第四話 慈雨
「先輩の筝が十三絃で、和泉先生の筝が十七絃なんだね。かっこいいなー...!」
「なんだよその、なんちゃらげんって」
「十三絃が十三本の弦から、十七絃が十七本の弦からできた筝のことだよ!和泉先生はこの前『バンドで言えば、十三絃がギターで、十七絃はベースのようなもの』って言ってた!」
よくよく考えてみれば、流渚は三味線だけでなく、筝まで触れていたのか。どうりで少し詳しい訳だ。
ということは、一、二、三、四――ああ、俺らの弾いていた筝は十三絃か。
「じゃあ、聲凪ちゃん、『慈雨』やるよ」
左目を隠した先輩は、和泉さんの言葉を聞くなり、両手を弦の上に乗せた。
「じゃあ、頭からお願いね」
そう言うと、和泉さんも大きく広がった弦の上に両手を置く。
正直、失礼なことだとは自覚しているけど、あんまりこの先輩の演奏には期待していない。
俺が今まで見てきた演奏の上手い人たちは、演奏をする前も、しているときも活き活きとしていたし、音楽を心から楽しんでいた。だけど、先輩のじとっとした元気のない目は、演奏者の目ではない。
数秒して、先輩の右手首が小刻みに震え出し、俺は呼吸を忘れた。
突然、この部屋が、優しく降り続ける雨のような音に包まれた。強くなったり弱くなったりする雨の中で、左手を弦の上に撫で下ろす。
今度は和泉さんが、それに合わせて澄んだ水面のような和音を乗せ、それに空気全体がくまなくコーティングされる。
しばらく降り続けると、その雨は止んでいくようにゆったりとスピードを落とし、複数の余韻のみが残った。
そのとき、先輩がなにかの合図を出して、再びこの部屋が雨に打たれる。
とても暖かい雨。
そのリズムが明白になり、いま初めてこの曲が三拍子だということに気づいた。
「光――筝、かっこいいでしょ」
「.........ああ」
糸を弾くその手元から目が離せなかった。なんかしらの引力が働いて、俺の視線を逃してはくれない。
今度は先輩の両手が、筝の上で交互に高速で跳ねだした。俺はそれを、前のめりになり、顔をしかめるようにして見つめる。
――爪を使っていない...?
彼女は、右手から生えた三本の指につけた爪を使わずに、薬指を下に向けていた。
そこから聞こえる音色は、指の皮膚が弦に擦れる柔らかい音。その連なりが絶えずに響いている。
それは徐々に強くなり、メロディへと移り変わった。
そして、ゆったりと流れるような音の群は、三拍子に設定された俺のメトロノームを、唐突に否定しだした。
カチ、カチ、とテンポだけは合っているものの、拍頭が妙に合わない。
耳を澄ませてその音色を見る。――それは五拍子に合わせて、前のめりなリズムで降り注いでいた。
そして突然、十三絃の音が彼女の両手によってピタッと途切れ、和泉さんの親指から、芯のある低音一音のみがこの部屋に埋め尽くされた。
それが空気に溶けて完全に消える前に、先輩の触れている筝からは、その大きな見た目からは想像もつかないような、か細くて、キラキラとした煌びやかな響きが小さく広がる。
まるで、水滴が一粒落ちているようだ。
でも、筝の音域であそこまで極端に高い音は出ないはず...。
「なあ、流渚。筝からあんなに高い音が出るもんなのか?」
「ああ、あれはね。ハーモニクスって言って、弦の真ん中を指で抑えて、それを弾くときと同時に抑えている指を離すと、一オクターブ高い音が出るの。ちなみにギターとかでも可能だよ」
どやぁ。と言う擬音が付きそうなほどまでの、見事な笑みを彼女は浮かべていた