第四話 「静海を正解と信じて」
さて、俺の学生生活が平穏であり続けられるかどうかが、これから決まる。
そう、五時間目、席替えの時間だ。
今までの俺なら、席替えなんてどうでもよかっただろう。どうせ誰とも話さないから誰が近いかとかどうでもいいし。まあ、ど真ん中に座るのは居心地も悪いし、出来れば避けたいとは思うけど。でもその程度で、席替えなんて大して気にかけることではなかった。
しかし、今回は違う。
俺には、近い席にはなっていけない人物がいる。その名も、涼川凪紗だ。
俺は昨日心に決めた通り、クラスでは涼川と関わりを持たない。だが、もし席が近くなってしまえば、それが出来なくなってしまう可能性は高い。
席が遠い今でも、昨日の休み時間には、一度涼川に話しかけられた。その時はトイレに行きたくなったとかなんとかで誤魔化したが、席が近くなって話しかけられる回数も増えれば、いつか誤魔化しも効かなくなってしまうだろう。
だから、俺と涼川の席が近くなってはいけないのだ。きっと、周りの目によって涼川の人間関係が変化してしまうから。
涼川自身は現状の変化を望んでいるものの、それはいつかの話で、それも涼川自身が頑張りたいという話だった。
ならば、今はまだ現状を保つべきだろうと俺は考えたわけだ。
今のまま平穏でいるために…涼川とは遠い席になってくれ…頼むぞ…
「じゃあ、まずは男子から出席番号順に引いてね〜」
柚木先生の言葉で、教卓に男子が並び始める。先生の手元にはくじが置かれ、それを順に引いて席が決まる。
「うわ、一番前かよ〜」
最初に引いたのはクラスの陽キャ男子だ。そして、陽キャ男子がうなだれると、クラスはドッと湧き上がった。
「最前乙〜笑」
取り巻きの男子がそんなことを言って更に捲し立て、クラスの雰囲気は早くも陽キャ色に染まり切った。
…にしても、あいつらは席の場所程度でなぜあんなにも盛り上がれるのか…永遠の謎だ。ちなみに、これは皮肉とかそういうものでは一切なく、純な心で謎に思っている。
それからもどんどんとくじは引かれていき、その度にクラスは盛り上がりを見せた。
そして、そんな雰囲気に飲み込まれないようにしている内に、ついに俺の番が。
「おっ、廊下側の一番後ろだなー」
引いたくじを渡すと、先生は一言そう言った。
あ、廊下側の一番後ろか…何気に最高の席きたな。
しかし、なぜだろう。先程まであんなに盛り上がっていたクラスが突然静かになったではないか。誰がどの席にいってもワーワー騒いで笑ってたあれはどこにいったんでしょうかねぇ…
他人がこの状況だけを見れば、「お前いじめられてんの?」って思うかもしれないが、別に俺がクラスの奴らに蔑まれてるというわけでは全然ない。
クラスの奴らが俺の時だけ笑わないようにしてるとかそういうのでもない。
事実を言ってしまうと、"単に俺がどの席にいこうと面白くないし興味がないから笑わない"というだけのことなのである。
この真理に気づいてしまったのは、早くも、花川幽が中学一年生の時だった。小学校の時も六年間ずっとボッチやっていればね、気づくなって方が無理がある。
孤立人生が長くなれば、こうして知りたくもない真理にまで辿り着いてしまうものだ。
でもまさか、そこまで孤立してしまうなんて、何かあって君は周りから誤解されてしまったんじゃないか?と思う人もいるかもしれない。根も葉もない噂を流されていたり、何か言動の受け取られ方に行き違いがあったりしたような、そんな可哀想なやつなんじゃないか?と。
しかし、残念ながら、全くもってそんなこともないのである。確かに噂を流されることもあったが、それは根も葉もしっかりとした事実でしかない話で、誤解はどこにもなかった。
言動の方もちゃんと正しく受け取ってもらい、そうして正当に評価された上で、俺は孤立しているのだ。
まあそうやって誰からも興味を持たれていなくたって、変に嫌われてしまうよりはマシなんだろうけどな…
自分が誰にも影響のない人間だと知るのも、これで何度目か。もはや、それに対して何か思うこともない。
ごめん、嘘だ。いつになっても虚しくて、少しばかり悲しい。…あーなんか、普通に泣きそう。てかちょっともう涙出たよ。あー悲しいなぁ。
…いや、悲しむのはまだ早い。ここはポジティブに変換しようじゃないか。屁理屈を考えるのだけは俺の特技なんだから。
…そうだな、冷静に考えたら、さっきまでのパーリームードを一気にお通夜ムードに変えた俺って……もしかしてムードメーカーなんじゃねぇか?うん、絶対そうだ。よし、俺のステータスにムードメーカーを追加しよう!
