第三話「花川幽は荒波を避ける」
「…花川」
昼休み、今日は数学の課題をやるために教室にいると、すぐ横から俺の名前を呼ぶ声が耳に入った。
普段なら「本当に俺のことかな?」なんて疑問を抱くわけだが、この気だるげな声質には聞き覚えがある。
「あ、志津見か」
そう、声の主は志津見 藍咲。相変わらず血色の悪い肌質で、その姿には少しの不気味さをも覚えてしまう。
そして、彼女は俺の言葉に何かを返す様子もなく、ただこちらを凝視しながら立ち尽くしていた。
「…何か用でもあるのか…?」
そう訊ねると、志津見は少しの間を置いて口を開いた。
「…交換しよう、LINE」
「あ、おーLINEか。うん、交換しようか」
何を言い出すかと思ったらLINE交換か…そういうの言ってくるタイプだと思わなかったから一瞬戸惑ったわ…
「あ、でも志津見は俺と交換してもいいのか?」
単純に疑問だ。だって、俺キモいよ? LINEの友達が両親の二人しかいない俺のゴミ野郎っぷりを舐めるなよ?って話。
「LINE使うから、部活で」
志津見は淡々とそう言い切った。
「あー、それもそうか」
確かに、同じ部活なのに業務連絡が出来ないってなったら困るもんな…
「やってないでしょ?インスタは」
「あぁ、やってないな…」
もちろん、インスタはやっていない。あれはボッチでやるようなもんじゃないしな。
「私もやってない。だから、LINE。交換するなら」
「そういうことな。ていうか、さっきから全部倒置法で返ってくるのはなんだ…志津見の中でなんか流行ってたりする?」
「そんなことない、別に」
それを倒置法で言われても説得力ないけどな…
「そうか…」
「ご飯の後すぐはボーっとしてるから…それでそうなってるかも」
…うん、あなた昨日の夕方もボーっとしてましたけどね…違いがわからん。
「なるほどな…」
「うん。じゃあ交換…しよ?」
志津見は小さな瞬きを一つ挟み、首を傾げる。長めの前髪から覗いた瞳は、俺の心底をも見透かしているようだった。
その姿は一種の彫刻のようで、思考の巡りを優に遅らせてしまう。
「…あ、あぁ、そうだな」
俺は動揺を隠そうと急いでLINEを開いてみたが……どうやって交換するんだっけ?これ。
「ごめん、これどうすんだっけ…?」
触れてないと忘れるもんだな…
「ちょっと貸して」
その言葉が言い終えられる前に、俺の携帯は志津見の手に渡った。
一瞬焦ったけど、特に見られて困るものもないかな…まあ、強いて言うならメモに残ってる俺の自作ラノベだけはちょっと見られたくないが…いや、待て、あれはまじで見られたくないやつだ。
「できた、はい」
俺の心配は杞憂だったようで、志津見はすぐに携帯を返してくれた。
「おぉ、ありがとう」
LINEを見てみると、友だちの欄には"藍咲"の文字が刻まれていた。他人とLINE交換なんて初めてだから普通に感動しちゃうね。
「凪紗とも交換したら?」
「…あーまあ、そうだな…部活のグループLINEも作れるし…後でそうするわ…」
やっぱり涼川のLINEも必要だよな…
「うん、それが良い。じゃあ、バイバイ」
志津見は一度手を振ると、自席の方へと静かに去っていった。
…それで…涼川とLINE交換か…
こうして俺が涼川とのLINE交換を躊躇っているのには、理由がある。
それは、学校での涼川を見て、やはり自分とは全く違う人種であると感じてしまったからである。
陽キャグループに属すことができ、当たり前のようにクラスで立ち位置を確保している。
そんな涼川に対してクラスのお荷物でしかないような俺が、これからも関わり続けても良いのだろうか。俺を何かに例えるならそこらへんの雑草、いや、雑草に付着してるゴミ、の欠片みたいなものだろう。
だから涼川…というか、普通の高校生と俺は、だいぶ違っている。
クラスのキモいやつと関わりがあれば、それだけで蔑まれる材料になりかねないし、変な目で見られる可能性も十分考えられる。
