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Blood Sisters  作者: ジョウ・アイダ
Chapter Three: A person
13/27

3-3

熱源が、暗視双眼鏡のレンズ越しに滲む。

ぼやけた輪郭の向こうで、静かに灯る命の熱。

ゲートに一人。倉庫前に一人。南北の扉にそれぞれ一人ずつ。警備室に一人。仮眠室で、毛布に潜り込むように二人。合計、七人。

倉庫全体に絡みつくように張り巡らされたセンサー群が、神経網のようにわずかな侵入熱さえも逃すまいと張り詰めている。

双眼鏡からそっと目を離し、隣に身を寄せているエルヴィラと視線を交わした。

月明かりが、彼女の睫毛にほんのりと銀の縁を与えていた。

「……特に、妙な動きはないねぇ」

エルは体を伸ばしながら呟く。

肘が鉄塔の手すりに当たって、カン、と乾いた音が響いた。

「……だな。人の動きも、物資の搬出入も、まるで教本通りって感じだ」

言いながらも、胸の奥に小さな棘のような違和感が残る。

ここが“人を運ぶ”現場には、とても見えない。

冷静で、効率的で、無味無臭。

……けれど。思い浮かぶのは、あの女――ダリア。

あの灰色の瞳は、命令に従う軍人のそれではなかった。真っ直ぐすぎて、嘘を隠せない眼だった。

「……海側、ガバガバだよ。センサーゼロ。これなら私でもすり抜けられる〜」

エルが双眼鏡を覗きながら、飄々とした声で言う。けれど、背中には軽くない緊張感が漂っていた。

私は黙って頷き、海岸線に視線を移す。確かに、センサーの反応は皆無だった。

潮風に晒された鉄条網の向こうは、無防備な夜の海が広がるだけ――

「私が海から侵入して、コンテナを確認する。エルは正面ルートから記録を探って」

「了解。……でも、本当に平気?まだ本調子じゃないんでしょ」

いつになく真剣な声で、エルが私を見つめた。

その視線には、不安ではなく、私に対する深い信頼と寄り添う覚悟があった。

「……大丈夫。栄養つけたし、いっぱい休んだし。あと……あのドラゴン・チャウメン、うまかったから」

冗談めかして笑いながら言ったけれど、私の中でその言葉は誓いでもあった。

今の私は、もうあのときの“守られる側”じゃない。

「……そっか」

エルは小さく笑って、私の頬に指先を伸ばしかけた。

けれどその手は触れる寸前で止まり、空気をなぞるように降ろされた。

私たちはしばし黙って、波止場の先に瞬く輸送船の灯りを眺めた。

潮の匂いと、鉄塔の鉄の匂い。

それが静かに混ざり合い、夜の静寂に溶けていく。

こうして並んで夜を見下ろすのは――いつ以来だろう。

何も起きなければいいと願ってしまう一瞬。

何も起きないはずがないと分かっている私たちには、そんな願いすら贅沢に思えた。

エルと目が合う。

……ああ、きっと、同じことを考えている。

「じゃ、行こっか」

エルが笑う。私はその笑顔に応えるように、小さく頷いた。

遠くでタグボートの警笛が鳴った。夜の海に、滲んでいくような音だった。


――――――――――――――――――――


「……さすがに寒いな」

夜の潮風が、肌に鋭く突き刺さる。

車のトランクからウェットスーツを取り出し、ホットパンツの上から無理やり脚をねじ込む。

潮で冷えた空気が、素肌の隙間に滑り込み、骨の芯を冷やすようだった。

冷え切った指先が、ジッパーを滑らせるにももたつく。

それでも、慎重に閉めたのは痕跡を残さないためだった。

今日の任務において、「見つかる」という失態は、すべてを失うことを意味する。

目の前に広がる黒い海が、どこまでも静かに揺れていた。

まるで、すべての秘密、死体、罪悪を飲み込みながら、何事もなかったかのように鏡面を装っている。

——だが、望むところだ。

足ヒレを履き、小型の酸素ボンベを咥え、ゴーグルをきつく締める。

胸の奥に張り詰めた息を、深く一度吐き出すと、私は静かに海へ身を投じた。

水面が割れ、世界が断絶する。

一瞬で訪れる沈黙と圧。

冷たい水が、皮膚から思考の奥底まで染み込んでくる。

だが、この冷たさこそが、私の“戦場”だった。

腕を伸ばし、脚を蹴り、全身で水を裂いて進む。

冷たさに神経が鈍る一方で、集中力だけが研ぎ澄まされていく。

そのとき、不意に骨伝導通信から声が届いた。

『ミア〜、ナイトダイビング楽しんでる? なにか見つけたら教えてね!……あ、水中じゃ返事できないか』

くぐもった声が、骨ごと染みてくるように届く。

エルだ。

『それはそうと、こっちの見張りを近くで確認したけど、あんまり腕は立たなそう。NOVAにしてはだいぶ緩いよ。……うん、ますます謎だね』

軽い調子ながら、観察は鋭い。

彼女の言う「緩い」は、一般人の「ガバガバ」とは次元が違う。

それだけに、なおさら不審だった。

――なぜ、この施設だけが“雑”なのか。

暗がりの中、湾岸からわずかに差し込む光が、波の上ににじんでいた。

浮上地点はすぐそこ。

静かに浮上し、波間から目だけを覗かせる。


挿絵(By みてみん)


夜風が濡れた髪を冷やし、頬を刺す。

桟橋の鉄に指をかけ、音ひとつ立てずに体を引き上げる。

鉄板に滴る水音すら、爆音に感じた。

水に締めつけられていた身体が、陸に触れた瞬間、ゆるむような、痺れるような感覚に包まれる。

辺りを素早く見渡す。コンテナが幾つも無機質に並んでいた。

だが、そのどれもが“ただの箱”にしか見えない。

例のコンテナは……なかなかみつからない。

まるで私を嘲笑うかのように、静かで、何もない。

マゼランの言っていた「見た目は変わらない」という言葉が、頭の中をかすめる。

だが、ならば――どれが“それ”なのか?

“特別な荷物”の手がかりすら掴めないまま、時間だけが過ぎていく。

その時、通信が入った。

『今、記録を探してるけど……量が多すぎるねー。ログだけで何百件もあるよ。時間がかかりそうー』

タイピング音、ページをめくる音、エルの息遣いが、耳に触れる。

「そっちは大丈夫? 見つかってない?」

静かな返答を待つ間、私は背中に冷たい汗を感じていた。

ここで足がつけば、もう後がない。

『平気。警備はね……殺鼠剤入りのコーヒーを飲んでもらったよ。今はトイレで呻いてる』

「……エル、それ……やることがえげつない……」

『だって、急がないとバレるもん。痛むだけで死なないヤツ選んだよ? 優しいでしょ?』

この姉にしてこの妹あり。

思わず口元が緩む。

死と隣り合わせの場所で、こうして笑い合える関係性が、どれほど貴重か。どれほど危ういか。

だが、今はそれでいい。

この感情は、武器にも、防具にもなる。

「エル、そっちが終わるまでに……こっちは“本命”を見つける」

再び、無数の鉄の箱の間に沈み込んだ。


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