それから俺が言われた席に着き、次の男子がくじを引くと、お通夜ムードはすぐに消え去っていた。
「お前も最前いけー」
誰かがくじを引くたびに、他の男子がそんな風に囃し立てる。気づけば、クラスはまたも騒がしくなっていた。
はは、俺の時だけ氷河期が訪れていたとでも言わんばかりの温度差だな。
そのまま俺がムードブレイカーであるという事実に落胆していると、早くも女子のくじ引きに差し掛かろうとしていた。
「じゃあ、また出席番号順で引いてね〜」
先生の言葉が言い終えられると、女子が順にくじを引いていく。
さて、ここで一つ嫌な記憶が蘇る。
あれは高一の秋頃だっただろうか。
俺と隣になった女子が、前の席の女子と「変なのの隣になっちゃったよ」感満載の嘲笑を含んだ顔で、こそこそと話し始めたのだ。それも、だいぶ嫌な雰囲気で。
もちろん俺と関わりたくないから、こちらに顔を向けてくるとかそういうことはしてこない。これが女子の嫌悪の表し方なんだなと気づいた瞬間だった。
その後も"マジで関わりたくないですオーラ"が溢れていてずっと居心地が悪かった記憶だ。
もうあの感じは味わいたくないし、とりあえず残りは寝たフリでやり過ごすか…どの女子が隣に来るかわからないしな…
そうして俺は机に伏せた。
するとしばらくして、まだ途中だろうというところで、机をトントンと叩かれた。
「ねぇ、席近いね」
顔を上げた先には、涼川の顔があった。どうやら左斜め前の席が涼川になってしまったらしい…
うーん、これは…大変困った…
「あ、おう、うん…」
俺がそう返すと、涼川は少し不思議そうにして、顔を前に向き直した。
「話しかけないでほしい」とは言えないし、やっぱりこういう返し方しかないよな…これから、どうにかクラスで話しかけられないようにしないと…
なんて考えながらふと左横に目を向けると、そこには青白い顔が浮かび上がっていた…まさか白昼の教室に幽霊が─
って志津見かよ。っていや、志津見が隣なのかよ。びっくりだな。
にしても、生気が無さ過ぎて本当に幽霊かと思った…しかも俺と隣が嫌なのかなんか険しい顔もしてるし。
…いや、この人はデフォでこの顔してたか。
「なに?」
俺の視線に気づいたのか、志津見はそう一言発した。そして、普段通り表情に変化は見られない。
「あ、いや、特に何もないけど…とりあえず、よろしく…?」
「うん、よろしく」
そう返した志津見は相変わらず険しい表情のままだったが、同時に親指をグッと立てて見せた。
なんか表情に見合わずノリの良いところがあって、よくわからんやつだ…
「…おう」
そう返すと、志津見は何か思い出したのか、こちらに体を向けて話し始める。
「あ、そういえば。先生に聞いたけど、来週部活に入ってくるはずだった転入生?こなくなったらしい」
そういえば転入生いたなぁ…また忘れてたわ。
「まじか。転入中止?」
「いや、転入はしてくるけど、先生がうちの部活に入るように言ったら"バレー部に入りたいです"って言われたらしいね。あと"よくわからない部活には入りたくない"とも言われたって」
「あーそれは…至極真っ当過ぎる主張だな」
先生は転入生が部活に入ってくれない可能性をなんで考慮しなかったんだ……あ、脳筋だからか。
「でもそれって部活はどうなるんだ?四人以上必要じゃなかったっけ?」
「特別に三人でも良いって言ってた」
「あ、そうなのか。でも俺的にはその方が気楽だから良かったわ…人と新しく関わるのは厳しい…」
「わかる。もしクソみたいな陽キャとかだったらめっちゃ困るし」
「それな」
そこで会話が途切れたと同時に、席替えの時間も終わりを迎えたようだ。
「はい、じゃあしばらくはみんなその席でよろしくね〜」
