039『英雄殺し』
隻眼のオルド。
彼が生み出した技は、大きく五つに分けられる。
『ひとつ、狩人としての心構え』
『ふたつ、基本的な殺し方』
『みっつ、暗殺に失敗した際の力技』
『よっつ、殺した後の逃走方法』
『そして最後に、奥義で閉じる』
爺さんは、そのすべてを僕へと伝えた。
その教えを思い出し、深く息を吐く。
基本より生まれ。
武器を手に持ち。
拳を握り。
姿をくらませ。
確実に殺す。
その過程には無数の技が存在する。
当然、いきなり奥義とはならないのでね。
今はまだ、基本に忠実に。
武器を取るまでもなく、敵は自ずと倒れてゆく。
「地の二『蝕喰み』」
すれ違いざま、指先で相手の皮膚を裂く。
それは、ちょっと鋭いだけの摩擦に過ぎない。
指で肌を強く撫でただけ。
肌に小さな傷が付く程度の、ちっぽけな指撃。
そんなわずかな一撃を、傷を介して。
僕は、毒を送り込む。
【蝕喰み】
五種類の内、基本である『地』に類する技だ。
その本質は、毒の調合と新生にある。
オルドが独学で作り上げた『致死毒』。
彼本人をして「どうしてこれができたのかよく分からん」と言わしめた奇跡の産物を、改良、改造し、新生し、常に新しい毒を作り続ける。
言わば新毒の調合術。
それこそが、地の技、その二番目に位置する殺しの技。
……とはいえ、今回は殺しはやらないけどね。
「ひぎぃ!? ま、また殺し……ッ」
「殺してないって。二日と半日……給水無しでギリギリ生きていられる限界まで一切体が動かなくなる麻痺毒だ」
中には一撃で確殺の致死毒もあるが。
今回は、麻痺毒を使わせていただきました。
たったひと掠りで緑竜も昏睡する強力なヤツね。
それを人間用に調合し直したものだ。
「と言っても、僕の毒は特別製でね。仮に致死毒でも火を通せば毒性は死ぬようになってる。焼いて食えないのなら、その肉に価値なんてないんだから」
「あ、頭大丈夫ですか……?」
何を失礼な。
獣を狩って喰らう者が、肉をダメにしてどうすんだ。
そうは思いつつ、指で弄っていた石ころを弾く。
それは死角から走り込んできた男の眼球へと直撃。
眼の痛みに思わず動きを止めた男は……しかし、次の瞬間には麻痺して動かなくなっていた。
「僕は指先に色んな毒を仕込んでる。指で触れるのはもちろん、僕が触ったものに触れるだけでも一発アウトってやつだ。……ま、毒の種類にもよるがな」
ずざざっと、無言でルナが僕から離れる。
とはいえ、ここは犯罪ギルドの真っ只中。
三歩離れた辺りで立ち止まり、怯えた様子で僕を見ている。
「ち、近寄らないでくださいぃ! ほ、本気を出すとか言う割には雰囲気が軽いなぁと思ってたら、な、なな、何を初っ端から頭のイカれたトンチキ兵器ぶち込んできてるんですか!? ふ、触れれば即死とかって、それ【反転】よりチートしてると思うんですが!?」
「かっこいいでしょ?」
「恐ろしい以外の感想はないです!!」
えぇ、触れたら即死ってかっこいいと思うんだけどなぁ。
ほら、よくあるでしょ、そういうチート能力。
はたから見ればソレに見えるわけで、オタクからすれば垂涎モノよ。
……とはいえ、その毒に耐性をつけるため、文字通り血反吐を吐くような訓練をこなさないといけないわけだが、まあ、そこらへんは企業秘密ということで。
それに、見て、念じただけで即死させられる【反転】には劣るだろう。
「大丈夫だって。基本的には使えないように細工してるし。……ほら。普段、生活していく分には何の支障もないよ」
「ぴぃ!? い、いきなり目の前に現れて手を握らないでください!?」
ためしに、と。
先ほど毒を放った手で彼女と握手してみる。
だが、一般人ルナはぴんぴんしており、思いっきり手を振り払って後ずさる。
彼女は絶叫しながら、握手した方の手を壁に擦り付けている。
……違うとはわかっているが、なにやら傷つく反応だな。
思わず遠い目をしていると、ルナはやっとこさ落ち着いたようで、深呼吸をする。
