第五話「志津見藍咲と花川幽」
あれから二週間程が経過したが、俺の学校生活も部活の方も特段の変化はなかった。部活の方で変化があったとすれば、帰りに寄り道をしてる涼川と志津見のツーショットがフォルダに入れられていることがあるぐらい。二人とも楽しそうな様子で、こちらまで微笑ましくなった。
とまぁ、そんなぐらいの変化しかなく、割と平穏な日々を過ごせていた。
しかし、涼川の言いたかったことは未だわからずにいる。と言っても、それで何か変わったことがあったかと言われればそんなことはない。
だからきっと、俺の選択は間違っていなかったはず……なんだが、クラスで涼川と会話していない現状はなんだか寂しいと感じてしまっていた。まあ、涼川はカーストトップ層にいるから今の状況もしょうがない、と受け入れているけど。
そんな中でも、志津見とは部活が同じで席が隣同士というのもあってか、クラスで会話することが増えた。涼川と違って志津見はぼっちだから、周りの人間を考えなくていいのも気楽でいい。
もはやただの知り合いと呼べないぐらいには、普通に会話をする仲となっていた。
だが、そうして志津見と会話をしていると、時折涼川からの視線を感じる。これに関しては謎だ…
「じゃあ実行委員決めよっかー」
昼下がりの教室で唐突にこんな地獄の始まりを告げたのは、担任の柚木先生。
六月に突入した現在、六月下旬開催の体育祭と、その先の九月に開催を控える文化祭の実行委員を決めるべく、話し合いが行われようとしているわけだ。
「それじゃあ、実行委員やりたい人ー!」
先生自身が手を上げて生徒の挙手を促すが、当然誰も手を挙げない。偏差値五十前後の高校に通ってるだけあって、そこまでやる気のあるやつはいない。もちろん俺もやる気なし。てか、絶対やりたくない…
周りで「お前やれよー」だとかそんな声は飛び交っているが、議論は進むことなく停滞したままだ。
「うーん、やりたい人いないみたいだし、くじ引きで決めよっか〜」
先生がそう言うと、クラスは「えー」と不満気な声で溢れる。だが、それを気にせず先生はくじ引きの準備を始めた。
「はい!じゃあ私が引くから、番号当たった人が実行委員ね!最初はとりあえず体育祭の実行委員で!」
席替え用の番号が当てられた割り箸をしばらく掻き混ぜると、その内の一つが引かれた。
「えー、選ばれたのは…五番!えっと…瀬尾だな!」
あぶねー…俺の前の男子だ…ぎり回避。ほかの男子達は「ざまぁ笑」だとかそんなことを言って騒ぎ立てている。
「え、先生、今の予行っすよね?もう一回引きましょうよ!」
「いや、普通に本番でーす!てことで瀬尾よろしくね」
瀬尾の希望をぶった斬るように、先生はそう言い放った。それを見ると、瀬尾の方も流石に諦めて「はい…」と頷いた。
ちなみに、瀬尾こと「瀬尾 遥希」はバスケ部の明るいやつで、陰キャな俺の見立ててでも割と良いやつな気がする。特に関わりはないけど。
「じゃあもう一人は誰かなー」
先生は先程と同じようにくじを掻き混ぜると、そこから一つを引き抜いた。
「えっとー、十五番!…の人は…桜咲だな!」
先生がそう言うと、クラスは一瞬にして大きく湧き上がった。
それもそのはず、今呼ばれた「桜咲優花」は、先程委員に選ばれた瀬尾と付き合っているのである。まあこれは小耳に挟んだだけだけど。
高校生という生き物は恋の情事に興味津々なもので、カップル同士で実行委員に選ばれでもすれば、そりゃもうめちゃめちゃ喜ぶ。
桜咲も瀬尾と同じく嫌味がなくて良いやつの印象だから、クラスが盛り上がっているのも納得だ。
あそこらへんの二人に関しては、もう陰キャとか陽キャとかそういう分類に興味すらなさそうな感じ。俺のようにいつまでも自分は陰キャでーとか、あいつは陽キャでーとか考えることは全くないように思える。
そもそも、陰キャと陽キャの括り自体古いと言われてしまう時代、取り残されているのはもはや俺だけなのだろうか。
