3-8
月光が微かに差し込む、コンテナの屋根。
風が鋭く頬を斬る。
呼吸を整える暇もない。コンテナの表面は、ざらついた金属と油の混じった滑りやすい素材。
踏み外せば、次の瞬間には地面に叩きつけられるだろう。
両手のサブマシンガンを握り直し、私は屋根を駆ける。
あと少しで四両目。
――前方から断続的な銃声。エルが戦っている。
と、連結部の隙間から血まみれの顔がのぞく。
「ミア!? おい! ミア!!」
ダリアだ。顔から血を流しながら、よろめくように現れる。
「エルが解放した!!ヤンヤンは前に連れていかれた!!私も進む!」
「無茶言うな!手負いは足手まといだ!」
「君が言うなッ! ……行く!」
そう怒鳴ると、彼女は迷いなくショットガンで連結部のロックを撃ち抜いた。
ガシャァンッ――!
爆音と共に人々が乗った貨物車両が切り離され、遠ざかっていく。
「安心して!警察を応援に向かわせてる!みんな、もうすぐ保護されるから!」
それだけ言って、彼女は車両の中に消えた。
「……“君が言うな”か。ごもっともだ」
息を一度整え、前方へと駆けだす。
一両、また一両と超えて――
2両目の屋根に足をかけたとき、視界の端で何かが動いた。
反射的に天窓に目をやる。
――!!?
エルだ。
床に押し倒され、身体を押さえつけられている。
そのすぐ傍には、銃を突きつけられ怯えるヤンヤン。
周囲には武装した兵士が数人。
一人が、エルの腹を踏みつけるように蹴った。
身体が弧を描いて浮き、仰向けに転がる。
「クソッ……!」
視界が赤く染まる。
背筋が総毛立つ。
何か……身体の底で切れた。
冷たく焼けるような怒りが沸き起こる。
――エルを……踏みつけやがって。
あの柔らかい身体を、笑って、汚らしいブーツで。
サブマシンガンの照準を兵士に向ける。
頭に一発撃てばいい。
一発で、こいつらを地獄に送れる。
――その時だった。
目が合った。エルと。
血のにじむ唇が、かすかに動いた。
「ま……え……に」
痛みに顔を歪めながらも、彼女は明確に伝えてきた。
撃つな、と。
ここじゃない、今じゃない。
“今、私が欲しいのは助けじゃない”――そう言っていた。
「……上等だよ、エル」
照準を外し、屋根を蹴って前に進む。
先頭車両の屋根へ――
そして扉を、慎重に開ける。
誰もいない……否、操縦士が一人。背を向けてレバーを握っている。
一気に詰め寄る。
「うらぁああッ!!」
そのまま首を掴み、顔面を操作盤に叩きつけた。
バゴッ!!
機械音と共に操縦士が崩れ落ちる。
これで、止められる。
あとは緊急ブレーキを――
――その瞬間。
ぞわり、と背後に走る感覚。あの視線。
動く前に、身体が後ろに引きずられる。
「……ッ!?」
そのまま床に叩きつけられ、私は宙を舞う。
銃声――!
跳ね起きた視界に、異形の影。
黒光りするボディアーマー、ガスマスク、暗視ゴーグル、ヘルメット。
銃を構え、無言でこちらを狙う。
撃ってくる――!
床を滑って避ける。
頭、心臓、股間――全てが急所。
その精密さと、殺意の濃度。
単なる弾幕じゃない。「狙って」殺しにきている。
「ッ、この野郎……!」
この感覚――思い出した。
麗軒飯店で感じたあの“視線”。
こいつが、あの時の――!
陰に飛び込む。敵は一言も発せず、黙々と攻撃を繰り返す。
操作盤を盾に、陣取っている。
緊急停止はできない。
撃てば反撃される。下手に出れば蜂の巣だ。
武器の火力じゃアーマーは抜けない。
じゃあ――どうする?
ルーフから奇襲? 音でバレる。
正面突破? 無謀。
連結部から侵入? 扉は、ねじ切られてる。
私は、影の中で呼吸を殺した。
静かに、策を練る。
この列車を止めるには――
何か、決定的な一手が必要だ。
地面に目を落とす。
ハッチだ!