よって、俺は涼川とはなるべく関わりを持たないようにしようと、今日のうちに決意したわけだ。
主に人目のあるクラスでは関わらないが、ネット上や部活ではこれまで通り接するつもりだ。別に涼川のことを嫌いになったわけではないし、急に話さなくなったら不自然だしな。
これは、元々会話のなかったクラスで、引き続き会話をしないというだけの話。だから、きっとこれが最善だろう。
「ねえ、聞いて。昨日バイト終わりにコンビニ寄ったらバカイケメンな店員いたんだけどさ〜」
俺の考え事を遮るように、陽キャ女子の大きな声が割り込んできた。窓際の黒板近くで女子何人かで集まり、雑談をしているようだ。
そのメンバーは、バレー部っぽい愛崎緑春、バスケ部っぽい黒川紗矢香、テニス部っぽい水山美沙紀、マネージャーっぽい桜咲優花。そこに加えて、涼川の姿がある。
そう、このグループこそ、涼川が属している陽キャ女子グループだ。
「え、まじ?どこのコンビニ?」
「今度連れてって〜」
「でもみさきっていつも男見る目やばくない??笑」
「それは確かにそうだわ〜」
「いや、今回はまじでイケメンだから!雰囲気は数学の仲田に似てた」
「それがもうやばいんよ笑笑」
そんな会話の後に、ぎゃははと大きな笑い声が聞こえてくる。
うん、陽キャの笑い声怖すぎる。なんだろう、周波数かな?なぜか心臓がキュってなるんだよな、キュって。
……もうどうせなら目覚まし時計の音にしてやろうかな。絶対鳴る前に起きるからな俺。
そして涼川だが、何か言葉を発している様子はなかった。
何となく周りの雰囲気に合わせて笑顔を見せているだけのようで、その表情には違和感の色が見える。
きっと、グループの皆もその事実には気がついているはずだ。自身と涼川とでテンションの違いがあることに。
それでも一緒にいるのは、涼川のレベルを高く見ているからなのだろうか?
まあ考えたところでどうせわかんねぇか。
いやぁ、今までそんなまじまじと見たことがなかったから、普通に友達やってるもんだと思ってたわ…。でも、物理的な距離感だけじゃ何もわからないもんだな。
うーん…やはり、そうして流れで一緒にいるような状態は、あまり良くないのかもしれない。けれども、涼川の立ち位置は明確にそこである。
本人がそれを良く思っていないことも知っているが、事実として、涼川は自分自身を半ば押し殺しながらも、今まで上手くやってきたというのがある。
そんな涼川の日常に、俺がマイナスの変化を与えてしまうことは絶対に避けたい…
だから、"クラスではなるべく涼川と関わらない"その選択しかやっぱりねぇな。
……しかし、この判断で本当に良いのだろうか。
涼川は初めて出来たネッ友だ。本心を言えば、クラスでも普通に接することが出来たら嬉しいに決まっている。
だが、そうするに当たっては、先に述べたような問題が邪魔をする。
…だけど……あー、全然わからん。もう最初に決めた通りでいいか。
そもそも万年ぼっちで人間関係間違えてばかり、いや間違えたことしかなかった俺が、人との関わり方で正解を導けるはずもねぇよな…
この先涼川と関わりづらくなって、いつも通りぼっちの学生生活を過ごしている俺が頭によく浮かぶ。
あぁ、そうだ。俺はぼっちだから俺なんだ。忘れかけていた事実を今になって思い出した。
さよなら、俺の初友達。そしておかえり、ぼっちの俺。
…………
五、六時間目は、俺が眠りに落ちそうになっている間に、勝手に終わっていた。そして、帰りのホームルームも今さっき終わりを迎えた。
つまり、現在は放課後。部活が始まる時間だ。
そう!待ちに待った部活タ~イム!
…なんて、ハイテンションでいられたら良かったが、俺の気持ちは不安の色が多い。
何せ、人生初めての部活だからな。心が落ち着かないに決まっている。
仮に、昨日を一日目とすれば、今日は二日目の部活なのかもしれない。だから気楽にいこう!
…というわけにもいかない。
カレーは二日目が一番美味しいと言われるように、不安も二日目がピークなわけなんですよ!