「で、でも、これが言ってた本気ってやつですか……? そ、そりゃ、いくら強力でも毒なんて、入学試験で使えるわけないですし、なにより、なんか陰気臭くて貴族らしくないというかぁ。ぶっちゃけパッとしないというか。地味というか……」
「だから使ってな――」
そう言いかけた、次の瞬間。
きぃん、と。
鋭い耳鳴りが脳を刺す。
ここしばらくで一番の死期。
驚くより早く、僕は動き始めた。
「ルナ!」
咄嗟にルナの手を引き、死の気配を回避する。
と同時に、天井を突き破り、頭上より数名の荒くれ者が現れた。
「なっ!?」
ルナより驚きの声。
ただし、驚きとしては襲撃者の方が大きかったように見える。
なんてったって、奇襲するより先に回避されてたんだから。
抜群のタイミングを見計らって襲撃した先が、まさかの無人。
そりゃ驚く。
思考も止まる。
その一瞬を逃すことなく、数滴、毒を飛ばした。
先の麻痺毒よりは弱いものだが……こちらは被膜摂取するタイプだ。
皮膚から毒は侵食する。
触れた時点で、即アウト。
頭上より襲撃してきた男は三人。
そのうち二人は、反応はできても回避はできなかった。
「ぐ、あぁ……っ!?」
「こ、れは……、ど、毒か!」
ほんの数滴。
それが顔や腕に当たっただけで、二人は力を失い頽れる。
今回のは麻痺毒ではなく、弛緩毒。
触れるだけで体中から力を奪う。
立っていることも難しいはず。
なのに。
「おじたん、傷ついちゃったなぁ……」
平然と、その男は立っていた。
ぞわりと、気配の『質』に怖気立つ。
不気味でありつつも。
隠せようもない――強者の気配がそこにはあった。
七三分けの、スーツの男。
そいつは僕の放った毒全てを回避していた。
受け止めるでも、防ぐでもなく。
奇襲に返された奇襲を、当たり前のように対処した。
じろりと、黒い目がこちらを向く。
死んだ魚のように、どす黒く淀んだ瞳。
寝不足か、目の下に浮かんだクマも相まってえも言えぬ不気味さと、不快さがあった。
「……嘘だろあいつ。気合い入れすぎだろ」
そして直感する。
フォルスが用意した『壁』。
成長の糧であり、僕が対するべき程よい相手。
こいつだ。
だってこいつ、戦士の僕より強いもん。
狩人としてなら……まあ、わからないが。
少なくとも、戦士としては勝てっこない。
戦士としての僕と、学園に通う生徒たち。
それと似たような実力差が、戦士の僕とこの男の前には立ちふさがっている。
ありていに言って――化け物。
ふと見れば、先ほどからルナの震えが止まらない。
情報通の彼女は、その男を知っていたらしい。
「え、ええ【英雄殺し】のオーディ……っ!?」
「オーディ。それがこいつの名前か」
にしても、英雄殺し、と来たか。
納得の強さだな、と思わず苦笑する。
「か、過去に、S級冒険者を何回も殺してきたっていう、特級指名手配犯ですよぉ! に、逃げましょうシュメルさん! さ、ささ、さすがに相手が悪すぎますよぉ!!」
「シュメル。ああ、シュメル・ハート。来たんだね。ちょっと早すぎないかな」
死んだ目の男――オーディは、僕の名前を知っていた。
来たんだね、と。
その言葉に思わず顔をしかめる。
「まるで、僕が来ることが分かってたみたいな言い回しだな」
「おじたんは非常に悲しい。せっかく良いところまで作った【黒狼組】をめちゃくちゃにされて、挙句に毒まで浴びせられた。とても悲しい。つらたん、ってやつだ」
「……答える気はない、ってか」
ここに来て初めて、僕は拳を構える。
試験でも訓練でもない、この場は戦場だ。
殺しが許されている以上、手を抜けるような相手ではない。
殺さない程度の猛毒で、確実に仕留める。
ジワリと、指先へと毒が滲む。
僕の殺気を受けて……されどオーディは、首を傾げた。
「はて。君は何をするつもりだったのかな?」
「………………はっ?」
改めて、問われて気づく。
僕は今、何をしていた?