「じゃあ、二人は体育祭の実行委員よろしくね〜。後は文化祭の実行委員決めたら終わりだけど、やっぱりやりたくなったとかそういう人はいない?」
先生が訊ねるも、やはり誰かの手が挙がることはない。
クラスで騒いでるやつらは文化祭を好んでいるはずなのに、実行委員は絶対にやりたがらない。まあ、文化祭を楽しむ側に回りたいのだろう。
別にそれは良いから、文化祭を楽しむのも、実行委員をやるのも、全部あそこらへんでやってくれれば良いものだ…
「いないみたいだし、またくじ引きで決めるね〜」
先生はそう言うなり、また一つのくじを抜き出した。
「選ばれたのは…十二番! 」
あれ?それって…
「えーっと…志津見だな!」
先生の言葉に、クラスは落ち着きを保ちながらも、「おー」と小さく湧き上がった。
前にも言った通り、志津見はクラスで孤高の存在。だから、クラスの皆は明確な線引をしながらも、嫌ってはいないのだ。
周りの反応を見るに、「あの子ミステリアスで全然話さないよなー」ぐらいに思っているようだ。
さて、志津見さんの方はどうしてるかな?と思い横を見ると、どうやらショックで机に顔を伏せてしまったらしい。
「……大丈夫か?」
小声で訊ねると、志津見はゆっくりと起き上がった。
「全然大丈夫じゃないけど…」
もはや死んだも同然、と言わんばかりの表情をしておられる…
なんて考えていると、前のドアから声がした。
「柚木先生、ちょっと…」
先生を呼んだのは隣のクラスの担任。何の用かはわからんが、柚木先生は「ちょっと待っててね」と言い残すと教室を去っていった。
「まあ、実行委員頑張れよ」
クラスがざわつき始めたのを見計らってそう言うと、志津見は不機嫌そうな表情を見せていた。
「実行委員とか本当に面倒くさい」
全くもってやる気は無さげで、普通にバックレてそうな雰囲気だ。
うん、実行委員でこいつが仕事してる姿が全然想像できねぇ…窓際で寝てる姿は簡単に想像出来るけどな。
はは!うちのクラスの文化祭は終わったも同然だな。
「…クッッ」
そうして俺がうっかり吹き出すと、唐突にネクタイを引っ張られた。そりゃもうグイッと。
「…何笑ってんの?」
志津見の目からはハイライトが消えていた。いや、元からないか。てかそんなのどうでもいい。まじで苦しくなってきた。うん、まじで。
「…いや、何もないです…」
声はかすれ、中々に息苦しい。
「そっか」
そう言いながらも、志津見の手はネクタイを引っ張ったまま離さない。あと何よりも顔が近い。こんな時に可愛いとかドキドキするとか思ってごめんなさい。
「てか待って、呼吸止まる、まじで死ぬ、死ぬから」
それを聞いた志津見は勝ち誇った顔で笑うと、パッと手を離した。
危ねぇ、あと少しで意識失うところだったわ…
「……フッ、論破」
「いや論破って…方法が割と暴力だったような…」
「これが物理的論破」
決めゼリフであるかのように、志津見は髪を靡かせた。
「…なるほどな」
そういう論破の……ん?物理的論破ってなんだ……普通に一単語で矛盾してるじゃねぇか。危うくそのまま飲み込んじゃうところだったぜ。
「てか本当に実行委員無理なんだけど…全然上手くできる気がしない」
志津見は再び顔を蹲せ、相当落ち込んでいる様子だ。
「まあ…もし、なんか無理そうだなって時があったら、全然頼ってくれていいよ。俺どうせ暇だし」
「ほんと?それは普通に助かる。ありがと」
志津見は顔を上げ、目線を合わせた。
「なんて言うか…この前のハッシュドポテトのお礼みたいな感じで…」
俺がそう付け足すと、志津見は一つ頷いた。
「なるほど、そういうの律儀に返そうとするのはちょっとキモい」
おい、言ってくれるじゃねえか…
「ま、まあ…そういうの抜きにしても俺と志津見って結構話してるし、友達…ではないかもしれないけど、そんな感じじゃん?だからちょっと助けるくらいはさ…」
俺がそこまで言いかけると、志津見は再び口を開いた。
「あ、そういうセリフ、アニメキャラに憧れてる感じ痛い気がする…」
うん、俺そろそろ泣きそうなんだけど。泣いてもいいかな?