…うん、こんなよくわからないことを考えちゃうぐらいには、不安で心が落ち着いていない…
ただ、そんな不安定さの中に、高揚感による浮つきがあることは否めないだろう。
それもそのはず、部活と言えば、第一に"青春"が思い浮かぶからだ。
アニメでも、その様は繊細に描かれ、若気の至りとも言わんばかりの不完全で自由な彩りは、やはり美しいと思わざるを得ない。
俺がその舞台にないことを知っていても、憧れは微かな期待を抱かせていたのだ。
…よし、そろそろ部活に向かおうか。
ホームルームが終わったばかりの廊下は生徒が多く、会話のざわめきに耳をやられる。
「今日の部活がなくなった」だの、「この後カラオケ行こう」だの、そんなことでぎゃーぎゃーと騒ぐ生徒達が、走って俺を追い越していった。
そんな騒がしさに飲まれないところに、俺の属する「タイムスナップ部」略して「TS部」の部室がある。
ちなみに、この略称は涼川の発案。昨日、涼川からチャットでその話をされ、俺も了承したわけだ。もちろん、志津見にも了解を得ているとのこと。
…てか、よく考えたら涼川とのLINE交換は別に躊躇わなくてもよかったよな…もう既に連絡先はわかってるんだし。
とりあえずLINE交換は後でお願いしてみるか…
それからすぐ部室に到着したが、時間を考えると少し早い。
多分俺以外はまだ来てないかな。
そう思いドアを開けると
「あ、花川くん」
涼川が既に教室にいた。いつの間に来てたのか…
「おー、…おう」
この時間はおはようって時間でもないし、なんて言うのが正解なんだろうか…わからん。
「あれ、志津見は…?」
「藍咲は数学の課題あるから遅れて来るって」
「あーそうなのか」
「うん、一人で集中したいって。だから、それまでは話したりして一緒に待と!」
涼川はそう言いながら、ポンポンと椅子を叩く。
俺は涼川に促されるまま、席についた。ただこの席、涼川の真隣だから少し居づらい…
椅子が五、六並べられてある中での隣というのもあるだろう。なんだか、すごく近い距離に感じてしまう。
「…それで、部活ってどんな感じに始めるんだ…?まだよくわかってないんだけど…」
「……え〜…う〜ん…ごめん、私もわからない…」
涼川は申し訳無さそうに、目を細めた。
「まあそうか…」
いや、涼川も初めてなのに知ってるわけないだろ……何聞いてんだ、俺。死ねよ、俺。
「……」
「……」
「……」
遠くから、誰かの話し声がぼんやりと耳に入る。それをかき消すように、早まる心音が大きく聞こえた。
「…あ、ごめんね。私が話そうって言ったのに無言になっちゃって…」
「あー、いや、大丈夫だ。俺の質問も悪かったし…」
「そんなことはないよ…」
「そうか…」
「うん……」
「………」
「………」
あの、なんか気まずくないですかね…昨日はもうちょっと話せたような気がするんだが…。
俺は、周りの目がない部活では、涼川とも普通に関われたら良いと思っていた。
だから、涼川とネット上で話していた時のような会話が現実でも出来ると思っていただけに、少し残念な気持ちだ。
俺のコミュ力のせいかな…いや、もしかして涼川も本当に話すのが苦手なのかもしれない…それについて聞いてみるか。
「…えっと…その、もしかして涼川って本当に話すのが苦手だったりする?」
「…私?私は本当に話すの苦手だよ…昨日はテンション上がり気味でいつもより話せたけど…普段はこんな感じであんまり話さないかな…」
「なるほど…涼川ってまじで陰キャ寄りだったのか…」
陽キャグループに属していても、その一面だけでは本当に何もわからないもんだな…
「寄りというか普通に陰キャだと思う私…あ、じゃあ陰キャエピトークしない?」
「お、いいな。それなら永遠に語れる自信あるぞ。俺の人生の一コマをどっか切り抜けば良いだけだからな。まじで永遠に話せる」
いや、自分で言っておきながら悲し過ぎるだろ…
「わー、花川くんらしいね。ネットで話してた時と同じだ…話聞かせて〜」
涼川はそう言いながら、クスッと笑った。
俺らしい…か。俺が誇れるほどのアイデンティティは陰キャぼっち過ぎることぐらいしかないからだろうか。こうして陰キャな一面を俺のアイデンティティとして捉えてもらえることは、なんだか嬉しかった。
一般的にら、誰かを〇〇らしいと決めつけてしまうような行為はあまり良くないとされている。しかし、自分で自分を肯定出来ない俺にとっては、涼川の言葉が心地良かった。
「…じゃあまずは去年の文化祭について話そうかな。文化祭と言えば、準備期間も含めて色々な青春が繰り広げられる時間。…なわけなんだが…俺は完全に蚊帳の外だった。
