第4話 ドーナッツ
電話を閉じてついでにトイレを済ませて急ぎ足でフードコートに戻る。
テーブルに戻ると俺が出る前にあったドーナッツが2個から12個入りの箱3つに増えていた。
「お待たせ。またドーナッツ買ったのか」
箱の中身は全てポンデリングだった。ストロベリーや黒糖が付いてるものは一つも入ってない。
「ってこれ全部ポンデリングかよ」
しかも、全て揃いも揃ってプレーンのポンデリングだ。
唯一、一箱だけ中身が違う物があったが、使用済みのティッシュが入っているだけのただのごみ箱になっているものだった。
空箱から漂うドーナッツの残り香は他のポンデリングで一杯の箱と全く同じ匂いがしている。この空箱もポンデリングでいっぱいだったのだろう。
ここまで大量のポンデリングを買うのは少し特殊な部類なのだが、これが紡祇の行動なのだとしたら実はあまり不思議ではない。
紡祇はドーナッツの中ではポンデリングが一番好きなのだ。
どのくらい好きかと言えば、ドーナッツと言えばポンデリング。砂糖まぶすくらいなら許すが他は許さない。ポンデリングの中に何か入れるようならば、腸にポンデリングの粒を一つずつ詰めてポンデリングのソーセージを作ってやると言うくらいには大好物なのだ。
ここまで来ればもはや好物というよりちょっとした執着みたいな物を感じるが、人の好物の度合いなんてピンキリなもので、やはりこういうものなのかと独り合点する。
お手拭きを一枚取ってテーブルの上を拭いて、ついでに散らかっているドーナッツの欠片をまとめて空箱に入れる。
「遅いよ。何してたのさ」
不貞腐れた顔でポンデリングを一粒ずつ頬張っている彼。
紡祇がポンデリング好きなのも知っているとは……まぁ、好きだとは言っても36個も買ってくるのは機嫌が悪い時だけなので、そこ辺りは微妙に違う風に理解しているみたいだ。
これが紡祇本人だったら量で察して機嫌取りに走っていたのだが、目の前に座っている人物は紡祇じゃない。自称紡祇だ。
一粒ずつ千切って最後に残った二粒を一気に口に放り入れる彼。不機嫌そうな顔はそのままに、黙ってそっぽを向いてもぐもぐと口を動かしている。
目を細めてボーと歩いて行く人達を眺めているだけだ。何か気になる物があってそっぽ向いている訳ではないのだろう。その証拠に横目にチラチラと俺の表情を見ている。
あくまで俺の様子を伺っているだけだ。
本当に、紡祇が不機嫌な時の言動に似ている。
数カ月前に喧嘩した時もこんな感じだった。
急に無言でドーナッツ屋に向かってポンデリングを二箱注文して、テーブルで向かい合って座ったけど紡祇はずっとそっぽを向いて、俺が何か言うまで気まずい無言の空間が流れていた。
本当にそっくりだ。姿以外は瓜二つと言って良い程に。
椅子に座って残しておいたジュースを飲み干す。氷が溶けてしまって味がかなり薄くなってしまっていた。また後で買いなしておこう。
「それで、誰からの電話だったの?」
チラッとこっちを見てくる自称紡祇。不機嫌ですオーラを全力で出しているが、やはり秘密にしている物は気になるのだろう。
「秘密だ。お前の誕生日サプライズの計画だからな」
一応紡祇の誕生日サプライズの計画という体で話を続ける。
まぁ、この誕生日サプライズの計画自体全くやらない訳ではない。だが、それを計画するにはあまりにも早過ぎる。
紡祇の誕生日は9月。まだ2カ月も猶予がある。
「ふーん。そうなんだ」
流石に言い訳が下手過ぎたのか素っ気ない返事をする彼。
「まぁ、そんなに言いたくないなら無理に聞き出さないけどさ」
そう言ってポンデリングを一つ、箱から取り出して再び頬張る。
なんというか、話し掛けにくい雰囲気を作られてしまったな。
だが……雰囲気が悪いだけで紡祇の安全を捨てるのは理にかなわない。
ただでさえ紡祇の安否が分からない状況で裕太の家がとんでもない事にもなっているんだ。この偽物に時間を掛けるのにそれ相応の理由なんてあるだろうか。
前置きやら言い訳を作ったりして時間かけるのは時間の無駄だ。さっさと適当に理由付けて出て行こう。
「ところで話が変わるが、ちょっと用事が出来たから一旦帰るよ」
「えっ、急にどうして!?」
どうしてもこうしたもあるか。
急いで逃げるように、さっさと立ち上がって自分の荷物をまとめる。
「態度悪くしたのはごめんなさい……でも、だからって帰ることないでしょ!?」
さすがに雑過ぎる理由だったか。彼も焦りで椅子を倒して立ち上がり袖を引っ張って引き留めようとしてくる。
「今日色んな所見ていくって言ったじゃん! 水着だって買いに行くって!!」
涙声で叫んで必死に袖を掴んで来る。
往生際の悪い奴だ。鬱陶しい。
「あぁ、すまない。約束してたのにごめんな」
「いやでも、だって……だって……」
腕を払い除けて出ていく支度をする。
「じゃ、俺は先に帰るよ。また今度、遊びに行こうぜ」
呆然と立っている紡祇の偽物をその場に置いて、彼が出したドーナッツの箱やクレープの包み紙をついでにまとめて近場のゴミ箱に捨てる。
ここで油売ってる訳にはいかないんだ。ゴミ程度なら捨てて帰るがここで長話をする気は一片もない。紡祇にならともかくコイツは別人だ。ただの他人でしかない。