柚木先生の声が教室に響き渡り、俺も周りに合わせて先生の方へと体を向き直す。その一瞬、涼川の視線がこちらに向けられていたような気がしたのは、ただの気のせいなのだろうか。
「もう、このまま帰りのホームルームも始めちゃおっか!」
考えを精査する間もなく、先生は言葉を続けた。
席替え直後のざわつきを未だ保ちながら、そのままホームルームが始まり、やがてそれも終わる。
「じゃあ、みんなまた明日!」
先生が終わりを合図すると、途端に陽キャ達の会話で教室が騒がしくなった。
誰の席がどこでどうだので騒ぐ、そんな陽キャ達の様子をしばらくぼーっと眺めていると、涼川から話しかけられた。
「今日も部活くる?」
「あ、あぁ、行くけど」
やばい、また涼川に話しかけられてしまった…志津見はどっかに行ってるみたいだし逃げ道がない…
「今日は何しよっか?」
涼川はこちらに椅子を寄せ、そう聞いてきた。
「あ、てかごめん、クラスで女子と話してるとこ見られると恥ずかしいというか、なんかそんな感じだから…えっと、やっぱり教室ではあまり話しかけないでもらえると助かる…だから何やるかとかも後で部室で決めたいなーみたいに思ってたり…」
ぎこちなくなりながらも、俺はそう返した。話したくない理由は咄嗟の思い付きでしかないけど、多分そこまでおかしくはないはず…
それから涼川は一つ間を挟むと、笑顔を見せて言葉を発した。
「ふ〜ん、そうなんだ。うん、わかった」
どうやら理解してくれたみたいだが、その表情には微かに曇りがあったような気がした。気のせい…だよな…?
……………
放課後の校舎を一人歩き、人気のない方へと向かう。
職員室を通り抜けた先には、こじんまりとした教室が佇んでいる。そう、俺が属するTS部の部室だ。
ドアを開けると、涼し気な夏服の女子が二人。涼川 凪紗と志津見 藍咲は、TS部の部員だ。
うちの制服は紺と白の二色でデザインされたシンプルなものだが、むしろそれが二人の華やかさを引き出しているような気もする。
一方の涼川は爽やかさを、もう一方の志津見は儚さを象徴する。そんな互いのコントラストが、絶妙な味を生んでいた。
もはや、二人が夕刻の教室にいるというだけで、一つの絵画にまで見えてしまう。
まあ、残念なことにそこに墨を落とすようなゴミ的存在が一人いるんだけどな。名前は花川 幽とかいう俺のことなんだけど。
「あ、ちょっと遅れた。ごめん」
涼川は俺に気づくと、少し目を見開いて言葉を返した。
「全然大丈夫だよ〜待ってた」
とりあえず涼川が普通な感じで一安心だ。
そして志津見さんの方は安定にスルーな模様。と思っていたら、ちょっと手を振ってくれていた。
いや、可愛いなおい。
「ちなみに今日はどうする?」
席に着いて二人に訊ねると、志津見が口を開いた。
「今日は動画撮ってみない?最初の動画ってことで」
「え、良いね。でもどんなの撮ればいいかな…」
涼川が「う~ん」と悩み始めたところで、志津見が立ち上がって発言した。
「てかちょっとコンビニ行ってきてもいい?お腹空いた」
いや、自由だな。
「あ、それなら私も行っていい?それでその様子を撮るっていうのはどうかな?」
涼川も立ち上がると、そう発した。
「じゃあ、そうしよ」
涼川達が教室を出ようとしていくのを、俺はぼんやりと眺める。二人が帰ってくるまでどうしてようかな…
なんて考えていると、涼川にちょいちょいと手招きをされた。見ると、口パクで「きて」と言っている。
「え、俺も行くの?」
そう訊ねると、二人は揃って頷いた。
「…了解」
まあ確かに、部活の一環として動画撮るならそうなるよな…
……………