クラスの出し物は演劇だったけど、まあ当然俺に役はなくて、クラスで自分の立ち位置を確保している奴らで役が埋まってた。で、俺は安定に小道具係だったわ」
「えーそうなんだ!私のクラスも演劇やって、私小道具係だったよ」
涼川は目を大きく見開いた。
「おー、同じだな。涼川は小道具係でどうだった?」
「思ったより楽しかったよ。藍咲と同じクラスで文化祭の担当も一緒だったんだよね。藍咲と二人だったから気楽だったし、二人だけで学校に遅くまでいたこともあって、なんか"青春"って感じしたよ〜」
そう語る涼川は、嬉しそうな様子だった。
「なるほど、なんかアニメみたいで良いな」
「だよねー、花川くんは文化祭準備どうだった?」
「俺の方は普通にぼっちでやってたから青春もクソもなかったな…。何なら、文化祭準備で学校に行ったのも一回だけだしな」
「え、一回しか行かないとかあるの?」
涼川はそう言って、小さく笑った。
「実際そうだったんだよな…別にサボってたわけでもなくて、担当してたのが家で出来ちゃうやつだったから、わざわざ学校に行く必要がなかったって感じ」
涼川は時折頷きながら、俺の言葉を聞いていた。
「なんの担当だった?」
「俺のクラスはファンタジー系の演劇やってたんだけどさ、その作中で"魔導書"的なものが必要だったからそれを作る役目だったわ」
「魔導書??そういうの作るの得意なの?」
涼川は横の髪をそっと耳にかけた。
「いや、全然。俺はラブコメしか知らないしな」
俺がそう言うと、涼川は「あはは」と笑みを零した。
「確かに花川くんってラブコメしか見てないもんね」
「まじでそうなんだよなー、色々検索して頑張ったわ」
小道具係の中で役割分担を決める時、誰だったか忘れたが、一人が「花川は魔導書作ったら良いんじゃない?」とか言って、結果それになった覚えがある。
そいつ、俺がオタクっぽいから任命したんだろうな。でもな、残念ながらこっちはラブコメ専門なんだよ…魔導書とか知らねぇんだよ…
「でまあ、それ作ったのも全部家だったから最後に完成品を渡す時だけ学校行って、それで終わったわ。肝心の文化祭も校庭の端の方でスマホ見て、そのまま終わるのを待ってただけだったしな…」
思い出すことも特にないぐらい、本当に何もない文化祭だった…
「へーなるほどね…花川くんの文化祭、めっちゃぼっちだね」
涼川はそう言って笑って見せた。
普通、こういう話をすると引かれるものだろうが、それを"めっちゃぼっちだね"と笑ってくれるのは助かる。
「うん、本当それな。てか、そういえば陰キャエピを話すんだったよな…俺の話は完全にぼっちエピになってて申し訳無い…」
「あー全然大丈夫だよ!」
涼川は前でブンブンと両手を振った。
「それに、ぼっちエピってだけじゃなくて陰キャエピにもなってたから…セーフで良いと思う」
涼川は少し考えると、そう発した。
「なるほど…確かに陰キャでもぼっちでもあったな…」
「そうだね〜」
その言葉と共に添えられた笑顔に、心臓がドキッと揺れ動いたのを感じた。
「じゃあ、私の陰キャエピも話そうかな…って思ったけど、すごい短いので終わっちゃうかも…」
涼川は言いながら口をすぼめ、足をもじもじとさせた。
「…ちなみに内容はどんなで?」
「えっとね、"店員さんに全然話しかけられない"とか"電話出る時はその前にシュミレーションしちゃう"とか"ふとした時に自分の言動を後悔しちゃう"とか…色々あるね」
「おーめっちゃわかるわ!陰キャあるある」
共感でうっかりテンション上がっちゃったぜ。
「だよね!もう色んなところで陰キャ出ちゃうよね…他には"三人以上の会話だとどこで自分が入ればいいかわからない"とかよくある…」
「…なるほど」
これよく聞くけど、俺にはいまいちピンとこない…
「あれ?花川くんはそんなことない?」
涼川は大きな目をパチパチとさせた。
「なんて言うかな…その状況を知らないというか…俺のぼっちっぷりが凄まじ過ぎて、三人以上で会話とかしたことないんだよな…」
うん、自分で言ってて泣きそう。
「おー…」
涼川は少し顔をキリッとさせ、そう発した。
それ、どういう表情なんですか…
「まあでも、話しかけるの苦手って意味では俺も同じだと思うわ。タイミング大丈夫かな?とか相手が嫌がるんじゃないかな?とか色々考えて結局いつも黙ってるし」
きっと俺自身、誰かの言動一つで深く考えしまうからだろう。同じように、相手に不快な思いをさせたくないという気持ちは強い。