この男は敵だ。
倒さねばならない。
殺さない程度で無力化する必要がある。
だから、拳を構えた。
で、そこから先は?
強烈な違和感。
腹の底から覆るような不快感。
前後不覚の酔いのような気持ち悪さに、思わず声が震える。
「た、戦うんだろ?」
「そうだね。拳で語ろう。君は殴り合いをするつもりだったんだろうから」
彼は、ゆるりと両手を広げる。
その姿に喉を鳴しつつ、拳を強く固めた。
「や、やめましょうよシュメルさん! いくら強力な【■】だからって、相手はオーディ、超がつくほどの犯罪者ですよ! なんかそういう……耐性とかあったらどうするんですか!」
ルナが、何かを言った。
……何と言った?
僕は思わず、目を丸くして彼女を見る。
「な、なんて……言った?」
「えっ、逃げましょう、って……」
「そ、その後だ!」
ジワリと、嫌な予感が背筋を這う。
限界まで目を見開く僕の前で。
ルナは、僕には『理解』のできない単語を告げた。
「えっ? だ、だから、【■】の耐性があったらって……」
跳ねるように、オーディへと視線を戻す。
彼は相も変わらず疲れた様子で。
死んだような目で、僕を見据えていた。
「忘れたことは知らないこと。知らないことは分からないよねぇ」
「こ、こいつ……ッ」
理解ができない。
僕にはルナが言った『単語』が聞き取れない。
初めて聞く言葉だからだ。
だから意味も、それが何を指すのかも。
わからない。
この男が言うには――忘れたこと、になっている。
忘れたから、聞き取れないし、わからない。
そしてきっと、僕の『忘却』こそがこいつの魔法なんだ。
「攻撃の最中に『攻撃の仕方』を忘れてもらったり。回避の最中に『攻撃のかわし方』を忘れてもらったり。いろいろと試してきたけれど……面白いものだよねぇ。覚えていたはずの何かを忘れてしまった。そんな違和感と不快感は、人間だれしも共通だ」
オーディは僕を指さす。
「おじたんが殺した全員、君とおんなじ顔してたもの」
彼の言う違和感と、不快感に顔をゆがめる。
ついさっきまで話していた内容が思い出せない。
そういった悔しさ、違和感、あほらしさ。
それは人間だれしも一度は経験する感情だろう。
だが今回、それらに【命がかかってる】という条件がついた。
……気持ち悪いにもほどがある。
だって、忘れた何かが原因で、殺されるかもしれないんだから。
一秒だって早く思い出さなきゃいけないのに、物理的にそれを封じられている。
「本来なら、戦い方を忘れてもらおうかとも思ったんだけど、それは余りに重すぎる。こちらの負荷が大きすぎる。だから、程度の小さな、されど脅威な【■】の忘却を強要させてもらったよ」
聞いたことも、見たこともない。
そんな魔法を目の当たりにして。
僕は思わず歯を食いしばり。
数秒、後に大きく息を吐く。
「……ルナ、少し下がっていてくれ」
「わっ、わ、分かりました……!」
有無を言わせぬ、ただの『お願い』。
僕の顔を見た彼女は、慌てた様子で後方へと下がってゆく。
その姿を見送って、僕はオーディへと向き直る。
「どうして教えた? 分からん殺しも出来ただろ」
僕はその魔法を知らない。
あれだけたくさん勉強してきたはずなのに。
リオといい、オーディと言い、知らない魔法が多すぎる。
そして、オーディの『忘却』……と言うのか?