昇降口を抜けると、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえる。そして、反対側からは吹奏楽部の練習が耳に入る。互いの音が青春を奏でているようで、この場にいるだけで耳が少しむず痒い。
俺たち三人は何となく気まずくなり、そこを抜け出すかのように、足早に校門の方へと向かった。
高校を出る坂を降りると、右手には小さな緑地が広がっている。五月と言えど、それを新緑と表現するには、十分なみずみずしさを有していないような気もする。まあ最近暑いしな。
しっかりと色づいた葉を見るに、それは「深緑」と表現されるべきだろう。
そう思うと、夏がすぐそこに迫っているような気がしてめっちゃ嫌だな。
「コンビニって近くにあったっけ?」
涼川は唐突に立ち止まり、そう訊ねた。それに合わせて、俺と志津見も立ち止まる。
今まで何となくで進んでたけど、よく考えたらどのコンビニに行くかとか全然決めてなかったな…
「近くなら、坂上ったところにセブンがあったと思うわ」
俺が答えると、ハッとした表情の志津見がこちらに目を向けた。
「待って、そこ私が前バイトしてた場所…」
おー、まじか。
「じゃあそこはやめとくか。元バイト先とか学校より行きたくないレベルの場所だしな」
俺の言葉に、なぜか涼川の方がうんうんと頷いていた。
「他で近そうなのは駅前のファミマとか?」
「だね」
志津見はそう返すと、スタスタと歩き出した。そして、それに続いて俺と涼川もその方向へと歩き出す。
そのまま適当な雑談をしながらしばらく歩き、気づけばファミマの前まで来ていた。そして、流れのまま店内へと入る。
こうして誰かとコンビニに行くのが初めてで、何気に興奮してる俺がいる。別に一人で行く時と何も変わらない場所なのにな。なんでもない場所でも、誰かと一緒ってだけでこんな風にワクワクするもんなのか。
「それで志津見は何買うんだ?」
「バナナ」
志津見は一言そう言い放った。
「あー、バナナスムージー的な?」
スムージーなら俺も朝とかによく飲んでる。
「いや、普通にバナナ」
言うと、小さくスペースが取られている野菜コーナーからバナナを一房取って見せた。
「まじかよ」
お腹空いたでコンビニに来て、バナナ一房を買っていくやつがいるのか…
「バナナ、好きなの」
志津見は無駄に真剣そうな顔で、静かにそう言い放った。
しかし、女子の口から「好きなの」とかいうフレーズが出てくるのは非常によろしくない。俺が並大抵の男子ならドキッと心が揺れ動いちゃうところだった。良かったな、俺が並の男子じゃなくて。
もちろん、俺は並未満だからうっかり志津見のことを大好きになるとこだった。あぶねぇー…
「…なるほどな」
動揺を隠すように一つ咳払いし、俺はそう返す。
「じゃあ買ってくる」
そうしてレジに向かった志津見を見届け、涼川と二人になる。
すると、涼川が口を開いた。
「花川くんは何も買わなくて良いの?」
「まあ別にいいかな…本当はハッシュドポテトとか食べたい気分だけど」
俺の言葉に、涼川は首を傾げた。
「そうなの、買わないんだ、?」
「俺が小学生の時にトラウマ出来たから、それ以来ホットスナックは買えてないんだよな…」
「えぇ、ホットスナックでトラウマとか出来るの?」
涼川は驚いた様子で、口元に手を当てた。
「出来るんだな、それが」
あれは忘れもしない、小四の夏休み初日。買い食いというものに初挑戦するべく、俺はコンビニに来ていた。
「当時の俺はめちゃくちゃ人見知りだった。それでも頑張って"ハッシュドポテト一つください"って店員に言ったんだが、声が小さ過ぎたせいで聞き返されてな。それでまあもう一回言い直してみたんだけど、それも聞き取ってもらえなかった。でなんと、このやり取りが五回も続いて、結局聞き取ってもらえなかった。流石に俺も心が折れて『やっぱり何でもないです。ごめんなさい』って言ったんだ。だけど、それすら聞き取ってもらえなかった。折れた心は粉々になって、俺は泣きそうになるのを抑えながら、コンビニを飛び出すこととなった…これにてトラウマの完成だ」
