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Blood Sisters  作者: ジョウ・アイダ
Chapter Three: A person
19/29

3-9

麗軒飯店の暖簾が再び掲げられたのは、あの夜から二週間後のことだった。

油のはじける音、肉を焼く香ばしい匂い、立ちのぼる湯気――。

少しずつ客足が戻り、ひと月も経つ頃には、以前のように喧騒と熱気が渦を巻いていた。

今日はその“退院祝い”だった。

ドアを開けるや否や、エルは待ちきれないとばかりにメニューを広げた。

「うわぁ、本当に戻ったんだね! えっと……オレンジチキンとジェネラルソース、それからチャウメンに……あ、ヤンヤンエッグロールも!」

指先が走るたび、メニュー表の端から料理が飛び出してくるかのように、彼女の声は弾んでいた。

「……どれだけ頼む気だよ」

苦笑しながら私はジョッキを傾ける。冷えた喉越しに、ようやく「日常」というものが喉を通った気がした。

天井隅のテレビがニュースを流していた。

『続いての話題です。映画俳優の――』

『金融王の〇〇氏が、麻薬所持で――』

どうでもいいゴシップばかり。あの日以来、毎日目を凝らしていたが、列車の件が報じられることは一度もなかった。

「くだらない……全部煙に巻かれた」

皿に転がしたチキンの骨を弾き飛ばす。

「NOVAがもみ消したんでしょ。あの“対バイオテロ組織”が人身売買に関与してたなんて、スキャンダルすぎるもん」

そう言いながら、エルは私のスパイシーフライドライスに箸を伸ばし、豪快に頬張った。

――真実は葬られた。

秩序と政治を揺るがすから。

「そういえば、ダリアはまだ……あそこに?」

ふいにエルが顔を上げた。

「ああ。しばらくはシルヴィアのセーフティハウスだ。生活に困ることはないが、心は安らぐはずもない」

「ふふ、あの人のことだから……いっそ転職して、うちに就職するかもよ?」

冗談めかした声に、つい笑ってしまった。

厨房の奥からレイが姿を現した。

「なあ、エルヴィラ……そんなに食べて胃は大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫。これくらい前菜よ!」

にっこり笑う彼女の前で、皿は瞬く間に山を築いていく。

「……これで礼になるのかね。あんな命懸けのことをしてくれたのに、飯だけじゃ割に合わない」

レイは困ったように腕を組む。

「ま、エルの食いっぷりなら釣り合ってるかもな」

私が言うと、レイも小さく肩を揺らした。

そのとき、ドアベルが鳴った。

「配達終わったっすよー!」

ヤンヤンが岡持をぶら下げ、息を切らしながら帰ってきた。

「あっ、お二人さん! お久しぶりっすー!」

エルは勢いよく立ち上がり、ヤンヤンを抱きしめた。まるで何年も会えなかった親友に再会したかのように。

「……つい先週、見舞いに行ったばかりだろ」

呆れる私の言葉を無視し、エルは子どものように笑っていた。

ヤンヤンは変わった。

――いや、戻ったのだ。

過去の恐怖も、しがらみも手放し、ようやく“自分の足”で歩き始めた。

シルヴィアに用意された市民権を断り、「自分で稼いで取る」と宣言した。

それが、彼女なりの“人生の証明”だった。

今はスクーターで街を走り回り、ホールと配達を行き来している。

その姿を、エルは眩しそうに目で追っていた。

きっと彼女の中に、私たちが持てなかった“堅気の希望”を見ているのだろう。

レイもすっかり鍋を振れるまでに回復していた。

疲労による入院、だが退院は遅れた。毎日ヤンヤンが過保護に見舞いへ押しかけ、逆に寝不足になったらしい。

「困ったもんだ」と笑う彼の声には、以前の覇気が戻っていた。

――二人とも、強い。

私たちとは違う形で、確かなものを手にしている。

グラスを口に運びながら、私は彼らを見つめた。

「ミア? どうしたの、お腹でも痛いの?」

隣でエルが顔を覗き込む。どうやら私が考え込んでいたらしい。

「いや……エル、ほら。米粒ついてるぞ」

おしぼりで彼女の頬を拭うと、エルは照れたように舌を出した。

「ありがと。じゃあ次は小籠包ね!」

そう言って元気よくヤンヤンに声をかける。

笑っている。

ただそれだけで、いい。

「エル」

「ん? なぁに? あ、チキンもう一個いる?」

頬をいっぱいにふくらませながら振り返る彼女に、私は言葉を飲み込んだ。

伝えたいことは山ほどあったのに。

「……また、ついてるぞ」

彼女の頬についたチキンの欠片を指で取って、口に放り込む。

――もし、普通の暮らしが許されるなら。

エルと、ただの一般人として並んでいられるなら。

……その願いは胸に仕舞った。

今は、これで十分だ。

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