「あー一緒だ…自分からいくのって怖いよね。私そういうの系だと誰かの連絡先聞くのとかも苦手なんだよね…私が聞いて大丈夫なのかな?って心配で…」
涼川は苦笑いを見せながら、両腕をぐっと前に伸ばした。
「あー…わかるわ」
涼川の言葉で思い出したけど…「LINE交換しよう」って言ってみようかな。
涼川とは一年以上の関わりがあるし、今も居心地は良い感じだから…多分大丈夫なはずだ…
「えっと、そのまさに連絡先のことだけどさ…」
俺は緊張し、そこで言葉に詰まる。
「うん?」
涼川はこちらと目線を合わせた。
その目線に促され、俺は曖昧に言葉を紡ぐ。
「…お、俺と…ら、ららら、ら、LINE交換しない?」
……やばい、ミスったとかそれどころの話じゃねぇ…噛みすぎてEDMのサビ前みたいになってたぞ多分。もう既に後悔してるし今すぐ埋まりたいしそのまま一生地上に出たくない気分だ…誰か俺を土葬してくれ。
「あ…」
涼川は驚いたのか、一度固まった。
それは数秒もない程の刹那だったのだろうが、やけに長く感じた。それもきっとこの居心地の悪さのせいなのだろう。
…おい、さっき居心地良い感じとか言ってたやつ誰だよ。
「あ、いや、別に全然断ってくれても大丈夫だから…」
俺がそう言うと、涼川は「はっ」とした表情で言葉を並べ始めた。
「ごめん、ちょっとびっくりしちゃって…LINE交換だよね。うん、しよっか」
「…あ、ありがとう」
そうして何となく気まずい雰囲気ながらも、俺は涼川とのLINE交換を終えた。
いや、LINE交換お願いするのってこんなに勇気いるんだな…
それからしばらくして、教室のドアが開いた。
「あ、志津……」
ってなんだ、柚木先生か。
涼川の方も志津見が来ることを期待していたのか、残念そうな表情だ。
「え、ちょっと二人とも露骨に落ち込み過ぎじゃない?先生泣きそうなんだけど〜」
泣きそうと言いながら全く泣きそうじゃねぇけどな…ぶりっ子みたいなポーズまでしちゃってさ…
「あ、すいません…私たち藍咲のこと待ってて…藍咲が来たのかと…」
涼川が申し訳無さそうに返すと、先生はハッとした表情で両手を合わせた。
「あー!志津見待ちだったのか。志津見ならさっき課題やってたっぽかったから先生が少し手伝ってあげたよ!」
先生は言い切ったところで、人差し指をピッと向けた。
だからなんなんすか…そのポーズ。ビズリーチ的なそのポーズ…
「ちなみに、あとどんぐらいで来そうですか?」
「うーん、あと三分もしたら来るんじゃないかな?」
「もうちょいってとこですか」
「そうだね〜。あ、そういえば部活の詳細ってそんなに決まってなかったよね?先生も顧問として具体的なの考えてきたから、志津見が来た時に一緒に伝えるね〜」
「あー、助かります」
俺がそう答えたと同時に、教室の扉が静かに開かれる。
そして、扉の開いた先には、生気の感じられない少女がそっと佇んでいた。
…この言い方だと心霊的な話かと勘違いされそうだけど、普通に志津見さんが来ましたよってことね。
「……」
志津見は何かを発することもないまま、涼川の横に座った。
いや、なんか言えよ。
「藍咲、待ってたよ」
涼川は優しい声音で話しかけた。
「…うん、遅れてごめん」
静かに返すと、志津見はそっと荷物を置いた。
そんな場面をぼんやり眺めていると、彼女と目が合った。
「…うす」
俺は小さく挨拶をした。
そして、無視された。…うん、聞こえてなかっただけだよな。うん、きっとそうに違いない。そうじゃなかったらトラウマでもう挨拶が出来なくなっちゃうとこだ。
「じゃあ、三人揃ったし部活の説明しよっか」
先生は一度手を叩くと、部活の説明を始めた。
それは時間にして、五分程度だっただろうか。説明を終えた先生は、職員室へと戻っていった。
内容をまとめると、部活の活動時間に限らず、撮りたいと思った時にその瞬間を自由に収めるのが、部活の大まかな方向性。
そして、活動時間における時間の過ごし方については"部員全員で考えてね"とのこと。また、一人でいる時や二人でいる時に撮っても構わないらしい。撮った写真や動画はクラウドに保存するらしく、この部活用のフォルダリンクを先程教えてもらった。
まあこれで準備は整ったのではないだろうか。あとは活動するだけだな。
ちなみに、先生は忙しいから部活にはあまり顔を見せれないだとかなんとか。"クラウドに上がったやつを確認すれば顧問の役目は果たせるから大丈夫!"とか言ってた気がするけど、多分あれ顧問やるのちょっと面倒くさくなってるだけだよな…?
