005『修行開始』
数分後。
僕とフォルスは、屋敷の庭に立っていた。
少し離れたところには、机と椅子がひとつずつ。
母が侍女を連れ、心配そうにこちらを見ている。
父は怪我が怪我だから……流石に休んでもらうことにしたわけだ。
「さて、シュメル。君の修行は魔力操作のマスターと反転の発動を目標に進めていく訳なんだけど……」
そう言って、フォルスはじっと僕を覗き込む。
居心地悪さに身を捩って数秒、彼女は頷いて言う。
「うん、魔力は感じ取れるようになってそうだね。余計な手間が省けそうだ」
「はい?」
魔力が、感じ取れるように……?
僕が、なってるのか?
「いや、フォルス。ごめんだけど、魔力なんてぜんぜん分からないだけど」
先ほど、敬語は不要だと言われたため、敬語は抜いて話してみる。
フォルスは少し固まっていたようだけれど、特に気にした様子もなく再起動した。
「ん? ……あぁ、無意識だったよね。でもシュメル。君、起きてから随分と体調がいいな、って思わなかった?」
「……思った」
彼女に言われて、そういえばと思う。
三日三晩気絶して、目が覚めて。
妙に頭と体が軽いなぁ、とは思っててた。
「魔力を少しでも感じられるとね。その体に魔力が流れるための回路が作られ始めるんだよ。その負担で、術者は何日か寝込むのが通例ってわけ。で、目が覚めた時点で回路は設立済み。魔力が身体中に流れ始めた影響で、身体機能が僅かながら上昇するんだよ」
……もしかして、三日三晩も僕が眠ってたのってそのせいだったのか……?
確かに、いきなり気絶して三日とか、子供の体ってこんなに弱かったかなぁ、とは思ってたんだ。
しかし、そっちには納得出来ても、肝心な魔力を感じられるようになった原因が分からない。
気絶する前、何かあっただろうか?
転生者としての意識が戻ったから?
フォルスの魔法を目撃したから?
あるいは……。
「なんで、って顔してるね。原因なら居ただろう? 私がもう殺しちゃったけど」
「……あっ」
思い出すのは、見上げるほど大きな山羊頭。
禍々しいオーラを放つ、悪魔のような生き物。
「君の乗ってた馬車ね、あいつの魔法で破壊されたみたいなんだ。で、その魔法は馬車の中にいた君に大怪我を負わせた。その時に、あいつの魔力が君の体に入ったんだろうね」
「うえ……」
想像したら、うえっと吐き気がした。
だって父の片腕、何人もの騎士たちの仇だ。
決して気分のいいものでは無い。
額の傷跡に触れると、ずきりと痛みが走る。
この奥に……あいつの魔力が入った、ってことか。
「その魔力が作用して、本来なら君が自覚してから始まる『回路敷設』が強制的に始まってしまった。ここまで出来上がってるんだから、ちょっと集中すれば、魔力、感じ取れると思うよ?」
気分は良くない……けれど。
だからといって、済んでしまったものは仕方ない。
僕は目を閉じて大きく深呼吸。
体の中へと意識を向けると……本当だ。額の傷跡を中心として、今まで感じたことの無い何かが、体の中を流れてるのがわかる。
「なんか、どろっとした、黒いのが流れてる……!」
「本来は色なんて分からないもの、らしいけどね。感じ取り方は人それぞれ、ってことにしておこうか」
目を開けると、フォルスは妙に楽しそうだった。
なんなんだろう……とは思うけれど、教えてくれそうな気配もなかったため、気にしないことにする。
「その魔力を使って、魔法を発動させるんだ。とりあえず……ほら、この紙をあげよう」
そう言って彼女が手渡してきたのは、一枚の紙。
ただその紙……この世界のものにしては随分と薄っぺらい。下手をすれば、和紙といっても信じてしまうかもしれない。
「この紙を裏返す……つまりは表を裏へと反転させる修行だよ。ほら、試しにやってごらん?」
「……大丈夫? おもいっきり初心者だけど」
「大丈夫、大丈夫。魔法を得た時点で、使えるようにはなってるんだ。魔力回路ができたなら、発動はできるはずだよ。発動は、ね」
随分と含んだ言い方だが……まぁいいか。
細かいことは気にしない、ことにした。
とにかく、魔法を使うための準備は整ったってこと。
それなら、思う存分使ってみよう!
人生初、魔法!