ハッチを開けて列車の底へと身を滑り込ませる。
「……この手の奇襲は一度やったな。だが今回は、あの化物だ」
金属の冷たさが全身を貫く。
油と鉄粉、焦げた空気。
耳元をかすめる砂と小石と風圧に、思わず歯を食いしばる。
列車の振動が骨に伝わる。
一歩でも手を滑らせれば、地面に頭を打ち砕かれる――
そんな緊張を握力に変え、真下へと這う。
やつの影が透けて見える気がした。
ブーツの裏。
立ったまま動かない。待ち伏せの姿勢。
「じゃあ、終わりだ」
サブマシンガンを、下から撃ち上げる。
狙うは――股下、ブーツの裏、膝裏。
どんな装甲も、そこまでは覆えない。
一瞬の空白。
次の瞬間――ドサッと、重たいものが崩れる音。
血が、穴から垂れ落ちる。
そばのハッチの縁を掴み、腹筋で跳ね起きるように窓から中に入った。
倒れた重装兵は微動だにしない。
黒いアーマーの隙間から、内臓の混じった赤黒い液体が広がっていた。
「……地獄で靴紐でも結んでな」
銃を構えながらゆっくり近づき、頭を一瞥。
――動かない。
操縦席へ。
すぐに緊急停止ボタンを叩いた。
……が。何も起こらない。
「……おい」
もう一度叩く。何度も。
拳で操作盤を叩きつけると、ディスプレイに警告が走った。
《緊急操作エラー/システム障害》
車体がグラリと揺れた。
――その瞬間、加速。
「おいおい、止まるどころか……ッ!」
窓の外の景色が流れるように早くなる。
振動も、金切り音も、どんどん激しさを増す。
車両が……暴走している。
「くそ、何か……他に手は……」
そのとき、端末の別ディスプレイに目が止まった。
監視カメラのフィード。
血を流しながら戦うダリア。
そして――
エル。
数人に抑えつけられ、殴られ、蹴られ、引きずられている。
その表情は……私にしか分からない。
折れそうで、でも折れていない、あの目。
「……」
彼女を傷つけた奴らを――この列車ごと、終わらせてやる。
その時、画面の端に表示されたボタン群の一つが目に入る。
《室内鎮圧用催涙ガスシステム》
「……ああ、そうか。あいつら“管理”するための装置を、仕込んでたわけだ」
エリア選択。
2号車から5号車――そこだ。エルとヤンヤンとダリアがいたのは。
「……しっかり息止めてろよ、エル。あとで謝るから」
ボタンを押し込む。
ディスプレイには、白い煙がブワッと充満していく映像。
中で兵士たちが咳き込み、武器を手放す。
エルが目を細めて壁に背を押しつけ、ヤンヤンを抱きしめる。
「よし……」
ガスマスクを3つ手に取り、操作室の窓を開けた。
そこから、再び屋根へと――跳ぶ。
暴走列車の屋根。
風圧は増し、空気が唸るように耳を叩く。
――バシュッ!
銃床で天窓を突き破ると、
ガスに包まれた薄暗い車内が目に飛び込む。
伏せたまま、互いにしがみつくように身を寄せていたのは――
エルとヤンヤン。
「エル!!」
即座に跳び降り、這いつくばって銃を構えようとしていた兵士をサイドキックで吹き飛ばす。
肩にぶつかった感触の中で、二人にガスマスクを投げ渡す。
「行くぞ。列車を――切り離す」
「ちょっと待って、ミア?止めるんじゃ…」
「止まんねぇよ。もう、止まらねぇんだ」
二人の手を取り、後方車両へと走る。
途中、倒れた兵士の手から銃を奪い、先行するダリアの元へ。
ガスに沈んでいたダリアにもマスクを装着。だが気絶していた。
「連結を切るぞ!!」
列車の連結部――鋼鉄の塊。
ライフルをフルバーストで撃ち込むが、
ただの火花と擦過痕だけが残る。
「弾切れ……!ショットガンはないのか!!」
「ミア、下がって!」
ハンマーを振りかざすエルの声。即座に横へ飛びのく。
――ガァァン!!
金属音と共に、火花が闇を照らした。
一瞬、連結部が“たわむ”。
「前から来てるっす!!」
ヤンヤンの警告と同時に、前方から敵兵が突入してくる。
エルのアサルトライフルを拾い上げて牽制射撃。
「エル、もう一発ッ!!」
――ガッッッッァアァン!!
砕けた。
連結部の留め金が外れ、金属が崩れ落ちる。
ぐらりと列車が揺れ、次の瞬間――
車両が分断された。
敵兵が遠ざかり、銃撃の音も消える。
「やった……やった……!」
その場に崩れ落ちるエル。
「え!? あいつら、追ってこないの!?」
ヤンヤンが顔を青くする。
「心配すんな。前方車両はブレーキ壊れてんだ。たぶん……あのままカーブで突っ切るか、どこかの海にでもダイブだ」
エルとヤンヤンが同時に息を吐く。
車両の速度が徐々に落ちてくる。
遠くでサイレンの音。
「……あの音が、こんなに安心できるとはな」
ふっと笑い、壁にもたれて腰を落とした。
……だが。何かが引っかかる。
「……待てよ」
考えた瞬間、ヤンヤンが叫ぶ。
「ヤバいっす!このままじゃ警察に捕まるっすよ!!」
「私たち、マフィアと不法滞在者じゃん……ダリアはNOVAだから大丈夫だけど…寝てるし!」
窓から外を覗くと、月明かりの砂漠を照らすように、何かが来ていた。
「おい、あれ……パトカーより前に……煙出てない?」
エルとヤンヤンも身を乗り出す。
スポーツカー。
ボンネットから黒煙。車体はボロボロでフレームが軋み、
それでも――
「レイ!!」
「レイさん!レイさんだ!!」
ヤンヤンが全力で手を振る。
レイも気づいて窓から手を振った。
……その瞬間、車体がボフッと軽く爆ぜた。
「え、爆発した!?」
「大丈夫……多分」
エルが苦笑いして、ヤンヤンはガチガチに震えている。
そのとき、ダリアが目を覚ました。
「……は? ミア……? エルヴィラ……? あと…ヤンヤン?……え、どうなった!?」
「後で説明する。今から脱出するから。あとはダリア、“NOVAの権威”で何とかしてくれ」
キィィィイイ――!
スポーツカーが並走する。
「せーの!」
3人、同時に車へ跳び乗る。
最後に窓から見えたのは、ダリアが呆然としながら車内に立ち尽くす姿だった。