「志津見は俺をいじめたいのか…」
小さく零すと、志津見は顔をハッとさせた。
「あ、ごめん。いつも思ったことすぐ口にしちゃう」
少し下を向いた顔は曇りを見せた。
涼川の言っていた"良くも悪くも正直"というのは正にこれのことだよな…
「別に、俺に対しては全然いいけどな。今までの人生、お前キモいよ的なオーラを何となく出されたことはよくあったけど、こうも正面から言われるとなんか清々しくてスッキリするわ」
志津見を励ましたいとかそういうのを抜きにして、これは俺の本音だ。
「そっか。私、悪気はないんだけど、いつも相手を傷つけちゃってたから…」
それは伏し目がちな表情で、志津見は落ち込んだままのようだ。
きっと「相手を傷つける」という部分に、彼女が独りでいる理由は存在しているのだろう。結果的にそうなったのか、自発的にそうしているのかは、まだわからないが。
だが、志津見の発言に悪気がないというのは、態度でよくわかる。志津見はただその場で思ったことを、そのまま口にしてるだけに過ぎないのだ。
「…これは多分だけど、志津見の発言に悪気がないのなら、本来は相手も傷つきようがないはず。だから相手が傷つくとすれば、それは他人に指摘されるような悪い部分がある相手が悪い。つまり今回の場合は、俺がキモくて痛いやつだったのが悪かったということになる。てことで、ごめんなさい」
俺は何とか志津見を肯定しようと、即興の屁理屈を展開して頭を下げた。
もちろん、これが論理的に正しくないことは当然わかっている。傷ついた側の人間が悪くなるなんてことはない。それでも、志津見の正直さもだめなところではないと、伝えたかった。
捻くれ者なりの、捻くれた言葉で。
しかし、沈黙が続いてる…これはあんまだったか…
と思っていると、数秒して小さな笑い声が耳に入った。
「…なにそれ、屁理屈」
顔を上げた先には、確かに純真な笑顔があった。少しのぎこちなさを残しながらも、それは紛れもない笑顔だった。
「おう、めっちゃ屁理屈だ。…でもまあ、言葉を濁してみたりするのも、たまにはやってみても良いんじゃないかとは思うけどな…」
「それは…うん」
志津見も自身のストレートな性格を自覚しているようで、ゆっくりとそう頷いた。
「でも、志津見の全部言っちゃうところ、俺は本気で良いと思ってるから。俺に対してはそのままでいてくれた方が……割と、嬉しい」
やはり、俺自身は全てを言葉に出来ない性格だからだろうか、志津見の性格を本心で良く感じていた。
「…そうする」
志津見は「じゃあ…」と小さく前置きすると、そう言った。
そして、小さくこう付け足した。
「でも、これからもし嫌になることがあったら、その時は言ってね」
…やっぱり、志津見は悪いやつじゃなかった。本当の意味で無神経なやつなら、こんなことは言わない。
だからきっと、志津見は自分の正直さを理解して、一歩引いていたんだ。
「…まあ、そうなることはないから安心してくれ。俺のハートは屈強」
俺が自分の胸を叩きながら言うと、志津見は鼻でフッと笑って見せる。
そして唐突に俺の耳元に顔を寄せ、コソっと言葉を発する。
「キモい。…でも、ありがと」
言い終えた横顔は少しだけ恥ずかしそうに見えた。
「あ、おう…」
…顔近づけるのはやめてくれ…恥ずいから。
それからしばらく俺が恥ずかしさに悶ていると、唐突に教室のドアが開かれた。
「ごめん、みんなおまたせ…!じゃあ続きやろっか!」
先生の言葉に振り向くと、また涼川の視線を感じた。一瞬しか見えなかったが、ジト目的な感じになっていたような気がする。
もしかして、なにか怒ってるのかな…心当たりがあるとすれば、教室で話しかけないでほしいと言ったことぐらい。
うん、多分これが悪かったんだな…よく考えたら、女子と話してるとこ見られたくないとか言っておきながら、志津見とは普通に話してるってやっぱり感じ悪かったよな…
どうしよう、謝るか…?いやでも、それが原因とも限らないし…
まあ、何で嫌な思いをさせたのかがはっきりわからない以上、謝るのは保留にしとくか…
とりあえず謝るだけ謝るってのはむしろ良くない気がするしな。自分の非を理解して謝るからこそ、その謝罪に意味が生まれるんだし。
…なら、本人に聞いてみるのが一番だよな。…でも、聞く勇気は湧かない…
やっぱり、先に謝罪の意を見せるって意味では、この時点で謝った方がいいのか…?うーん…わからないな。
と、そんな考え事をしている内に、最後のくじが引かれようとしていた。
「じゃあ最後に一人決めるよ〜」