「…それで、今から何やる?」
二人にそう訊ねてみると、涼川が口を開いた。
「とりあえず最初は三人の写真撮らない?」
「それが良い」
志津見は一度頷き、そう返した。
「まずはそれ撮るか。誰のスマホで撮る?」
「私ので撮る?一応部長だし…」
「じゃあ涼川のでよろしく」
「おっけ〜」
そう言うと、涼川はカメラを起動した。
「えっと、花川くんは藍咲の横に移動してくれると良いかな」
涼川は左手にスマホを持ちながら、俺の移動を促す。
別に俺の隣が嫌とかではないよな…画角の問題だよな…
「…了解」
俺は促されるまま、志津見の右に腰掛けた。
「藍咲と花川くんもうちょい寄って」
その言葉で、俺と志津見は少し距離を近づける。
「このくらい?」
志津見は静かにそう訊ねた。
肩が触れる程の近さだったからか、その声はよく聴こえた。それは優しい声音で、今まで冷たく聞こえていたのが嘘のようだった。
「うん、それくらいで大丈夫そ!あ、てかポーズとかどうする?」
「なにがいいんだろ…俺はピースしか知らないけど…」
多分今どきピースなんかで撮ってたら「古い」とか言われかねない…かと言って他のポーズは知らんしな。
「聞いといてなんだけど私も良いの思いつかないな…藍咲はなんかある?」
「私も花川と同じでピースしか知らない」
志津見は小さくピースしながらそう言い放った。
いや、志津見ってそういうポーズ普通にやるのかよ…意外だな。
とは言え、志津見がピースしか知らないことにはなんの意外性もなく、やっぱりかという感じ。なんせ、志津見は俺と同じようにクラスでぼっちだしな。涼川以外とは全く話している気配がない。
しかし、志津見は俺とは全くタイプの違っているボッチだ。俺が周りの目気にしまくりの自己肯定感の低い典型的なキモ陰キャボッチであることに対して、志津見は周りとか全く気にしない一匹狼タイプのぼっち。ぼっちと言うよりは、孤高の存在と表した方が的確だと思う。今日の休み時間にチラッと見た時も寝たフリじゃなくてガチ寝してたし。儚い顔つきのおかげでその寝顔すらも美しく見えちゃってたし。もうなんかの彫刻かと思っちゃったよね。
それに比べて俺の寝顔なんて悲惨なもんだ。小5の時に寝たフリしてたら「ゴキブリが休憩してる笑」とか言われちゃったからな。
…うん、あれ結構ショックだったな……あ、てか待て。もしかしてゴキブリって俺の寝顔に対して言ったんじゃなくて俺の存在に対して言ってたんじゃね…?
