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Blood Sisters  作者: ジョウ・アイダ
Chapter Three: A person
14/29

3-4

暗闇にうごめくのは、ただの物流用コンテナ……そう見えるものばかり。だが、あの“声なき叫び”を聞いたあとでは、すべてが意味を帯びて見える。

視線を滑らせ、列をひとつずつ検分していく。

そのとき、風の向きが変わった。

腐鉄と血の混じった臭い――古傷のような匂い。

小さなトレーラーに繋がれたコンテナ。周囲の他と違い、それは周囲の物資で“囲い隠す”ように配置されていた。

隠されているというより、封印されているようだった。

私は静かに、扉へ手をかける。

……ギィ、とわずかに開いた瞬間、内部から息を呑むような匂いが漏れ出た。

乾いた血と、焦げた鉄と、消毒液と、汗と、恐怖。

「……ここだ」

狭く、窓のない空間。壁は厚いコンクリートで覆われ、まるで“個室監房”のようだ。

正面の壁には、手錠の付いた金属椅子。床には微かに傾斜がつき、血痕が排水口へと集まるように設計されている。

血は、もう乾いていた。だが、その色と形は、確実に「誰か」がここで何度も傷つけられた証だった。

天井にはパイプ。監視カメラに向けて設置されており、ガスや液体の噴出機構がある。

制御と記録の両立。見世物にも、処罰にも使われた空間。

そして。

――壁に、血で書かれた文字。

震えるような手跡で、何かを訴えるように、何かを呪うように、誰かが最後にここに「存在した」証を刻んでいた。

写真を撮りデータをエルとシルヴィアに送る。

「……当たりだな」

思わずそう呟いたその瞬間、通信が入った。

『ミア……いいかしら』

エルの声だった。

だが、いつもの呑気さは消えていた。張り詰めた音色。怒りと、焦り。そして――深い悲しみ。

「いいよ。どうした?」

『記録はいっぱい見つかったわ。文書も映像も。もちろんヤンヤンのも……酷いよ、これ』

数秒の沈黙。

その重みに、この空間で見たもの全てを重ね合わせる。

「……とにかく脱出だ。エル、気をつけて」

言いかけた瞬間、通信が弾けるように割れた。

『――ミア!入口から三人来る!逃げて!』

世界が急に“現実”へ引き戻される。

私の身が即座にコンテナの陰に沈み込む。反射的だった。訓練でも教えられない“本能”が、背中に何かを感じ取っていた。

三人。多すぎる。

ただの巡回ではない。

『裏からも二人来た。こっちも人が来たから、撤退するわ。……天窓があるけど、そこからいける?』

間の悪いタイミングに、奥歯を食いしばる。

「……うん、大丈夫。第三埠頭で落ち合おう」

この言葉だけで、すべての意志を伝えた。

声が震える前に、私は通信を切った。

冷たい空気が喉を満たす。心臓の鼓動が首筋まで響いている。

じわじわと近づく足音。

複数の足音の密度。呼吸。手元の無線。

これは偶然の巡回ではない。探している。

顔をそっと上げる。上部に梁。古い鉄骨が、照明の影にうっすらと浮かんでいる。

あそこまで登れれば、死角を抜けて脱出できる。

「……あそこ、だけか」

自分に言い聞かせるように呟き、コンテナの支柱を蹴った。

金属が軋む前に、身体を引き上げる。

鉄骨の梁へと跳び、指先を滑らせるように掴む。

呼吸が荒くなるのを抑え、心拍を鎮める。

もう一段、高く――天窓が、そこにあった。

手をかける。

……音を立てないように。視線を感じないように。

一度だけ、深呼吸。

そして、静かに、この地獄から空へ抜け出した。


――――――――――――――――――――


濡れたジャケットが冷たい風に煽られる。

剥き出しの肌に夜気が突き刺さるたび、全身がわずかに震える。

足元の水たまりが、街灯の光を曇った銀に歪ませていた。

そのとき——

足音が、静かに近づく。

振り返ると、エルが走ってきた。

影から飛び出した彼女は何も言わず、私を一瞥し、そのまま自分のレザージャケットを肩にかけてくれた。

濡れた身体を包んだのは、革の質感と、エルの匂い。そして、温かさだった。

その温もりが、寒さに痺れた神経の奥まで、じわりと染みこんでいく。

「……ありがと」

そう呟くと、エルは小さく頷いて、何も言わずに端末を差し出した。

繋がれた端末が、映像を映す。

映し出されたのは、“商品”として撮影された人々の写真群。

顔。全身。複数アングル。無理に作られた笑顔と共に、体に刻まれた痕と、首輪と、両手に持った情報プレート。

身長、体重、年齢、性癖適応、状態、希望価格——。

そしてその中に、ヤンヤンがいた。

腫れた目。青黒いアザ。古傷の上にまた重なったような裂傷。

笑顔なのに、目は死んでいた。

プレートには“売約済”、そして――三年前の日付で《脱走》。

そして最近のコメントで《捕獲予定》と追記されている。

私は端末を静かに閉じた。

その重さが、手の中で刃物のように冷たかった。

「こっちも……見た。あのコンテナ、中は“荷物用”じゃない。“人間用”だった。……クロだ」

エルは写真を一目見るなり、顔をしかめて、まるで拒絶するように視線を逸らした。

端末を閉じる仕草が、まるで誰かの首を絞めるように強かった。

「……覚悟はしてたけど、やっぱり……酷い。途中で吐きそうになっちゃった」

その言葉に、私は返す言葉を失った。

顔を伏せた私の横で、エルが小さく唇を震わせる。

声には出さなくても、その揺らぎは痛いほど伝わった。

彼女はいつだって強がる。でも、今は違った。

「ねぇ、ミア……もし、もし私たちがああやって“売られた”ら、って考えたことある?」

その声は、風に千切れそうなくらい細く、震えていた。

「大切な人と引き裂かれて、知らない誰かに買われて、毎日、酷いことをされて……死ぬまで逃げられないの。私は……そんなの、考えただけでダメになりそう」

あぁ、思ってるのはヤンヤンのことだ。

あの小さな背中に、どれだけの地獄がのしかかっていたのか。

それでも笑って、前を向いてる。大人みたいに。

「……あぁ。私も、ダメになると思う。……だから」

私はエルの手を握った。

冷たさを包むように。けれど、その奥に熱をこめて。絶対に離さないと伝えるために。

エルが驚いたように私を見る。

そして、ゆっくりと、いつもの笑顔になった。

でもその目の奥には、割れもののように繊細な光が揺れていた。

「……ミア、ありがと」

彼女の手は、強く握り返してくると思った。

でも違った。優しく、包むように。

私も、その手にそっと、指を重ねる。

――そのとき。

端末が震えた。

突如、現実が割り込んでくる。

ディスプレイには、シルヴィアの名。

「……!」

私は即座に受信した。スピーカー越しに、落ち着きのない声が響く。

『二人とも一緒かしら?』

声は沈着だが、どこか急いている。

「うん、いるよ。見た?データ」

エルが即座に応答する。

『今すぐ“コンチネンタル・スタジアム”へ来なさい』

短く、命令のように言い放つと、通信は一方的に切れた。

私たちは顔を見合わせた。

「……シルヴィアどうしたのかな、スタジアムなんて」

「わからん。今はとにかく行くしかない」

私は立ち上がる。革ジャケットの裾を翻しながら、ゼニス・スパイアの中心部へと視線を向けた。

あの光の奥に、また新しい闇が待っている気がした。

それでも——

エルと一緒なら、踏み込める。

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