古典落語「華族のお医者」
古典落語「華族のお医者」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約15分
必要演者数:4名
(0:0:4)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
殿:とあるお大名が明治時代を迎え、華族と呼ばれる存在となる。
酷い世間知らずで、今まですべて周りの者がやってくれていたが、
ある時時代の流れについていこうと思い立ち、独学で医者の知識を学
ぶ。その姿勢は立派なのだが自己流解釈や押しつけがひどく、
お世辞にも腕が良いとは言えない。
まさに藪医者、いや、紐医者か。
登:殿様のそば仕え衆その1。
殿様流医術で水銀を飲めとの診断が下される。
伊丹:殿様のそば仕え衆その2。
フルネームは大原伊丹。
殿様流医術の中でもっとも酷い診断と処方を受ける。
井上:殿様のそば仕え衆その3。
殿様流医術にて瘧と診断され、なぜか下剤を処方される。
おかげで厠とすっかりお友達。
語り:雰囲気を大事に。セリフ数は少ない。
●配役例
殿:
登:
伊丹・語り:
井上:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:生兵法は怪我の元、という言葉がございます。
生半可な知識で事に当たると酷い目に合うというものですが、
ところがこれをやってくる人間が、決して断れない相手であった場合
、皆さんはどうしますか?
いい例が昔のお大名とその家来ですが、時代はどんどん目まぐるしく
変わり、天下泰平の江戸時代から、激動の幕末・ご一新となり明治の
時代へ移っていきます。
その頃、各領地に君臨していたお大名、お殿様といった支配者特権階
級は明治になると華族と言われる存在になったわけですが、まだまだ
お殿様気質が抜けず、とかく世間一般の事には暗く、何事も近習任せ
であった、そんな頃の噺でございます。
殿:これ登、登はおらぬか。
登:はっ、お召しにございますか。
殿:うむ、予は華族の家に生まれたが、いかに太平の御代とは申せども、
手を袖にして遊んでおっては相すまぬ。
予の先祖は千軍万馬の中を往来いたし、君の御馬前にて血煙をあげ、
槍先の功名によって長年大禄を頂戴しておった。
しかしながら、これからますます世の中が開けてくるにしたがって、
時勢もだんだん変化してくるであろう。
それゆえ、この身に何か一能を備えたいと考え、予はひそかに医学を
学んだぞ。
登:おぉ、それはまことに結構なことでございますな。
殿:別に誰か師について学んだのではなく、書物にて独学したのだが、
色々なことを発明したぞ。
まあ見るがよい。これだけの器具を集めたのだ。
登:なるほどこれはいつの間に…恐れ入りましてございます。
しかしわたくし一人で拝見いたしますのも、いささか惜しいように
思います。
それゆえ詰所にいる者達にも共に見せてやりたく思いますが…。
殿:おおそうか、よかろう。
これ、伊丹をはじめ、皆ここへ来い。
伊丹:ははっ。
登:殿がこれだけの器具をいつの間にかお集めになられていたのだ。
伊丹:へえ、殿、これは何と申す物で?
殿:うむ、これは検熱器と言う物だ。
これが聴診器、これが打診器と言う物だ。
伊丹:ははぁ、どれも物珍しゅう見えますな。
殿:どれ登、そちを一つ、診てやろうか?
登:いえ、わたくしは別段どこも悪くありませぬ。
殿:いや、そうではない。
まあ見てつかわすから裸になれ。これも稽古じゃ。
何事も場数を踏まねばいかぬからの。
登:しかし、御前にて裸になるは恐れ入りますことで。
殿:なに、かまわぬ。
許すからよい。
登:しからば御免こうむりまして…、
これでいかがにございましょう。
殿:うむ、良い骨格じゃな。
登:はっ、おかげ様で今年四十五になるまで、
一度も患った事はござりませぬ。
殿:左様であろう。
そら、この機器で脈搏を聴くのだ。
どうだ、グウグウ鳴るだろう。
登:えへへへ…くすぐっとうござりますな。
左様に横っ腹へ器具をお当てあそばしましては。
殿:いや、こういう所に病は多くあるものだからな。
これから一つ、打診器で肺部を叩いて見てやろう。
登:いやそれは危のうございます。
殿:なに、心配いたすな。
そら、こういう塩梅だ。
トントン、トントン、トンとな。
登:あっ、つっ、痛うございます。
殿:ふむ、少し逆上しておるようじゃから、カルメロを一分三厘に、
ヤーラッパを五分調合してつかわす。
小屋へ帰って一日に三回の割合で服薬いたすがよい。
登:ははっ、どうもありがとう存じます。
これはまたたいそう綺麗なお薬で。
殿:うむ、簡単に言えば水銀剤であるな。
登:えぇ、殿、これを飲みましたら喉が潰れます。
殿:なに、大丈夫だ。
決して左様な心配はない。
たとえ喉が潰れても、病さえ治ればそれでよかろう。
登:いえ殿、さすがに喉が潰れては困ります。
殿:心配はいらぬ。
これ井上、ここへ参れ。
ついでにそちも診てつかわす。
井上:ありがたくは存じますが、
何ぶん裸になるのは些かはばかられますので。
あいにく今日は下帯を締めておりませぬから。
殿:いやよい、許す。
左様な事は少しもかまわぬ。
トントン、どうじゃな?
