第57話 お風呂
信世君の『奇跡』についてですが、少し描写が変わっています。
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「そこでストップだ」
ジュースを入れたコップを渡して饒舌に話す彼女に待ったを掛ける。
彼女が元の世界の話を始めてから約二時間。
長話に飽きてしまった翔流ときりるんは風呂に入り終えて二人でゲームをしてしまっていた。
紡祇はというと、最初の一時間は話を懸命に聞いていたのだが、後半の一時間は流石に集中力も切れてしまったのか舟を漕いで半目開きの状態になってしまっていた。
折角の可愛い顔がゾンビみたいな半死体になってしまっていたのは傍目から見て可哀想だとは思ったが、それでも頑張って聞こうとしていた紡祇のやる気を無駄にはしたくなくてギリギリまで粘らせてもらった。
「えー今からが良い所なのに」
出会ってから一番の生気に満ちた顔をしている彼女には申し訳ないが話があまりにも長すぎる。
30分くらい経った所でもう少し要約してくれないかと言おうと思ったが、話に割り込む隙間すら与えてくれずに常にハイテンションで語るもんだからこうやって無理やり止めさせてもらった。
小さなぬいぐるみから受け取ったバスタオルと着替え用の寝間着を渡して、シオンに風呂場に行くように急かす。
「みんな風呂はまだだろ。紡祇は起こしとくから先に風呂に入ってくれ」
「ちぇ。分かったよ」
紡祇と俺もまだ風呂に入っていないんだ。大変不服そうだが今の内に行ってもらわないと困る。
風呂場の場所や風呂の使い方は紡祇の記憶を参考にしてもらえば、日本語を一日でマスターしている彼女ならすぐに理解出来るだろう。
シオンを風呂場まで送る。記憶を見れば分かると思うが、一応ボディソープとシャンプーとトリートメントの使い方を教えた後、湯が多少冷めていたので追いだきのボタンを押してリビングに戻る。
シオンの語りが終わって完全に気が抜けた紡祇の肩を揺らして風呂に行くように勧める。
「紡祇。起きろ。風呂行くぞ」
「んぁ……おきてる。おきてるからだいじょうぶ」
頭を前後に揺らされて大丈夫じゃなさそうに答える。
今日はかなり行動したからなるべく夜の内に風呂に入ってもらいたいのだが、この調子ではすんなり起きてくれそうにはない。
このまま寝かせて朝風呂にしてもらうのも良いのだがそれは最終手段にするとして、他に手段が無いか少し考えようか。
とはいえ、数年前からこういう状況になったら大人しくベッドに寝かせて朝風呂にしてもらうのがルーティンになっていて諦め半分な所はある。
どーしたものか。
他に何かやれる事がないか少し考えてみるが何もアイデアは……あったな。
「そういやアレがあったな」
紡祇の耳元に顔を近付けて気を引き締めて言葉を囁く。
これに距離が関係あるのかは分からないが、近い方が効果は上がるだろう。
「『起きろ』」
俺の声と、どこからともなく響く男の声が重なって『奇跡』を発動する。
この男の声は『奇跡』を発動する度に煩いくらい俺の耳に鳴り響いてくるが、ここまでの音量で翔流やきりるんが反応していない辺り、俺にしか聞こえていない声なのだろう。
『奇跡』を使って少し様子を見るが……机に突っ伏している紡祇からは何も反応が無い。
もしかして効いていないのか。効いた上で抵抗しているのか。それは定かではないが間違いなく意味が無かったのは分かった。
「効かないか……まぁ、紡祇も『奇跡』持ってるからな。それなりの耐性があってもおかしくないか」
連続で『奇跡』を使えば起きてはくれそうだが、そこまでして無理やり起こすのは申し訳ない。今回もベッドまで運んで寝かせるとしよう。
静かに椅子を引いて、なるべく刺激しないように紡祇の体を持ち上げる。