「わぁ、それは災難だったね…」
そう言うと、涼川は険しい表情をしてみせた。
「その日以来、俺のデイリールーティンに発声練習が追加された、というのはまた別の話」
「花川くん、もう結構普通のボリュームで話せてるよね。それのおかげかな?」
涼川はいたずらっぽく、少し口角を上げた。
「おう、その成果だな」
「その後もう一回買いにいこうとはなってないの?」
「まあトラウマってのは、やっぱりいつまでもトラウマだし…過去のトラウマを克服せずに避け続けようとするのは、俺の癖になってるな…」
今回以外にも、そのことには心当たりがある。我ながら異様だと思うほどに涼川と教室で話したくないのも、まさにその過去のトラウマというやつが大きな要因となっているのである。
「そうなんだ…」
「あー、ハッシュドポテト食べたかったな…」
諦め混じりにそう零すと、ちょうど会計中の志津見が言葉を発した。
「あ、ハッシュドポテトも一つ追加でお願いします」
え?
志津見は会計を終えると、「はい」と先程のハッシュドポテトを渡してくれた。
「食べたかったんでしょ?」
「あ、あぁ。ありがとう」
いや、イケメン過ぎだろ。そして俺はダサ過ぎるだろ。
「はい、五千円ね」
眉を上げて目を細め、掌を差し出している。
「うん、定価の五十倍は高すぎる。今そんな持ってないし…」
俺が財布の中を確認していると、志津見はフッと笑みを零した。
「ちょっと言ってみたかっただけ。冗談。別にこれぐらい、お金はいらない」
結構オーソドックスなギャグだが、言ってみたいという気持ちはとてもわかる。友達が少ないやつあるあるだな。
「いや、まあ流石に何も払わないのは良くないから…払わさせてくれ…」
俺がそう返すと、志津見は小さく頷いた。
「わかった。じゃあ百円で」
「おう」
志津見にお金を払い終え、俺たちは学校の方へと、来た道を辿り始めた。
「あ、そういえば動画どうする?」
歩き始めて数分経過したところで、涼川が口を開いた。
「あー、そういえば」
俺はハッシュドポテトを貪りながら、そう返す。にしてもこれ美味いな。サンキュー、志津見先輩。
「…それね」
志津見の方もバナナを貪りながら、そう零した。
儚い顔付きで丸ごとのバナナを口にしているというのは、なんだか違和感しか感じられない絵面だ。なんか生成AIで作られた脈絡のない動画みたいだな。
「二人が食べてるとこ動画撮る?」
唐突に、涼川がそう提案した。手にスマホを持ちながら、こちらの返答を静かに待っている。
「私は良いけど…」
志津見の方は特に問題ないようだが、俺は違う。
「俺は遠慮したい…俺が食してるところを撮るなんて流石に…スマホが可哀想」
「あ、そういうこと?」
涼川はそう言いながら小さく笑う。
「だって俺、"ブランケット丸めました"みたいな変な顔してるから…」
俺が言うと、志津見は怪訝そうな表情をして見せた。
「なんか、冷やし中華のリズム意識してるのやだ」
「…うん、言わないでくれよ…すげぇ恥ずかしいだろ…」
ボケを解説されるのってめちゃくちゃ恥ずかしいな…
「ま、まぁとにかく、俺の食事シーンは顔がキモいからよくないってことだ…」
それを記録に残すぐらいなら、俺はもう今すぐ死んでしまった方がいい…いや、そんなのなくても俺は常に死んだ方がいいか。
なんて考えていると、志津見が口を開いた。
「顔とかそこらへんなら、花川も別にそんなキモくもないんじゃない?行動とか雰囲気はキモい時あるけど」