何故か、食べ物の好みや、キャラの好みや、歩き方や、話し方や、話題の作り方や、他人との距離感や、手の握り方や、スマホの中のアプリの配置やご飯の食べ方や話す合間の呼吸の入れ方や意識の移り方や視線の変わり方や無理した笑顔の作り方が同じでも。
こうやって泣きそうな時に両手に握りこぶしを作って爪跡が付くくらいに力を入れて、とっくに涙なんて出てるのに泣きそうなのを我慢して声を押し殺して、溢れ出る涙を必死に落とさないように目を擦る所も。
そっくりだ。それでも__
それでも彼は紡祇じゃない。フィクションじゃないんだ。普通に考えて見た目が全く違うのは別人だ。
「おかしいよ」
「おかしいかもな。それじゃあな」
「おかしいよ。信世」
「そうかもな。それじゃ」
「おかしいよ!」
モール内に自称紡祇の声が響く。見た目がかなりの美少女で当然声も一級品。このよく通る声でこの声量ならフードコート以外にも近場の店にも届いてるだろう。
置いて行かれてすすり泣いている自称紡祇に周りの目が集まる。
「なにあれ痴話喧嘩?」「うわっあの子可愛い」「泣いてるよあの子」「かわいそー」「彼氏最低かよ」「ここでするなよ」ひそひそひそひそひそひそ
見た目も声も目立つ女の子があんな声を出せば目立つのは当然か。
周りが何しようとも何を言おうとも俺には関係が無い。俺はコイツに構う気はない。構う必要がない。
ゴミを捨てて彼を置き去りにし、モールから出ようとする。
すれ違いざまにすすり泣く彼の元に駆け寄る男数名を無視して。
「大丈夫?」
見知らぬ男達が落ち着かせようと下心も含めて善意から、抱き寄せようと手を出そうとする。
「こ、こないで」
逃げるように距離を取る。
「しんや」
怯えている。紡祇のように。
知らない男に囲まれて震えて何も言えずに俺を見ていたあの時のように怯えて助けを求めるように。
中学生の頃、クラスや先輩達に言い寄られて囲まれて関わりもない女達に陰口を言われて人目から隠れて過ごしていた時のように怯えて助けを求めるように俺を見ている。
虐められて校舎の影で蹴られて泥だらけにされて罵倒されて逃げ出したくて怯えて助けを求めるように俺を見ている。
あの時のようにあの目はずっと俺を見ている。
「しんや」
ずっと俺を見ている
あの時みたいに
「しんや」
ずっと俺を見つめている
あの時と同じように
「しんや」
俺を見つめて__
「ああもう!」
踵を返して紡祇の元に駆け寄り、近寄った男達を引きはがして彼を抱き寄せる。自分から手を広げてくれてたおかげで周りの男達も邪魔しなかったのはありがたい。
こういう手を広げる動作も紡祇と同じなんだよな。
想像以上に軽かったからついでに抱きかかえる。
つまりはお姫様抱っこだ。
「場所を変えようか」
「はぁい」
声はまだ震えているが涙まみれの笑顔で返事して俺の胸元に顔をうずめてくる。
「抱っこしたままで良いか?」
「うん。このままでいいよ」
今日は夏休み初日で土曜日というのもあって家族連れの人や学生のグループも多い。その中でこんなやり取りをしてしまった。
周りからの目線が痛い。ウニにされた気分だ。一種の刑罰に出来るかもしれん。
涙で顔がぐしゃぐしゃになっているけども、なんとも幸せそうな顔だ。抱っこされただけでここまで幸せそうに出来るのなんて紡祇くらいしか知らない。紡祇以外を知らない。
本当に……本当に紡祇なのだろうか。
あまりにも見た目以外が同じで心の隅っこではこの子は紡祇なんじゃないか、とはずっと思っていた。
フィクションのように、朝起きたら美少年になって人生一変バラ色の人生になりますよとか言うご都合主義の創作だと思っていた。だけどもそんなのはフィクションの世界でしか起きえない事だとも思っている。当たり前だ。この世界はノンフィクションだぞ。現実を見ろ。
だけど……一度、仮にでも良い。少しだけ信じてみようか。頑固になるのも良くない。
それに、紡祇の家に行けば翔流が先に到着しているはずだ。もしコイツが何か企んでいたとしても、俺一人よりかは何か起きてもなんとかなるだろう。
「なぁ、紡祇」
「なぁに」
「本当に紡祇なんだよな」
「最初から言ってるじゃん。ボクは紡祇だよ」
「じゃあ、今からお前の家に行っても良いな?」
「良いけど……用事はどうしたの?」
そういやそういう設定で行こうとしていたな。
誕生日サプライズという設定で逃げようとしていたのを思い出したが、それをどうにか説明して納得させるのは難しそうだ。
当たり前だ。そもそもそんな話なんて無かったのだから。道理を通した言い訳なんて出てくるはずがない。
今なら雰囲気に任せてあやふやに出来るだろうか。
「別に良いさ。今日はお前の家で遊ぼう」
「やった~」
にへらと笑う彼の顔を見て安心する。機嫌が直ってくれたみたいで良かった。それに、誕生日サプライズの件もあやふやに出来そうだ。このまま行こう。
「買い物はまた今度裕太と一緒に行こう」
「らじゃ!」
お姫様抱っこをされたまま額に手を当てて敬礼みたいなポーズで返事をする彼。
行先は決まった。距離はそこそこあるが、まぁ雑談しながらなら暇にはならないだろう。計画とは全く違う結果にはなったがこうなっては仕方ない。このまま行くとしよう。
…………ところで、俺はお姫様抱っこしたまま20分歩いて紡祇の家に行くのだろうか。
残ったドーナッツ一箱はスタッフが美味しくいただきました。