力が抜けてだらけきった彼をお姫様抱っこして紡祇の部屋へと運ぶ。
運んでいる最中に一瞬起きてしまったが、目を瞑ったまま俺の体に掴まってベッドに降ろされるまでずっと大人しくしてくれていた。
真っ暗な部屋で毛布を掛けて冷房を付けて、起こさないように抜き足差し足忍び足で部屋からそそくさと退出する。
シオンが上がって来るまでに時間があるので、その合間に洗い物やお菓子のゴミを片付けておこう。
テーブルの上に残った皿や、翔流ときりるんの周りに散らばったお菓子やジュースのゴミを回収する。
ペットボトルと燃えるゴミで分けてあるゴミ箱にそれぞれ仕分けして突っ込んで、テーブルに残った素麺はラップをして冷蔵庫に入れる。にゅうめんとして明日の朝ご飯にでも出そう。
翔流が朝早く起きて冷蔵庫の中を漁った時に困るので『朝ご飯用』と書いた紙をラップの上に貼り付ける。隣に余分に作ったハンバーグとデミグラスソースもあるので、そちらにも同じ書置きを貼り付ける。
全ての食器を洗い終えて、床に落ちたお菓子の粕を小さなちりとりで回収して、ふぅと一旦一息ついた所でシオンが風呂から上がってきた。
「お風呂ありがと~」
紡祇サイズの服なので少しオーバーサイズ気味には見えるが、服がずり落ちたりはしないようで安心した。
それはそうとだ。髪が随分と湿っているように見える。
「シオン。ちょっと待て」
「んー。なにー?」
足を止めた彼女の頭を軽く撫でてみる。
……全く乾いてないな。
食器を洗っている最中にドライヤーの音は聞こえていたが、その音がやけに短いと感じたのはこのためか。この女しっかり乾かしていないな。
このまま放置すると髪が跳ねてしまう。
「ちょっ、急になんなの」
「髪くらい乾かせ」
生乾きのまま室内をうろつく彼女の片腕を捕まえて文句を言う彼女の声を無視し、半ば誘拐のような絵面で風呂場まで連れて行く。
「やめろー! 麗しき乙女の柔肌に触るなぁー!」
「大人しくしてろ。ドライヤー当てるぞ」
甲高い声で喚く彼女の声をかき消す勢いでドライヤーのスイッチをオンにして手際良く乾かしていく。
やり方は美容院に行った際に店員さんがやっていたのを見て覚えたものだ。普段は紡祇にしてあげていたから他人にやるのは慣れている。
慣れてはいるのだがここまで髪が長いと流石に骨が折れる。
低身長とはいえ腰辺りまで伸びた青い髪の毛は、藍染された絹の織物のように艶やかで、手に取ってみるとその隙間をさらさらと通り抜けて落ちていく。
ザックリ言うと髪質が半端なく良い。
紡祇の髪の毛もかなり丁寧に手入れしているみたいだが、この長さの髪をこれほどまで綺麗に保てるのは流石異世界クオリティか。
素晴らしい肌触りを堪能しつつも長く伸びた髪を丁寧に乾かしていく。
これを乾かしきるまでには相当な時間が掛かりそうだ。
「ねー信世君」
「どうした」
それを察したのか、全く同じことを考えていたのか。退屈そうに話し掛けてくる。
ドライヤーの音で少し聞き取りにくいが、紡祇の髪を乾かしている最中にもよく会話しているのでこういう状況でのリスニングテストは予習バッチシだ。
「僕がお話するちょっと前にさ。知らない男が立ってたって言ってたよね」
「あぁ、そういえばそうだな」
シオンの長話ですっかり忘れてしまっていた。
そういえば、シオンの頭を撫でた辺りから不思議な状態に陥ってしまっていたんだった。
説明するには少々難しいが……例えるならそう、時間の感覚が周囲と違っていたというか、俺だけが取り残されているような感覚がしていた。
その間、シオンの背中にはずっと男が立っていた。
顔も服装も真っ暗で何も見えず、けれど髪の色と口の形だけは不気味なくらいにはっきりと見えていた。
その髪の色は今俺の頭に生えている綺麗な紅蓮の色をした髪と同じ、美しい紅色の髪だった。