この魔法であれば、初見殺しも十分可能だ。
彼の言った通り。
攻撃の最中に攻撃の仕方を。
回避の途中に回避の仕方を。
回復の途中に回復の仕方を。
それぞれ、忘れさせればいいだけのこと。
……まあ、情報を知った今、一方的な戦いにはさせないがな。
「おじたんはね。どちらかというと『忘れているものが分からない』という状態の方が気持ち悪いと思うんだ。何を忘れてしまったのか、頭の中でぐるぐると考えて考えて……集中が割かれる。戦闘中に集中力の欠いた戦士なんて、殺しやすいにもほどがあるでしょ」
「なるほど。敵に塩を送るような変わりモノでもなかったか」
自分を『おじたん』呼ばわりしてる時点で十分変わり者だとは思うが。
だが、まあ、そこは答えが知れて良かったよ。
少なくとも……格下だと見下され、なめられてるわけじゃないと知れて満足だ。
僕は、改めて拳を構える。
何かを忘れた。
その何かは、分からない。
たぶん、この男が封じたい程度には強力なものだったんだろう。
事実、僕はその『なにか』を使って勝負を決めようとしていた。
だから、何をするべきだったのかが思い出せない。
けれど。
いや、だからこそ、かな。
通用しなかったということにして。
思う存分――暗殺が失敗した時の力業、ってのに頼れるもんだ。
「じゃ、早速さようなら?」
オーディが、拳を構えて僕へと迫る。
尋常ではない速さ。
忘れるという魔法に加え、S級冒険者をも殺した天賦の肉体。
そりゃ、強いわな。
特級指名手配されてるってのも、頷ける。
――だが。
放たれた拳を、右腕で受ける。
衝撃に建物全体が震え、強烈な一撃を前に鮮血が散る。
それは竜の一撃にすら匹敵するような、鮮烈な拳だった。
後ろの方に下がっていたルナから、思わず悲鳴が飛び出す中。
「………………なんでぇ?」
拳をズタズタに潰されたオーディは、目を丸くしていた。
彼の曇った瞳には、無傷の僕が映っている。
まるで、衝撃そのものが最初から無かったかのように。
僕はあれほどの打撃の中、欠片ほどのダメージも受けてはいない。
「煙の二【大過亡く】」
腕を潰され、会心の一撃も無に帰して。
思わず呆然とする彼の懐に、するりと潜り込む。
彼が目を見開いたときには、すでに手遅れ。
「火の四【霜月】」
たった一撃。
神速でたたき込んだ、拳一発。
威力と言うより技術を込めた――個人的にはお気に入りの技。
この技は相手を屠るものではなく。
強制的に相手の動きを凍らせるものだ。
「こ、ひゅ……っ」
霜月の直撃。
人体の急所へと、寸分違わず叩き込まれた、拳一つ。
たったそれだけで、英雄殺しの動きが止まる。
それは小さな――されど、戦闘中において致命的な隙。
オーディは衝撃と驚きの中、わずかな硬直に目を剥いた。
その刹那。
技でも何でもないけれど。
拳で、彼の顎を撃ち抜いた。
「あ、が……っ」
悲鳴は、それくらいのもの。
僕は大きく息を吐き。
同時に、英雄殺しは意識を飛ばして倒れ伏す。
「………………え?」
後方より、唖然としたルナの声が聞こえて振り返る。
彼女は僕と、白目を剥いて倒れているオーディを交互に見つめ。
しばしの沈黙ののち。
「もしかして……勝っちゃったんですか?」
「うん。勝ったよ」
当然のことを聞いてきたため、僕は普通に返した。
瞬殺。圧倒。
英雄殺しオーディ。
彼こそは悪のカリスマ。
忘却の獣。
序盤で相対するような相手ではなく。
勝てていいような敵ではない。
――ただ、相手があまりにも悪すぎた。
シュメル・ハート。
霜の再来。
世界が認める、次世代の大英雄。
彼もまた、物語序盤で成り立っていい実力ではない。