井上:あ、いっ、痛うございます。
そう無闇にお叩きなすってはたまりませぬ。
殿:まぁ黙っておれ。
あ、これは熱があるな。
井上:ははぁ、熱がござりますか。
殿:うむ、四十九度ばかりあるな。
井上:そんなにある訳はござりませぬ。
それでは死んでしまいますから。
殿:あぁなるほど、こう見るのであった。
三十七度一分あるの。
時々、悪寒がする事があるだろう。
井上:左様でござります。
殿:ははぁ、これは瘧だな。
井上:いいえ、瘧ではないかと心得ます。
殿:これこれ、何でも医者の言う事は聞くものだ。
素人の癖に何が分かるものか。
これは舎利塩を四匁ほど粉薬にしてつかわすから、コップに水を注ぎ
、よく溶いて飲め。
それから規那塩を一分入れるところじゃが、三分も加えよう。
井上:殿、そのように劇薬を限度を超えてお入れになりましては、
えらい事になります。
殿:なに、心配をするな。
安心してすぐにこの場で飲め。
さぁさぁ、今度は伊丹、そちも診てやろう。
年は何歳じゃ?
伊丹:三十七歳で。
殿:どこか悪いところがあるか?
伊丹:はい、下腹が少々痛いです。
殿:それはどうもいかんな。
しかしそういうのには、魔睡剤を用いるとすぐに治る。
モルヒネをな、えーと、一ゲレンは一厘六毛、一グラムとは一匁と
申して、三分ゲレンとは三割にしてコップに三十滴が半ゲレンじゃが
、見ておれ、こういう具合にするのだ。
語り:コップへ先に水を入れて、ポタリポタリとビンの口を開けながら
たらすのだが、なかなか素人にはそう上手く出来ない。
二十滴のはずが、ポタポタポタポタと六十滴ほども出た。
殿:まぁよい、これでまけておこう。
語り:このようなものを飲まされた者こそ因果である。
御前を下がって間もなく皆大変な目にあい、それはもう酷い
苦しみぶり。
翌日、彼らはヘロヘロになって出て来ました。
登:どうだ井上君、少しは良いか?
井上:いや、どうにもこうにも…。
華族のお医者などにかかわるべきものではない。
むやみにあの小さな柊揆でコツコツ胸を叩いたり、
おまけに劇薬を飲んだものだから、
昨夜は七十六回も厠へ行ったよ。
登:それは大変だったな。
しかし君はまだ一命があるだけ幸せだ。
大原伊丹君は…可哀想に、モルヒネを沢山飲ませられたものだから、
とうとう意識を失って目覚めないままだよ。
語り:やらと額を寄せて話をしているのを耳ざとく殿が聴きつける。
殿:これこれ登、出たか。
登:はい、ご機嫌よろしゅう。
殿:どうじゃ、具合は。
登:それが、どうも劇薬を多量にお用いになりましたものと見え、
今日は体の具合が悪うございます。
殿:井上はいかがいたした?
登:彼も罷り出ましたが、これもえらく逆上いたし眼がかすみ、
頭に熱を持ち、カッカと致してたまらぬと申しておりまする。
それに可哀想なのは大原伊丹で。
彼はいまだ意識が戻りませぬ。
殿:むぅぅ、あれだけの手当に及んでも息が出ぬと申せば、
もはや命数が尽きたのかも知れぬ。
どうしても意識を取り戻さぬか?
登:はい、色々に介抱いたしましたが意識が戻りませぬ。
この上はいかがいたしましょう?
殿:いや、意識を取り戻さぬのなら幸いじゃて。
今度は解剖じゃ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三遊亭圓朝(初代)
※用語解説
カルメロ:カルメロース、おそらく下剤の事だと思われる。
ヤーラッパ:※調べたが出てきませんでした。
舎利塩:瀉痢塩とも書く。硫酸マグネシウムの事。下剤。
硝盃:ガラスの杯の事だと思われる。
規那塩:解熱・健胃薬。また、マラリアの特効薬。
水銀剤:もしかしなくても、体温計などに用いられるアレだと思われる。
かの始皇帝も飲んだといわれてますしね。
瘧:間欠的に発熱し、悪寒 (おかん) や震えを発する病気。
主にマラリアの一種、三日熱をさした。
ゲレン:ヤード・ポンド法における質量の単位であり、
正確には0.06479891グラムである。
柊揆:さいづち。ハンマーの一種。
命数:寿命のこと。