僕は和紙を芝生の上に置き、両手をかざす。
「【反転】!」
使い方なんて全然分からなかったけれど。
体内にあったどろっとしたものが、僕の声に応じて動き始める。
腹の底から、かざした両手の掌を伝い、指先へ。
黒い光が瞬き、誰も触っていない和紙が、ひとりでに裏返――
「……ぶはっ!?」
気づいた時には、僕は仰向けにぶっ倒れていて。
雲ひとつない青空、心配そうな顔で僕を見下ろす母と、無表情のフォルスが視界に映る。
「……えっと?」
「魔力切れで気絶したんだよ。目は覚めたかい?」
彼女の手には、空になった瓶が握られている。
上体を起こすと、顔面周りが濡れていることに気づく。……察するに、魔力回復薬、みたいなものをぶっかけられたのだろう。
「だ、大丈夫? 無理しなくていいのよシュメル?」
「いや……大丈夫だよ、母上。頭が痛いくらいで」
ズキズキと、頭の奥が痛む。
……いや、強がったけどそれだけじゃないな。
なんか目眩はするし、吐き気もするような……。
さっきまでは随分と体調が良かったはずなんだけど。
これが魔力切れの症状かな、けっこうキツイ。 まるでインフルエンザにかかってるみたいな具合の悪さだ。
「魔力切れになるとね。もう二度とごめんだってくらいの体調不良が起こるんだけど、同時に、ほんのちょっとだけ総魔力量が上昇するんだ」
「!? そ、そんな話があるのですか!?」
僕も驚いた、けど、それ以上に母が驚いていた。
常識……では無いんだろうな、反応を見るに。
「そうだよ。ただ、上昇の幅は極わずか。日に一度魔力を空っぽにしたって、実感できるのは半年から一年後ってところだろう。だから、あんまり広まってない裏技なんだけどね」
「広まってないというか……それが本当であれば大事ですよ? 総魔力量が努力次第によって上げられるだなんて」
「そ。広まったら大事になる。だから言わないでおいてね」
そう言って、フォルスは僕へと視線を戻す。
「これを、シュメルには続けてもらう。一度に上昇する魔力量は、総量の千分の一。一月におよそ百分の三。一年続ければ三割以上の増加を見込める。B+ランクだったものが、Aランク程度にはなるんじゃないかな」
一年で、三割……。
いや、毎回総量が上がっていくなら、一度に増える量も少しずつ上がっていくはず。上手くやれば四割くらいの増加は見込めるかもしれない。
だけど……。
「……どうしたの? もしかして怖気付いたかな?」
僕の沈黙に、フォルスが首を傾げる。
怖気付く?
……まぁ、毎回こんな体調になるのかとげんなりはする。
けど、あくまでも、それだけ。
嫌にはなるけど、足を止めるほどでは無い。
僕を見下ろすフォルスを見上げ、疑問で返した。
「それってさ、一日に何回もやったらダメなのかな?」
「……言ってる意味、分かってる?」
「うん。よく分かってる」
現状、ものすごーく体調が悪い。
けど、それだけだ。まだ動ける。
「何度も連続すれば命にかかわる……とかだったら、さすがにやめるけど。そうじゃないなら一日一回にこだわる必要ないでしょ。体調悪いだけなら我慢出来る」
「……まぁ、命には影響しないけども」
彼女の言わんとすることは、何となくわかる。
たった一回で、これだけの体調の悪さだ。
二度、三度と続ければ、たぶん立ってもいられなくなる。何度も何度も吐いて、それはもう酷いことになるだろう。
けど、命に影響しないと言質はとった。
僕は立ち上がって、彼女に向き直る。
「なら、やるよ。僕、頑張れるから」
覚悟はとうに決まってる。
とはいえ、頑張るといっても子供の台詞だ。
フォルスと母は目を合わせ、なんとも言えない表情で頷き合う。
……ま、無理だと思われてるんだろうな。
いいさ、実績で黙らせてやる。
頑張ると言ったら頑張る。
諦めないと決めたなら、もう諦めない。
僕は再び和紙の前に座ると、両手をかざす。
「【反転】!」
そうして魔法を発動させて。
それと同時に、僕の意識は暗転するのだった。
☆☆☆
「おろろろろろ……!」
「……まじか。十回目だよこれ」
途中で用意してもらった木桶に思いっきり吐く僕の後ろで、フォルスの呆れ混じった声が聞こえる。
「な、なんか……言っおろろろろろ……!」
「喋るか吐くかどっちかに……いや、まぁいいんだけど。体調は大丈夫なの? さすがに日に十回も魔力切れ起こした人間は見たことないからさ」
僕は木桶から顔を上げることはなく、無言で親指を立てた。そうしたら、またフォルスからため息が聞こえる。
「本来なら一日に一度しか出来ない魔法を、何度も何度も使うんだ。そりゃ、魔力は増えるし、魔法の使い方も慣れるし……応じて魔力操作能力も身について行くだろう。文句なしの修行ではあるけれど……途中で潰れたりしないかい、君?」
確かに……めちゃくちゃキツい!
何だこの体調……少しでも気ぃ抜いたら吐きそう!
命に影響は無い、と言われてなかったら間違いなく救急車呼んでるレベル。インフルエンザに加えて他の病気がいくつか重なってるような気持ちの悪さだ。
けれど。
「十日分の……修行。なんとか、掴めてきた。魔法の使い方も、慣れてきた。……なら、この体調にもそのうち慣れる、と思うよ」
「息も絶え絶えによく言うよ……」
額に手を当て、天を仰ぐフォルス。
空を見上げれば、もう赤く染っている。
「とりあえず、今日の修行はここまで。明日以降、やっぱり回数減らす、って言っても構わないからね。今日はゆっくり休みなさい」
「分かっおろろろろろろろ!」
返事の代わりに吐き散らし。
呆れた様子で、彼女は帰った。
とまぁ、こんな生活がこの後一ヶ月ほど続くのだった。
【豆知識】
〇神の目
魔力を視ることのできる超希少体質。
魔力という枷から人の身を解放させ、実質的な無限の魔力を実現する。
これは生まれつきの才能であり、後天的に得ることは不可能とされる。
また、その割合は『一つの時代に一対』とされ、その対象は人間から動物、果ては昆虫まで、ありとあらゆる生命体から、たった一体にのみ発現する。
そのため、人間としてその目を得られた前例は非常に少ない。
その有数の前例の中には『名声』に興味がない者や、道半ばで力尽きた者などもいたため、歴史上に置いて『神の目』保有者として名を刻んだのは、魔女ステラカヴァズただ一人である。
そのため、神の目に対する情報は皆無に等しく。
ストリアが語った通り『都市伝説』のようなものとして語られている。