志津見は淡々としており、きっとそこには嘘もお世辞もないんだろうなというのは理解出来た。
だけどこの場合、志津見の言葉を喜ぶべきなのかそうでないのかがわからん…
「…なるほど。でもまあ、俺としては食事シーン撮るなら二人でやってくれると助かる…」
そう返すと、少しの間を置いて涼川が言葉を発した。
「…別に、花川くんの顔は全く悪いと思わないけど…わかった。じゃあ二人で撮るね。でも、花川くんもいた記録として…花川くんのスマホ借りて、それで撮ってもいい?」
涼川は笑顔を見せると、それが少し恥ずかし気な表情へと変わった。
俺は、そこにいないもののように扱われることには慣れっこだ。むしろ、それが当たり前で日常だった。仮に俺が存在を示そうとすれば、白い目で見られていたことだろうと思う。つまり、俺はいないもののように扱われると同時に、存在を消すことも半ば強要されてきたわけだ。
それがこうして、当たり前のように俺の存在を認めてもらえる状況に遭遇すれば、戸惑いもする。
「あ、うん、全然良い…よ。じゃあ、これで撮ってもらって…」
俺は動揺を隠すように、スマホを急いで手渡した。
我ながら、こうして他人にスマホをすぐ渡せるのは、素晴らしく素晴らしくないことだと思う。まあ、特に見られて困るものも…自作ラノベあったな…
「花川くんって加工アプリとか入れてる?」
「あー、一応入れてるはず」
「あ、これね。使ってもいい?」
「おう、いいよ」
涼川は俺の言葉を聞くと、自身の方にカメラを向けた。
ちなみに、ぼっちの俺が加工アプリを入れてるのは、しょうもないワケがある。
それは俺が中一の頃、もしも万が一でも恋人が出来るようなことがあった時に、すぐにツーショットが撮れるようにしたい!と考えたからである。
結果としては友達すら出来ない学生生活だったんだがな。"取らぬ狸の皮算用"とは、まさにこのことだろう。
「てかこれ画質悪」
志津見は内カメの画面を見ると、そう言い放った。
「まあ俺のやつアン○ロイドだからな…お墨付きの低画質だ」
「なんかもう素でガビガビだけど…」
志津見はこちらに顔を向けると、小さくそう発した。
「…だな。やっぱり俺のじゃない方がいいかな…部活のコンセプト的にも、青春感出すならもっと鮮明な方が綺麗で良さげだし」
何となくそう零すと、それを涼川が制止した。
「確かに、画質すごい良いってわけではないかもだけど…でもそれぐらいがちょうど良い思う」
「そうなのか…?」
「ほら、なんて言うかな…私達キラキラ〜って感じじゃないから、このままの方が等身大って感じするかな…みたいな…あ、ちょっと私くさいこと言ってるかも…」
涼川は前髪をいじりながら、言葉尻を濁した。
「なるほど…それもあり」
志津見はそう言って、ふむふむと頷いている。
「俺は二人がそれでいいなら…いいと思うけど…」
「わかった!じゃあ藍咲始めよ〜」
涼川は笑顔を戻すと、録画を始めた。
そして、バナナを食している志津見に体を寄せ、涼川は口を開いた。
『バナナターイム!』
ん?バナナタイムってなんだ…
涼川はそのまま志津見の方へとスマホを寄せると、『いえーい』と言葉を続けた。
そして志津見の方は無言、無表情…だったが、カメラを寄せられると大きく目を見開いた。
あいつ、あんなに目開くのか…
涼川は志津見の表情に気づくと、声を出して笑い始めた。
…涼川の笑い声優しいな。穏やかという表現がよく似合う、そんな笑い声だった。
そして、そこで録画を終えたようで、涼川はスマホを返してくれた。
「これありがとね、どうだったかな?」
「うん、良かったんじゃね?バナナタイムってのはよくわからんけど…」
そう返すと、涼川の顔が少し赤くなった。
