瞳が鋭く光った。

「NOVAが保有する衛星ネットワークの“スパイネット”のアクセスキーも提供した。空からの索敵、衛星砲の射線、通信網……すべての権限を引き渡す。反逆罪ものだ……」

ダリアの言葉に諦念が混じる。しばしの沈黙の後――イリーナが指を立てた。

「それでだ、“プラント”の内部。それを突破する“鍵”がいる」

その指が私を捉える。

「……知っているのか」

ミアの口から漏れた言葉に、シルヴィアが頷く。

「ごめんね、そうするしかないの」

ダリアが続ける。

「プラント内部には壁がある。銃火器も効かない肉の壁だ」

エルが言っていた言葉を唐突に思い出す――私なら通せる。

「エルはあなたを“受け入れている”。最も近しい血の存在だしね。エルはあなたを通すわ」

そう言ってシルヴィアがイリーナのグラスに唇をつけた。

女帝の眉が微かに動いた。

「つまりだ」

イリーナが言い切る。

「貴様が、最深部への唯一の鍵。我らはその全てを押収する。お前らは勝手にしろ」

全員の視線が私を射抜いた。深く息を吸い、そして吐いた。エルを助ける。しっかりと形を帯びてきた。

「……唯一の手段。嫌なら殺す」

その言葉を受け止める前に答えていた。

「連れて行け。――北の海へ」

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