……やばいな、これ以上考えると俺泣いちゃうかもしれない。よし、やめるか。
「じゃあもういっそポーズなしで撮る?」
二人にそう提案すると、スマホの画面越しに志津見と目が合った。
「うん、それで良いんじゃない?」
志津見がそう答えると、パッと花が咲いたように涼川は笑顔になった。本当に文字通りそうであるかのように、その笑顔は優しかった。
「じゃあこのまま撮ろっか!いくよー」
涼川のその言葉と共に、カメラのシャッターが切られた。
……は良いものの…
「…わぁ、花川くんめっちゃ半目になってる…藍咲も目瞑ってるし…」
涼川は横の髪に軽く触れながら、そう零した。
まあ、志津見の方はなんか眠れる森の美女的な感じで様になってるような気がしなくもないけど。
俺の方は単純にキモいだけだった。なんで中途半端に目開いてんだか…キモいな。目瞑るならちゃんと瞑れよ、なんならそのまま永眠を取ってくれても構わない。
「それは消して新しいの撮り直さない?記念すべき一枚目がそれとかなんか残念過ぎるし…」
俺抜きで撮り直してくれても良い。
「そうだね、撮り直そっか」
そして、涼川が先程の写真を消そうとした瞬間、志津見がその手を止めた。
「待って」
唐突な言葉に驚き、俺達は志津見の方に目線を合わせた。
「別に消さなくても良いんじゃない?」
「え、でも藍咲も花川くんも目瞑っちゃってるよ…?撮り直した方が良くない…?」
涼川がそう訊ねると、志津見は首を横に振った。
「ううん、大丈夫。初めに撮った写真はやっぱりそれなんだし。一枚目はそのままそれが良いと思う、私は」
志津見の言葉には、彼女の本質があった。
俺と涼川とは違い、良く見せようという考えがまるでないのだ。ありのままを受容できるというのは、彼女の一番の長所だろう。
「そっか、それもそうだよね」
涼川は一度深く頷いた。
「まあ、確かに部活の趣旨的にも、場面を切り取るって意味ではそのままの方が良いかもしれないな」
「うん、個性も出てるし良いと思う。花川のキモいとことかちゃんと現れてる」
いや、志津見さんや。真顔で悪口言ってきなさんな。
「そうかよ…まあ否定は出来ないけど」
「ちょっと藍咲!そんな直接言ったらだめでしょ…」
…うん、お母さんかな?でもね、涼川さん。それって直接言うのが悪いってだけで、俺がキモいことは認めてますよね…
「俺がキモいのはやっぱりそうなのか…」
俺が落ち込んだように見せると、涼川は慌てた様子で弁解を始めた。
「あ、いや、全然そんなことはないからね!言い回し間違えちゃったみたいな……ね?」
さて、なにが「ね?」なんだろうか…俺にはわからない。
「…それで…その写真をフォルダに保存すればオッケーか」
俺がそう言うと、涼川はスマホを操作し始めた。
「これってファイル名とかつける?」
「んー、パッと見で何の写真かはわかった方が良いかもじゃない?」
志津見はスマホを覗き込むように、身を乗り出した。
「じゃあつけるとしてどんな名前がいいかな?」
「無難に"タイムスナップ部"とかで良いんじゃね?アニメで第一話にタイトルくるとか結構あるし。そういう感じで」
「え、それいい!タイトルで始まるのめっちゃ熱いね」
涼川は珍しく興奮した様子でそう発した。
「それなら最後の時も名前"タイムスナップ部"にしよ。最終話でタイトル回収はマスト」
志津見もアニメ好きだからだろう。すかさず、そう口を挟んだ。
「いや、わかってるじゃん。ウェーイ」
俺は何を思ったのか、そんなことを言いながら志津見とハイタッチをした。
いや、本当に何やってんだ俺。志津見の方も普通にノリ良くハイタッチしてくれたし。
今になって急に恥ずかしくなってきた…
「じゃあ、とりあえずこんな感じで良いかな?」
涼川が見せる画面には、今日の日付に"タイムスナップ部"と名付けられた三人の写真が表示されていた。
何気ない教室で撮られた、何気ない写真。別に何かあるわけでもないのに、それを好ましく感じてしまっている自分がいた。
「おう、良いな」
「うん、良い感じ」
そう言った志津見の顔には、僅かながら笑みがあった。笑うと志津見も結構優しい感じになるんだな…
なんて思っていると、校内に下校のチャイムが鳴り響いた。
「あ、終わりか。じゃあ帰る?」
俺の言葉に、二人は「うん」と言って頷いた。
そして各々帰り支度を始め、それを終えると昨日と同じように昇降口へ向かい、俺たちはそこで別れた。
こうして、タイムスナップ部としての本格的な活動が始まった今日、何事もなく平穏に終えることが出来た。