「あ、いやなんか喋った方が良いのかなって思って…咄嗟に思いついたのがそれだった…」
「まあ良いと思う…可愛いし」
俺がそう言うと、涼川の顔は更に赤みを増した。
「え、それ…は、どういう…?」
「あ、いや、バナナタイムってなんか可愛い響きだなって…」
「あ、そ、それね」
そう慌てて答えた涼川の声は、少しだけ上擦っていた。視線は俺を外れて、どこか違う方を向く。それから、前髪に触れながら目線を下げると、そのまま黙ってしまった。
え、何この変な空気…
気まずさに耐えられず志津見の方を見ると、彼女は謎の不敵な笑みを浮かべていた。なんの笑顔だよ…
「あ、てか涼川は何も食べなくても大丈夫だった?涼川だけ何も食べてなかったし…」
俺は必死に探した話題で、この空気の打開を試みる。
「…え、あぁ、それは大丈夫だよ。私ダイエット中だし…」
涼川は顔をハッと上げると、ほっぺをぷにぷにと掴んでみせた。
「そゆことな」
うん、ほっぺぷにぷにさせるの可愛すぎな。うっかり声に出して"可愛い"って言うところだったわ。
「うん!ありがとね!」
涼川は笑顔を見せ、なんとか気まずい空気は打開出来たようだ。
にしても、女子って全く太ってないのにいつもダイエットしてるよな…涼川なんて最低あと十キロぐらいは太っても良い気がするレベルだし。
…まあでも、なりたい自分ってのはそれぞれだろうから、俺がとやかく言うことでもないか。
「そういえば今日撮ったのは名前どうする?」
俺が訊ねると、志津見は淡々と言葉を発した。
「バナナタイム」
「まあそれしかないよな。涼川もそれでいい?」
「えー、恥ずい…でも、それでいいよ…」
涼川は再び赤面すると、志津見のそばに寄った。
「あ、『花川くんになら…いいよ』」
いや、なぜ言い直した。
「うん、それはラブコメヒロインが主人公をドキッとさせるセリフのやつな」
涼川もボケたりするんだな。
「ちょっと言ってみたかった」
涼川はふふっと笑い、口元に手を当てた。
「なるほどな〜まあ、とりあえず今回のは"バナナタイム"で入れとくわ」
そうしてフォルダに先程の動画を新しく入れ終えると、ちょうど高校の前まで来ていた。
「今日はもう終わり?私はさっきので疲れたけど」
教室まで戻ったところで、志津見がそう発した。
「私もちょっと歩き疲れたし今日は終わりでいいかな…」
「俺も疲れたわ…」
運動部の十分の一も動いてないはずなのに、三人共ちゃんと疲れてるの流石運動不足オールスターズ。俺は正直、今すぐにでも横になりたいぐらい。自転車通学でも歩く時に使う筋肉はまた別なんだよな。
「ちょっと休憩したら俺は帰ろうかな」
涼川は伸びをすると、「私も」とあくび混じりに返した。
「わかった。私はとりあえずトイレ行く」
志津見はそのままドアを引くと、教室の外へと出ていった。
すると、二人になったところで突然、涼川がこちらに寄ってきた。疑問を抱くにはもう遅く、すぐ横には涼川の肩がある。
「えっと…」
俺がそう零すと、涼川はしばらくして口を開いた。
「花川くん、あのさ─」
そこまで言ったところで、教室のドアが再度開く。それに気づくと、涼川は光の速さで離れていった。
「やっぱり気が変わって戻ってきた」
ドアが開いた先には、志津見の姿があった。
まあたまにあるよな。トイレ行きたくなったけどやっぱいいやってなるやつ。あれなんなんだろう。
「あ、おかえり〜」
涼川は何食わぬ顔をしている。
…涼川はさっき何を言おうとしていたんだ…気になるな…
そう思いつつも、それを訊ねる勇気は湧かなかった。
その後、俺達はまた昨日と同じように帰る準備を始めた。そして、これまた昨日と同じように、それぞれ帰路についた。
結局、涼川は何を言いかけていたんだろうか…?