先生が言うと、クラスの皆はぐっと息を呑んだ。
「…最後に選ばれたのは……六番!」
あ、終わった。
「えっと……花川だな!」
俺が選ばれたことによりクラスは静まり返った、ということもなく、自身が選ばれなかったことへの安堵の声で溢れた。そこだけは救いだった。うん、本当にそこしか救いがない。
やばいな。まじで最悪だ。
「はい!じゃあ、体育祭実行委員に選ばれた二人はこの後こっち来てね。文化祭の二人はまた日が近くなった時によろしく!それじゃ、もう時間だし、みんな帰りの準備始めといて〜」
途端に騒がしくなった教室で、俺は一人天を仰いだ。…星が一つ、二つ、三つ……あ、天井のシミか。はぁ…死にてぇ。
そんな絶望に頭を抱えていると、左側から小さな笑い声が聞こえた。
横目で見ると、志津見が小さく肩を震わせていた。
「なんだよ…」
「だって…花川さっき「助ける」とかカッコつけてたのに、自分も結局委員になってるから…」
笑いを堪えているせいか、その声は少し震えている。
志津見もこんな風に笑うのか…なんか初対面の印象とは全然違うな。
「我ながらかっこ悪いな…」
「やっぱり花川には落ち込んでる顔が似合う。笑顔とか似合わない」
嬉しそうにそう発した志津見の表情は、まるでラブコメヒロインさながらだった。
いや、もうちょっと感動的なところでその顔してくれよ。なんで今そんな良い顔してるんだよ。
「普通逆だろそれ…励ましに使うテンプレを貶すために使うなよ…」
それから一つ咳払いをすると、志津見はいつも通りの表情に戻った。
「でも、私は花川が相手で良かった。他の人とよりもやりやすい気がする」
「俺も相手が志津見だったのは良かったわ…もし陽キャとかが相手だったらどうなってたかわからない。多分心労がえげつないことになってた」
「そだね、だから私達は私達のペースで頑張ろ。なっちゃったからには、ちゃんとやらないとだし」
志津見はそう言うと、右手を差し出す。その手には微かな力がこめられ、握られるのを静かに待っていた。
「そうだな」
俺は一度手汗を拭い、しかとその手を握った。
なんか契約を交わしているみたいで良いな。これがまさに共闘というやつですね。
なんて思っていると、志津見はゆっくりと俺の方に顔を向けた。
「…私はハイタッチのつもりだったんだけど…」
「え、まじかよ、恥ずかし」
俺は掴んだ右手を急いで離した。全然これからよろしく的な握手かと思ってたわ…にしても、腰ぐらいの位置に手を出されたのに、握手じゃなくてハイタッチってもう罠だろ…
「まあ、別にいいけど」
言うと、志津見はクスッと笑った。
それから何となく教卓の方へと目線を向けると、先生を前に瀬尾と桜咲の姿が目に入った。その周りには多くの生徒が集まっており、なんだかワイワイ話しているようだ。それに比べて俺たちの周りには誰もいない。
かたや周りに人を集めるキラキラカップルの二人、かたや教室の端で密かに会話する陰キャ二人──同じ実行委員でありながら、体育祭と文化祭の実行委員でここまで違うものか。
そんな違いに驚きながらも、瀬尾達のようになりたいとは全く思わなかった。今こうして、志津見と二人で会話をしているのが落ち着くし、心地が良い。
「あ、二人で写真撮る?文化祭実行委員選出記念的な感じで、部活のフォルダに入れない?」
志津見は言いながら、スマホを手にしていた。
「はは、嫌な記念だな…でもまあせっかくだし撮ろう」
そう返すと、志津見はそのままこちらに肩を寄せた。
「じゃあ撮るよ」
他の女子に連れられてなのか、涼川も教卓の方にいるみたいだし、周りは大丈夫か…皆の視線は瀬尾達の方へと向けられている。俺は周りを十分に確認し終えると、カメラに顔を向けた。
「てか実行委員とかやりたくなかったし気まずピースしよ?」
「え?」
聞いた時には、志津見は既にポーズを取っていた。気まずそうな表情に、ぎこちないピース。
なんだ、俺が集合写真に映る時のいつものあれをそのままやれば良いのか。
「ねえ、早く」
志津見にそう言われ、俺も急いでポーズを取る。そしてシャッターが切られると、志津見のスマホには俺達のツーショットが保存された。
あ、何気に女子とツーショットって初めてだな…うん、そう考えるとなんか急に落ち着かなくなってきた…
「ありがとね」
写真を見ながらそう発した志津見の顔には、少しの笑みがあったような気がした。
「あ、あぁ、こっちこそ」
話し終えても尚、俺は恥ずかしさを覚えていた。しかし、それは不思議と心地の良いものだった。